[掲示板: 〈過去ログ〉過去ログ2(英語教育についての論争) -- 最新メッセージID: 983 // 時刻: 2024/12/25(16:03)]
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お名前: 駿台生(元)
投稿日: 2002/3/10(22:51)
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〉〉〉他の国では初級英語を終了すると、遅くとも
〉〉〉高校レベルでは英語で書かれた英語学習書に入っているようです。
〉〉そういう国の多くは学問が自国の言葉でできないような知的殖民状況にある国です。
〉このような発言はtouchyです。
なぜいきなりtouchyなる英単語が出てくるのでしょうか??
はからずも英語帝国主義に対する精神的隷属が表出したのでなければ幸いですが。
日本語で書けばよいものを。
〉ありますね。フランス、イタリア、ドイツ・スイスなどでは、初歩から
〉ダイレクトメソッドで学んだという例も多く聞いていますが、これらの
〉言語と英語では文構造の隔たりが日本語・英語間ほど大きくない
まさにそうですよ。そのことを自覚しておきながらなぜSSSのようなやり方が日本で成立すると思っていらっしゃるのかわかりません。
〉残念ながら海外で、日本人は他のアジア人と較べてお金を持っていると
〉歓迎されはしても、知的レベルが高いとは認識されていません。
英語がしゃべれない=知能が低い・・・・・
悲しいことに「英語のしゃべれるインド人」ほど英語をしゃべれない日本人を蔑むということがあります。いくら流暢に英語を話しても彼の肌は白くならないのがまさに「悲しい」ところです。そしてそういう連中ほど自国民の非エリート層を蔑み精神的補償を得ている。旧植民地国の支配階級によく見られる滑稽かつ哀れで寒々しい風景・・
「海外どこいっても日本人たくさんいていやになっちょう」としきりに嘆いていた日本人女性と英会話学校で出会ったことがあります。「君自身日本人じゃないか」というと「あれとは違う」とのご返答。おそらく「英語のできるインド人」と同じ精神構造なのでしょうね。
〉大学出の学歴を持った人についての評価ですが、中国・インド人の方が
〉ずっと英語が堪能なので、
大学進学率も低く、学問が母語でできないような国との比較は間違っていると思いますよ。ただ、コミュニケーション能力を高めようと言うのは賛成ですけどね。それにしてもコミュニケーション重視のtoeicのスコアとSSSとの間にあまり相関関係はないようですね。アカデミックな英語主体のtofelならもっとずたずただと思います。
〉日本人に対する英語教育は日本人の手によって行なわれるのが
〉もっとも効率的だという論は、日本人英語教師の職場確保のためにする
〉論理でしょう。あなたが英語教師ならば、生存権のためにそう主張される
〉ことも致し方ないと諦めますが...
日本人英語学者や英文学者ほど惨めな存在はいないですね。いくら彼らが日本語で業績をふんでもそれは所詮は二流の仕事にすぎない。国内でいくら教授面をしたところで、日本人がやってもしょせんが二流を運命付けられた学問ですね。英語で論文を書いて発表できればいいのでしょうが、たとえそれでもネイティブをむこうにまわしていかなる学問的貢献がなしうるのか??疑問ですね。自然言語から離れてより普遍的な言語学的考察を行うしかないでしょう。
さて、そんな日本人にも唯一存在意義が認められるのは英語教師という仕事でしょう。なるほど伊藤は大学の英語教師ほどは英語ができなかったかもしれないけど、彼が英語教育で残した業績は極めて大きなものなのです。
英語教師でもない私が日本人英語教師に期待するのは彼我の文法構造の相違を把握した上で効率的で知的な授業を展開して学生に常に知的刺激を与えてほしいということ。日本人英語教師は二流と考えられているまりあさんにその存在を否定されて酒井さんはどんな気持でしょう?まあ、日本人教師の酷い発音が生徒の脳髄を破壊していることは真実ですけど。音声面への配慮がなさすぎますね。駿台は教材にCDがついてたので助かりましたけど(笑)
〉高校生が夏休みにニューヨークに行ける時代です。もう元駿台生
〉なのですから、いつまでも受験英語や旧時代の英語にしがみつかず、
私はもう形を超えて読むことができるので伊藤のことなど忘れていました。でもそうなったことは伊藤の本を読んだおかげです。伊藤は通過点にすぎませんけど。
それから旧時代の英語というけど、英文解釈教室的英語って大学の原典購読でばんばんでてきますけどね。100年前の英語じゃないです。
ラッセル、クワイン、チョムスキー、クーン、ロールズ、セン、ケインズ・・・
あげたら切りがない。あれはイビツな英語なんですか?
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898. 「駿台生」さんへの慶大生の反論。「駿台生」さんはもっと勉強を。
お名前: a university student(senior)
投稿日: 2002/3/11(00:56)
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〉日本人英語学者や英文学者ほど惨めな存在はいないですね。いくら彼らが日本語で業績をふんでもそれは所詮は二流の仕事にすぎない。国内でいくら教授面をしたところで、日本人がやってもしょせんが二流を運命付けられた学問ですね。英語で論文を書いて発表できればいいのでしょうが、たとえそれでもネイティブをむこうにまわしていかなる学問的貢献がなしうるのか??疑問ですね。
そんことはありません。アメリカの学界で業績を認められている日本人の言語学者は
います。例えばUCの福井直樹氏など。
>自然言語から離れてより普遍的な言語学的考察を行うしかないでしょう。
違います。自然言語の考察を通して普遍文法の構築を目指すのが生成文法です。
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〉〉日本人英語学者や英文学者ほど惨めな存在はいないですね。いくら彼らが日本語で業績をふんでもそれは所詮は二流の仕事にすぎない。国内でいくら教授面をしたところで、日本人がやってもしょせんが二流を運命付けられた学問ですね。英語で論文を書いて発表できればいいのでしょうが、たとえそれでもネイティブをむこうにまわしていかなる学問的貢献がなしうるのか??疑問ですね。
〉そんことはありません。アメリカの学界で業績を認められている日本人の言語学者は
〉います。例えばUCの福井直樹氏など。
そりゃあさがせばいるんでしょうな。英文学者はよけいに困難だと思うけどねえ。そもそも文学を論ずる人間は文学をやる人間に永久に勝てないのに・・・それに加えて語学のハンディ。まあ理系や経済学よりはるかに困難でしょうなあ。事実上存在意義はない。まあ、しょせん、他人の専門、こんなことはどうでもいいことだけどね。