[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/12/26(12:24)]
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14026. Re: 「なんで英語やるの?」大きすぎるテーマだけど答はある。
お名前: チクワ
投稿日: 2004/9/30(23:28)
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のびこ〜さん、こんばんは。チクワです。一晩お待たせしてしまいましたー。
〉「なんで英語やるの?」という本に出会ったのが丁度大学受験時期でしたの
〉で、その当時の答えは「受験に必要だから英語を勉強します」でした(笑)
〉当然と言えば当然です。
以前にもどこかのスレッドでのびこ〜さん、この本のお話されてましたよね。
そりゃー、そんな時期に出会えば、その答は至極当然ですねえ。
〉<この本、続編も出ているんですよ・・・二冊とも持っています>
知らなかったー。おー、二冊とも持っているんですかー。
〉当時この本を読んでしまったら自分はもしかしたら英語を勉強する気が失
〉せ、受験英語を捨ててしまい、果ては大学にも落ち、気が付いたら盗んだ
〉バイクで走り出す〜の尾崎豊の世界に入り込んでしまうのではないかと思
〉い読むのをやめました(笑)
〉でも本当に怖くて読めなかったんです(これは本当の話)
で、読んだのはいつ?
〉あなたは何故英語を勉強するのと問われて
〉「ただ好きだから英語を勉強します」とはっきり言える人は放っておいても
〉勉強するからそんな方々は放っておけば良い。
私は、わりと「ただ好き」に近い状態でした。
でも、「学校教科」の英語は、「英語が好き」でも勉強しなかったりして・・・
〉私の場合は「ただ好きだから」なんて口が裂けても言えません。
本当は「ただ好き」だけど、人には言えないっていうお気持ちだったとか?
〉私の場合は「英語好きかも(?)」といつも?マークが付いていました。
〉この?マークは危ういものでして英語の成績如何では一瞬にして?
〉マークが消え失せ「英語好きかも(?)」が「英語嫌いっ!」になってしま
〉うという大変不安定な状況に私はいました。
本当は「ただ好き」なのに、成績に翻弄されて、突き放されたような悲しい思いを
されることもあった?
〉好き?かもしれない。でももし英語を勉強しなくても良いんだよと囁かれ
〉たら英語を勉強しないような気もする。
英語を勉強しなくても良いって、受験科目、就職試験科目から英語がはずされるような状況?
うーん、これは・・・どうかなあ。みんな、どう思うんだろう。興味ありますねー。
受験科目から英語をはずそう、っていう提案をする識者は結構いますよね。
そうすると、多くのひとは勉強しなくなるかもしれませんね。
〉こんな不安定な気持ちが英語を学び始めてから何年いや何十年続いたこと
〉でしょう。
でも、嫌いにはなりきらなかった、英語なんていらないと決めきらなかったのは何故?
必要性を感じたから?
それともココロのどこかに、「ただ英語が好き」っていう部分があったから?
「ただ英語が好き」ってどういう状況だと思います?
「ただ英語が好き」なら放っておいても、その人は勉強するだろうっておっしゃってるから
イコール「ただ英語の勉強をするのが好き」って思っていらっしゃるのかな?
