[掲示板: 〈過去ログ〉過去ログ2(英語教育についての論争) -- 最新メッセージID: 983 // 時刻: 2024/12/25(15:41)]
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お名前: 転向者
投稿日: 2002/6/16(12:45)
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偶然このサイトを見つけ、興味を持って読ませて頂きました。といいますのは、
小生、まさに高校生の頃から多読・多聴中心に英語に触れ「文法学習は益なし」と
考えていたものが、就職し、何年後かに業務で日常的に英語を使う部署に配属され
10年近くそこで仕事をした結果「文法はやはり必要」と”転向”したからです。
今や中年になり100万語は相当以前に超えた筈ですが、辿り着いた考えは
文法学習と生きた英語の習得は、mutually exclusiveなものではない、という
もので、この歳になって文法や語法の再勉強をしています。
貴学習法の理解不足や既に論議された内容がありましたらお許し頂きたいのですが、
順不同に2,3点書かせて頂きます。
・本来業務で多忙なビジネスマンは本当に自由時間が少ない。そうした中では、
自然な例文を使い的確な説明に則った文法学習であれば、効率的に英語の理解力と
運用力を増すことにつながりはしないか。貴サイトでは文法学習の欠陥として
例えば文法書のtheの説明をあげておられる。確かに学校で文法的規則を覚える
ことで冠詞はマスターできなかったかもしれない。が一方で、多読だけで冠詞の
概念を掴み運用できるようになるには、どれほど膨大な量の読書と時間が必要に
なることだろう。意識的に英語の仕組みを理解するよう努めることを、多読で
英語をそのまま呑み込む事とあわせて両輪とするのが、効率的な学習になりうると
考える(最近は実用的視点に立った文法解説書も出てきている印象もあります)。
・多読だけでは、フィーリング的理解に留まるおそれが拭えない。「精読は
否定せず、専門文献を読むときには、ゆっくり正確に読むことが必要」と
おっしゃっているが、専門文献でなくても、時にはじっくりと英文を読み込む事は、
思いこみによる理解を排し、作文や会話でより的確に自己表現をする上でも有効と
考える。また契約などに使われる英文は、いかに言質を与えないかに配慮した
書き方がされている(書き方をする)ことがあるのが社会の現実。英語を仕事の
武器としてウラまで読む込み、ケガをしないためには、英文構造や単語の意味を
解析する力も必要になる(実は、これが私の「転向」のきっかけのひとつでした)。
・学習には「動機づけ」が重要と考えるが、英語学習ではしばしば教材が文学系に
偏りがちの感がある。貴サイトでもお勧めや教材で目立つのは小説で、児童書も
あり、社会人には不備と感じる(児童書がくだらないというのではありません。
小生も「モモ」やエーリヒ・ケストナーの作品の英訳など、今でも時々拾い読み
します。しかし大人にとって児童書は適不適の個人差が大きすぎると思います)。
社会人のためには、もっとノンフィクションや時事社会問題、異文化論などを
増やし、実社会に即した選択肢を拡げた方が動機付けとしても好ましいと
考えますがいかがでしょうか。
「多読だけで自然に英語力がつく」という考えは、いかにも実用英語の指導を
ご専門とする方々が提唱する、学生など時間ある人や英語を趣味とする人に向けた
方法論、という印象があります。それは一種の理想型ではあるでしょう。しかし、
会社勤めの多忙な社会人にとっては、場合によっては回り道になりかねないと
思います。「鯨の公式」のように、従来の文法学習が不自然な例文と無味乾燥な
解説に終始していた側面があるのは事実でしょう。しかし相当量のエネルギーを
積み重ねた学校での学習を無益有害として捨て去るのではなく、それをassetとして
再生利用する手だてを探ることも必要ではないかと思う次第です。
長文失礼しました。
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お名前: 浜谷 http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
投稿日: 2002/6/22(10:59)