うんうん、確かにそういう方もいらっしゃるでしょう。そのほうが多数派なんだろうな。
わたしはですねー、習い始めから音読が好きでしたから、英語の音とリズムが好き
英語を発声するのが好き、っていう感じでした。歌とかも。
あと、英語をオモチャにして遊ぶのも好きでした。
3.3 centimeters hat ってだーれだ、violet ceremony partってだーれだ、とか
クイズを作ってみたりー。(当時purpleって知らなくて。)
中学の間はテストの点数、取れていましたが、私の英語好きは英語の勉強好きとは
関係なさそうでしょー?高校のときも、好きな科目は?って聞かれれば「英語」とは
答えましたが、必ずしも「点のとれる科目」ではなかったです。平均点以下とか
よく取っていました。英語に関してはどこまでもノーテンキなんです・・・
まーでも、こんなヘンなひとはほっときましょう。
〉多読を始めてから「面白いから英語の本を読んでいます」に変わりつつあり
〉ます。それでも英語で会話すること自体は興味があっても英会話という英
〉語の会話を学ぶことには全く興味なし(爆)
うーん、暴論ですが、英語で会話ができるかどうかは、「英会話」を学んだかどうかではなく
なんといっても、気のもちよう、っていうのが一番大きいように思います。
ある程度度胸をつけるための場がほしい、くらいなら分かりますけれど。
〉英語を学ぶというのは語学を通してその国の文化も学ぶことなんだ
〉というのは分かりますが、一部本当の疑問符なしの英語が好きな子
〉以外は、何故英語を学ぶのかといったらそれが受験に必要だからと
〉か、英語の試験で良い点を取りたいというのが答えになってしまう
〉のではないでしょうか。これは子供たちだけではなくTOEICで良い点
〉を目指す大人にも言えるのかなと。
現状、そんな感じに見えますね。
(あー、疑問符がなくても、昔の私みたいなスチャラカ英語好きは
文化を学ばないかもしれません。)
でもでも、多読が英語教育の主流になれば、学習者はきっと
文化やお互いの違いに目がいくと思います!のですけど。
〉いっそうのこと語学学習に点数をつけるというのをやめてみたら何
〉故英語を勉強するのかという質問に対しての答えもまた変わったも
〉のになるのではなかろうかと暴言を吐くのびこ〜でした。
今までどおりの教え方で、点数をつけるのだけをやめると、英語を勉強する人は減りますよね。
多読を導入して、点数をつけるのをやめると、学習者の数は保たれたまま、
文化に目をむける人が増える、と。
〉語学を個人で学んでいる限りは点数を他から付けられる必要はない
〉ですが(TOEIC受験などで自分から点数をつけてもらう機会を得るこ
〉とは出来る)、学校で語学を学ぶとなると成績というものが付いてま
〉わりますからね。
はあぁ〜〜(タメ息)そうですねぇ・・・何とかならんもんか。
その答はあるのにねー。
〉英語好き、語学好きを増やすためには学校で語学を教えないよう
〉にするか、教えても点数を付けないようにする又は、語学を学ぶ
〉というのは、語学を通して他の国の文化を学ぶことなんだよとい
〉う本来の意義を強調した語学教育を行うなどすれば、「なんで英語やるの?」
〉と問われた時「ただ好きだからやるの〜」という人が今よりも増える
〉んじゃないかなと思います。
英語がただ好き・・・自国語でない言葉を、不自由な思いをしながら使う、そのもどかしい
ような時間が好き、自分と違う他者と、尊敬しあえる人間性を認めあえるよう、お互いを
表現しあうのが好き。
そんなふうになっていけるといいですよねー。(その答は「多読」ですよねー)
前の方で、のびこ〜さんに、問いかけましたね。
英語を嫌いになりきらなかったのは、
ココロのどこかに、こんな「ただ英語が好き」っていう部分があったから?
学校英語に翻弄されながら、のびこ〜さんはきっと心の底で、文化や人を学べる英語を
求め続けて来られたのではないかなー。
そういう人、多いんじゃないかなー。
みーんな多読を求めてる!!
ではではでは。
P.S. たださんに多数ご出演いただきました。ありがとうございました。
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14034. Re: 「なんで英語やるの?」大きすぎるテーマだけど答はある。
お名前: のびのびこ〜た http://maemuki.com
投稿日: 2004/10/2(01:14)
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チクワさん
こんにちは(^_^)
〉以前にもどこかのスレッドでのびこ〜さん、
〉この本のお話されてましたよね。
〉そりゃー、そんな時期に出会えば、その答は至極当然ですねえ。
以前どこかのスレッドに書き込んでいましたか?完全に忘れてました(汗)
〉〉<この本、続編も出ているんですよ・・・二冊とも持っています>
〉知らなかったー。おー、二冊とも持っているんですかー。
二冊とも本棚に眠っています。
〉で、読んだのはいつ?