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>小生、まさに高校生の頃から多読・多聴中心に英語に触れ「文法学習は益なし」と考えていたものが、就職し、何年後かに業務で日常的に英語を使う部署に配属され10年近くそこで仕事をした結果「文法はやはり必要」と”転向”したからです。今や中年になり100万語は相当以前に超えた筈ですが、辿り着いた考えは文法学習と生きた英語の習得は、mutually exclusiveなものではない、というもので、この歳になって文法や語法の再勉強をしています。
極めてご尤もなご意見です。いわゆる100万語の量の読書は相当以前に越えられているということですが、そのような方が『・・・まさに高校生の頃から多読・多聴中心に英語に触れ「文法学習は益なし」と考えていたものが、・・・』から転向されて、そのようなお考えになったと言われるのはよく分かります。SSS式の先生方がまもなくレスなさると思いますが、同じように永年に亘り多読中心の勉強をしてきた者として、一言考えを述べさせて頂きたいと思います。
私は「過度の」「文法学習は益なし」と考えています。その点ではSSS式でも同じなのではないでしょうか? 学校英語では授業時間が少ないため圧縮して授業せねばならず文法に偏った教え方になってしまいますし、受験英語では旧態依然として形式的知識持ち合わせの点検に終始しています。学校英語が受験英語のこの弊害に毒されているのは授業時間が少ない以上に深刻だと言ってもいいと思います。SSS式はこういう授業や試験をやむを得ず通過してきた人々にとって、その弊害を払拭するのに効果的だと考えています。それは酒井先生のご著書「どうして英語が使えない?」でご指摘されている通りです。
ですから「・・・何年後かに業務で日常的に英語を使う部署に配属され10年近くそこで仕事をした結果・・・」と仰っておられる英語のレベルとかなり違うと思っています。対外的に英語を使うとなれば、それなりの文法知識が必須であることは当然のことだと思います。つまりSSS式ではそのレベル以前で特に学校英語、受験英語で英語アレルギーになった人々に有効だと思っています。
>学習には「動機づけ」が重要と考えるが、英語学習ではしばしば教材が文学系に偏りがちの感がある。貴サイトでもお勧めや教材で目立つのは小説で、児童書もあり、社会人には不備と感じる(児童書がくだらないというのではありません。小生も「モモ」やエーリヒ・ケストナーの作品の英訳など、今でも時々拾い読みします。しかし大人にとって児童書は適不適の個人差が大きすぎると思います)。社会人のためには、もっとノンフィクションや時事社会問題、異文化論などを増やし、実社会に即した選択肢を拡げた方が動機付けとしても好ましいと考えますがいかがでしょうか。
この点は私も同感です。SSS式の効果は上に述べたものと考えていますが、graded readerがスムースに読めるようになれば、後は、仰るように選択肢を広げるべきだと考えます。 更にこの考えを推し進めて意見を言わせて頂けるなら、graded reader はなるべく早く卒業し、普通のペーパーバックに移行すべきだと考えます。その方が年相応の読書が可能になり、「動機づけ」に有効だと思われるからです。
>従来の文法学習が不自然な例文と無味乾燥な解説に終始していた側面があるのは事実でしょう。しかし相当量のエネルギーを積み重ねた学校での学習を無益有害として捨て去るのではなく、それをassetとして再生利用する手だてを探ることも必要ではないかと思う次第です。
SSS式でもそれまで否定しているのではないと思いますが? 学校英語、受験英語の弊害は上記の通りですが、その中にも活用出来るものがあるとすれば、主に文法知識だと思います。学校英語や受験英語をそれなりに真面目に通過してきた人には、大抵の文法事項は多読の中で自然に思い出してくるものだと思いますし、紛らわしいものは強く疑問が生じた段階で文法書を参照すれば足りると思います。
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お名前: 転向者
投稿日: 2002/6/26(23:46)
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>SSS式でもそれまで否定しているのではないと思いますが?
貴学習法を十分理解しているとは言い難い面もありますが、掲示板などでこれまで
書かれている内容を読む限り、文法学習にはかなり否定的との印象を受けましたが。
このHPの最初のページに書かれている
「中1修了程度の初歩の文法と基本単語200〜300語程度を知っている人が、
多読を中心とするSSS英語学習法で学習すれば、誰でも半年〜2年の短期間で
ペーパーバックを辞書無しで楽しめるようになります」
という文言も、「中2以降の文法は必要ない」と受け取ることも可能かと
思います。実を言いますと「果たしてそんなことがありうるのだろうか」と思って
このサイトを読み進めることになった訳ですが。
貴学習法は実は違うのかもしれませんが、「語学はとにかく聞き、とにかく
読むこと。子供はそうやって言葉を習得している」という説がありますが、もはや
子供にはなり得ない大人に対しては無責任かつ実用的でないと思っています。
音声面では私もかつてシャドウイングをかなり実行しましたが、意味の取れていない
内容をただオウム返しに何回繰り返してもあまり効果はなく、逆にしっかりと
理解した内容を教材として使ってこそ意味があると思うようになりました。
外国語は、「量と質の両面を」「意識して」追求しなくてはダメだ、というのが
私の今の考えです。私が業務でまとまった文章を英語で書く必要に迫られた時、
如何に自分の英語がフィーリングに頼って築かれたものかを痛感しました。
また日本語の話ですが、私はアナウンスメントを業務とする年若い知人がいます。
毎日しっかりチェックの入った原稿を声を出して読んでいる割には、彼が業務で
書く日本語が上手だと思ったことはありません。ちょっと難しいと振り仮名が
なければ読めない漢字が多いことにも驚いています。いくら話すことが好きでも、
舞台度胸があっても、原稿を声を出して何回読み上げても、それだけでしっかりした
言葉の力がつく、という訳にはいかないことを実感しました。
やはり自分で意識的な努力をしなくてはいけないのです。「ペーパーバックを
読めた」と思っても、果たして自分の理解は正しいのだろうか、単に筋が取れた
だけではないのだろうか、と自問する姿勢が大切なのだと思います。貴学習法が
「自分なりにとにかく英語の本が読めるようになる」ことのみを最終目的とするなら
別ですが。
>つまりSSS式ではそのレベル以前で特に学校英語、受験英語で英語アレルギーに
なった人々に有効だと思っています。
確かに同感で、学校で英語を学んだ上で、興味のある分野に英語で触れることが
何よりも大切なのに、その方向に児童生徒を誘うことが、余りに疎かにされてきたと
思っています。「興味のある分野」とはちょっと違いますが、私が数年前まで
所属していた英語を日常的に使う部署では、業務で否応なく多読多聴を迫られると、
それまで受験英語の学習しか経験のない人であっても皆必ず英語が伸びていました。
逆にいうと、受験・学校英語であっても、しっかりした基礎が出来ていれば多読と
多聴が起爆剤となるのでしょう。逆に私は、それまでの多読や多聴による学習で
(何となく)読め、(何となく)聞き話すことができるレベルにはありましたが、
仕事を通じて、感覚的な英語力に留まっていると痛感し、文法や語法の意識的学習に
転じたのでした。
私の限られた経験でしかありませんが、私の周囲で、帰国子女でも語学の天才でも
ない、中学生から学習を始めた凡人がそれなりの英語力をつけた例を見ると、
いずれも学習歴のどこかで、「量」と「質」を、それぞれ集中して学習した時期が
あったというのが共通しているように感じます。
とりとめがなくなりました。長文失礼しました。
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お名前: 浜谷 http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
投稿日: 2002/7/20(00:18)
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〉>SSS式でもそれまで否定しているのではないと思いますが?