未だに読んでいないんです(汗)でも読むのが怖いという気持ちはなくなりました。
〉〉あなたは何故英語を勉強するのと問われて
〉〉「ただ好きだから英語を勉強します」とはっきり言える人は放って
〉〉おいても
〉〉勉強するからそんな方々は放っておけば良い。
〉私は、わりと「ただ好き」に近い状態でした。
〉でも、「学校教科」の英語は、「英語が好き」でも勉強しなかったりして・・・
〉〉私の場合は「ただ好きだから」なんて口が裂けても言えません。
〉本当は「ただ好き」だけど、人には言えないっていうお気持ちだったとか?
いやあ、そういうわけでもないですね。
英語の勉強をしだしてから英語の成績がUPし得意科目の一つになった
ので、好きな科目は何ですかと問われた時は英語と答えていましたが、
仮に英語の成績が悪かったとしたら、同じように好きな科目は何です
かと問われた時、英語ですとは答えていなかったと思います。私の英
語が好きですなんていうのも英語の成績に支えられていたものなのか
なと思うのです。
でも学校という狭い枠組みの中では単純に英語の成績が良いだから英
語が好きと錯覚してしまっても仕方ないかなとは思います。点数が良
い、成績が良いと単純に嬉しいですものね。
ここで少し「なんで英語やるの」とは脱線します。お赦し下さい。
「英語の成績」と「英語が好き嫌い」のパターンをいくつかあげてみました。
(1)英語の成績が良い -> 英語が好き
(英語が好き -> 英語の成績が良い)
(2)英語の成績が良い -> 英語は嫌い
(英語は嫌い -> 英語の成績は良い)
(3)英語の成績が悪い -> 英語は嫌い
(英語は嫌い -> 英語の成績は悪い)
(4)英語の成績が悪い -> 英語は好き
(英語は好き -> 英語の成績は良くない)
私は(1)に該当するのかなと思います。もし「英語の成績」が良いから悪いに
なったとしても英語が好きであると言えたか即ち(4)のように自分はなって
いただろうかというと甚だ疑問です。
恐らく英語の成績が悪かったら私は(3)になっていたんじゃないのかなと思
います。
最初に英語に対する愛があって、英語を勉強したわけではないので。英語
を勉強しだしたらなんとなく成績がUpしたから英語を好きと錯覚していた
状態に近いかと思います(当時)
寂しい時に優しくされると好きかもと錯覚するのと同じ感覚かと(謎)
(これは典型的な勘違い男のパターンか・・・)
(2)の方というのは非常に珍しいタイプかなとは思います。成績が良いけど
でも他の言語の方が好きなんだと言う方がいてもおかしくはないですよね。
問題は(3)です!!
この方々は、成績が悪いというだけで英語を放棄されているわけです。
この方々こそ英語教師は救いの手を差し伸べて、英語というのはテスト
で良い点を取るものだけではなく、英語を通して他の国の文化を学ぶと
いうことでもあるんだよということを強く主張して、(3)の方々を少な
くとも(4)のところまで引き上げるべきだと思います。
(4)の方々は成績は悪いけど、英語に対する愛はあるわけですから、多
読などの英語から成績を切り離したフィールドではのびのびと生活でき
るから私は心配はないかなとは思います。
〉〉私の場合は「英語好きかも(?)」といつも?マークが付いていました。
〉〉この?マークは危ういものでして英語の成績如何では一瞬にして?
〉〉マークが消え失せ「英語好きかも(?)」が「英語嫌いっ!」になってしま
〉〉うという大変不安定な状況に私はいました。
〉本当は「ただ好き」なのに、成績に翻弄されて、突き放されたような悲しい思いを
〉されることもあった?
成績に翻弄されたという覚えは特にないかと思います。
英語の成績が悪かった時(中学生前半)は、成績が悪いということ自体何も
気にしていませんでした。
勉強しだしてからは英語の成績が良くなって残りの学生時代は理系の割に
は比較的英語はよく出来たかと思います(凄く出来たというわけではないで
す)
〉〉好き?かもしれない。でももし英語を勉強しなくても良いんだよと囁かれ
〉〉たら英語を勉強しないような気もする。
〉英語を勉強しなくても良いって、受験科目、就職試験科目から英語がはずされるような状況?