〉貴学習法を十分理解しているとは言い難い面もありますが、掲示板などでこれまで
〉書かれている内容を読む限り、文法学習にはかなり否定的との印象を受けましたが。
〉このHPの最初のページに書かれている
〉「中1修了程度の初歩の文法と基本単語200〜300語程度を知っている人が、
〉多読を中心とするSSS英語学習法で学習すれば、誰でも半年〜2年の短期間で
〉ペーパーバックを辞書無しで楽しめるようになります」
〉という文言も、「中2以降の文法は必要ない」と受け取ることも可能かと
〉思います。実を言いますと「果たしてそんなことがありうるのだろうか」と思って
〉このサイトを読み進めることになった訳ですが。
SSS式の古川先生からレスがありましたが、以下先生が特にコメントされなかったところに関し2、3コメントさせていただきたいと思います。同サイトの「学習法」の中に「100万語を超えてくると、徐々に英語が自然に身についてきます。その段階で、文法・語法を学べば、より自然で教養のある英語も書けるようになります。」との記述があります。ただ私も中一終了程度の初歩の文法で多読に入るのははっきり言って無理だと思います。中3までの文法は必要で、単語も1500語は知っておく必要があると思っています。私の場合多読に入る前に英和豆単をAからZまで主要な意味を1個か2個に絞って10回程おさらいしました。(SSS式のようにgraded readerだともっと少なくてもいいかも知れませんが、多く知っておくに越したことはないでしょう)
〉貴学習法は実は違うのかもしれませんが、「語学はとにかく聞き、とにかく
〉読むこと。子供はそうやって言葉を習得している」という説がありますが、もはや
〉子供にはなり得ない大人に対しては無責任かつ実用的でないと思っています。
〉音声面では私もかつてシャドウイングをかなり実行しましたが、意味の取れていない
〉内容をただオウム返しに何回繰り返してもあまり効果はなく、逆にしっかりと
〉理解した内容を教材として使ってこそ意味があると思うようになりました。
シャドーイングする教材は同「学習法」で言及されてはいませんが、私は当然よく意味のとれている内容のペーパーバックでなければならないと思います。古川先生どうでしょうか?
〉外国語は、「量と質の両面を」「意識して」追求しなくてはダメだ、というのが
〉私の今の考えです。私が業務でまとまった文章を英語で書く必要に迫られた時、
〉如何に自分の英語がフィーリングに頼って築かれたものかを痛感しました。
〉また日本語の話ですが、私はアナウンスメントを業務とする年若い知人がいます。
〉毎日しっかりチェックの入った原稿を声を出して読んでいる割には、彼が業務で
〉書く日本語が上手だと思ったことはありません。ちょっと難しいと振り仮名が
〉なければ読めない漢字が多いことにも驚いています。いくら話すことが好きでも、
〉舞台度胸があっても、原稿を声を出して何回読み上げても、それだけでしっかりした
〉言葉の力がつく、という訳にはいかないことを実感しました。
〉やはり自分で意識的な努力をしなくてはいけないのです。「ペーパーバックを
〉読めた」と思っても、果たして自分の理解は正しいのだろうか、単に筋が取れた
〉だけではないのだろうか、と自問する姿勢が大切なのだと思います。貴学習法が
〉「自分なりにとにかく英語の本が読めるようになる」ことのみを最終目的とするなら
〉別ですが。
〉>つまりSSS式ではそのレベル以前で特に学校英語、受験英語で英語アレルギーに
〉なった人々に有効だと思っています。
〉確かに同感で、学校で英語を学んだ上で、興味のある分野に英語で触れることが
〉何よりも大切なのに、その方向に児童生徒を誘うことが、余りに疎かにされてきたと
〉思っています。
もう一度申し上げたいのですが、SSS式学習法はレベルが初期の段階の人に有効だと思っています。正しい読み方を身につけ、速読(ネイティブにとっては普通の速さ)出来るようにするのが主眼だと思います。量をこなせるようになったら(100万語程度がめやすか?)質に移行すべきだと私は思います。前述の文法に関するコメントと重複するようですが・・・。
「興味のある分野」とはちょっと違いますが、私が数年前まで
〉所属していた英語を日常的に使う部署では、業務で否応なく多読多聴を迫られると、
〉それまで受験英語の学習しか経験のない人であっても皆必ず英語が伸びていました。
〉逆にいうと、受験・学校英語であっても、しっかりした基礎が出来ていれば多読と
〉多聴が起爆剤となるのでしょう。逆に私は、それまでの多読や多聴による学習で
〉(何となく)読め、(何となく)聞き話すことができるレベルにはありましたが、
〉仕事を通じて、感覚的な英語力に留まっていると痛感し、文法や語法の意識的学習に
〉転じたのでした。
(何となく)読め、(何となく)聞き話すことができるレベルの力をつけるのがSSS式学習法だと思います。そういうことが従来一般的に疎かにされてきたのではないでしょうか? だから日本人はTOEFLの点数が他の国の人に較べて圧倒的に低いですし、10年英語をやっても喋れない人が沢山いる現状です。 従来文法や語法の学習漬けになって、いやになり英語学習そのものを諦めてしまう人が多かった、(現在も多い)という弊害を取り除こうとするのがSSS式学習法だと思っています。
〉私の限られた経験でしかありませんが、私の周囲で、帰国子女でも語学の天才でも
〉ない、中学生から学習を始めた凡人がそれなりの英語力をつけた例を見ると、
〉いずれも学習歴のどこかで、「量」と「質」を、それぞれ集中して学習した時期が
〉あったというのが共通しているように感じます。
繰り返しになりますが、集中して学習するには学習そのものが楽しくなければならないと思います。100万語ぐらいやれば英語の学習が楽しくなってくるのではないでしょうか? 私は自分自身ペーパーバックの多読が最初は苦しかった(普通のものでやったので、最初は30%ぐらいしか分からなかった、それでも対ネイティブ、ヒヤリングの際、同じような理解力でしかなくても、相手の言っていることを大雑把に掴む練習のつもりでやった)けれど次第に楽しくなり、文法などの「質」の勉強もどしどしすることが出来たと思っています。因みに多読中心の学習を3年間続けてガイドの試験に合格しました。
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1ヶ月前に投稿し、時々ここを覗いていますが、貴研究会の方々から
いまだにひとつもResを頂けないことに一抹の寂しさを覚えます。
もちろん「Resをお願いします」と求めているわけではありませんので
構わないことではあるのですが、小生が抱いた感想に対して、貴研究会の
方々がどのようにお考えなのか、ということはやはり興味があります。
以前あった揚げ足取りや「喧嘩を売る」印象を与える一部の書き込みは
「黙殺」されていたようですが、小生としては、感想は真面目に書いたつもりで、
以前のようなものと同一視されているのなら心外です。
速読を実践している人など、他の掲示板の書き込みには研究会の方々が
しっかりResをつけられているだけにちょっと気になります。
貴研究会が「自分たちに沿わない考えは一切取り合わない」ことを決め、
このHPも内輪向けのものに限定しているとは思いたくありませんが。
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お名前: AKIO FURUKAWA http://www.seg.co.jp/fakio/
投稿日: 2002/7/18(14:57)
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基本的に、下記のことは、HPに既に書かれているのですが、
重ねて答えさせていただきます。
1 SSSでは、文法の学習を否定しているわけではありません。
初期の段階で、文法を教えることは効率的でないと主張しています。
100万語〜200万語読んだ段階で、文法の学習をする方が
効率的であると主張しています。
〉・本来業務で多忙なビジネスマンは本当に自由時間が少ない。そうした中では、
〉自然な例文を使い的確な説明に則った文法学習であれば、効率的に英語の理解力と
〉運用力を増すことにつながりはしないか。貴サイトでは文法学習の欠陥として
〉例えば文法書のtheの説明をあげておられる。確かに学校で文法的規則を覚える
〉ことで冠詞はマスターできなかったかもしれない。が一方で、多読だけで冠詞の
〉概念を掴み運用できるようになるには、どれほど膨大な量の読書と時間が必要に
〉なることだろう。意識的に英語の仕組みを理解するよう努めることを、多読で
〉英語をそのまま呑み込む事とあわせて両輪とするのが、効率的な学習になりうると
〉考える(最近は実用的視点に立った文法解説書も出てきている印象もあります)。
〉・多読だけでは、フィーリング的理解に留まるおそれが拭えない。「精読は
〉否定せず、専門文献を読むときには、ゆっくり正確に読むことが必要」と
〉おっしゃっているが、専門文献でなくても、時にはじっくりと英文を読み込む事は、
〉思いこみによる理解を排し、作文や会話でより的確に自己表現をする上でも有効と
〉考える。また契約などに使われる英文は、いかに言質を与えないかに配慮した
〉書き方がされている(書き方をする)ことがあるのが社会の現実。英語を仕事の
〉武器としてウラまで読む込み、ケガをしないためには、英文構造や単語の意味を
〉解析する力も必要になる(実は、これが私の「転向」のきっかけのひとつでした)。
2 「自然な例文を使い的確な説明に則った文法学習であれば、
効率的に英語の理解力と運用力を増すことにつながりはしないか。」
もし、そういう理想的な文法書といものがつくれるというのなら
ぜひ作っていただけばと思います。私達自身は 結局そういう文法書
は作れない と思っています。 しかし、もし、誰かが 本当に
そういう文法書を作れるのであるならば、そのような文法書を
使うことを否定するものではありません。
3 契約などの文書を読むときには、もちろん、70%読みというわけには
いきませんね。
>時にはじっくりと英文を読み込む事は有効
ということについても、同意します。
要するにバランスの問題ですから。
そいうことが必要な場合にそうすることを否定するわけではなく、
必要に応じて、精読すれば良いのではないでしょうか。
私達の主張は、学習の初期段階に精読を強調するのは無意味
というだけのものです。
〉・学習には「動機づけ」が重要と考えるが、英語学習ではしばしば教材が文学系に
〉偏りがちの感がある。貴サイトでもお勧めや教材で目立つのは小説で、児童書も
〉あり、社会人には不備と感じる(児童書がくだらないというのではありません。
〉小生も「モモ」やエーリヒ・ケストナーの作品の英訳など、今でも時々拾い読み
〉します。しかし大人にとって児童書は適不適の個人差が大きすぎると思います)。
〉社会人のためには、もっとノンフィクションや時事社会問題、異文化論などを
〉増やし、実社会に即した選択肢を拡げた方が動機付けとしても好ましいと
〉考えますがいかがでしょうか。
4 ノンフィクションの選択を増やすべきということについては全く
その通りです。ぜひ、易しい英語でかかれた
ノンフィクションや時事社会問題、異文化論
について、推薦できる本があれば、ご推薦下さい。
私達も読んで紹介します。
〉「多読だけで自然に英語力がつく」という考えは、いかにも実用英語の指導を
〉ご専門とする方々が提唱する、学生など時間ある人や英語を趣味とする人に向けた
〉方法論、という印象があります。それは一種の理想型ではあるでしょう。しかし、
〉会社勤めの多忙な社会人にとっては、場合によっては回り道になりかねないと
〉思います。「鯨の公式」のように、従来の文法学習が不自然な例文と無味乾燥な
〉解説に終始していた側面があるのは事実でしょう。しかし相当量のエネルギーを
〉積み重ねた学校での学習を無益有害として捨て去るのではなく、それをassetとして
〉再生利用する手だてを探ることも必要ではないかと思う次第です。
〉長文失礼しました。
5 私自身は、全くasset だとは思った経験がありません。
しかし、asset だと思われる方が そのような 再生法を提唱し、
実践されるのであればそれはとても素晴らしいことだと思います。
ぜひ、そういうことを発表して下さい。
6 私達は、文法であれ、精読であれ、他の学習法を否定するものでは
ありません。どのような方法であれ、英語力が伸びるのであれば
それでよいと思っています。ただ、その方法で現実に伸びていない人が
多い、英語を嫌いになる人が多いので、多読による学習法を提唱して
います。 文法・精読で英語が好きになり英語が伸びるタイプの方
は、そのように学習されれば良いのではないでしょうか?