そうです、その状況です。
〉うーん、これは・・・どうかなあ。みんな、どう思うんだろう。興味ありますねー。
〉受験科目から英語をはずそう、っていう提案をする識者は結構いますよね。
〉そうすると、多くのひとは勉強しなくなるかもしれませんね。
〉〉こんな不安定な気持ちが英語を学び始めてから何年いや何十年続いたこと
〉〉でしょう。
〉でも、嫌いにはなりきらなかった、英語なんていらないと決めきらなかったのは何故?
〉必要性を感じたから?
〉それともココロのどこかに、「ただ英語が好き」っていう部分があったから?
↑ここマーカーペンでびーっしたいです。
じゃ何故英語を捨てる事が出来なかったか?
必要性だと思います。今の時代、大声で英語なんて必要ねえよーなんて勇気を持って言える方はいいです。
結局私は英語なんて必要ないなんて小声でも言えないぐらいの小心者なんです。
世の中、英語、英語、英語、英語、英語ですよ。
最近ここに韓国語が少し入ってきましたけど。
誰でも英語の必要性を感じずにはいられない。
実際日常生活で英語を使う機会が少なくてもです。
悔しいけど英語の世界標準語の地位は今後も続くでしょう。
それが日本語に代わるなんてことはほぼ間違いなくないわけです。
そうするとなんとなく英語というものを身につけておいた方が
得なんじゃないかという気分になるじゃないですか。
実際仕事や日常生活で英語を使う機会なんて限られていると思います。
(少数の人を除けば)
それにも関わらず書店には英語の学習本が溢れ、町には英会話教室が溢れ
ているのは、英語をやっておけば得かもしれないという気持ちと英語をや
ってないと不安という気持ちがない交ぜになった人が多いからだというの
は暴言でしょうか(暴言だろう・・・)
実際漠然とした不安が支えとなって英語学習をしている人もいると思うん
ですよね。
私もそれと同じで(同じでしたと言うべきかな)もし英語を捨ててしまった
ら将来困る(かもしれない)からという不安があったから(認めたくないけど)
今までいろいろな英語教材に手を出して勉強していたのかなと思います。
決して英語を愛していたから勉強していたんじゃないんです。愛がないの
に英語を勉強していたんです。
でも私は昨年多読に出会いました。
そして今は英語を勉強しているという感覚はなくなりつつあります。
いや無いといっても過言ではありません。
ただ本当に面白いから英語の本を読んでいるんです。
英語に対する愛が生まれつつあるということでしょうか??
〉「ただ英語が好き」ってどういう状況だと思います?
〉「ただ英語が好き」なら放っておいても、その人は勉強するだろうっておっしゃってるから
〉イコール「ただ英語の勉強をするのが好き」って思っていらっしゃるのかな?
〉うんうん、確かにそういう方もいらっしゃるでしょう。そのほうが多数派なんだろうな。
〉わたしはですねー、習い始めから音読が好きでしたから、英語の音とリズムが好き
〉英語を発声するのが好き、っていう感じでした。歌とかも。
〉あと、英語をオモチャにして遊ぶのも好きでした。
〉3.3 centimeters hat ってだーれだ、violet ceremony partってだーれだ、とか
〉クイズを作ってみたりー。(当時purpleって知らなくて。)
チクワさんは、英語に対する愛があったんですね。
僕は愛がなかったので英語を使って遊ぶなんてことはしませんでした。
僕にとって英語は勉強する対象であって遊ぶ対象じゃなかったんです。
〉中学の間はテストの点数、取れていましたが、私の英語好きは英語の勉強好きとは
〉関係なさそうでしょー?高校のときも、好きな科目は?って聞かれれば「英語」とは
〉答えましたが、必ずしも「点のとれる科目」ではなかったです。平均点以下とか
〉よく取っていました。英語に関してはどこまでもノーテンキなんです・・
ここ読んで、さらにチクワさんが英語を愛しているてことが分かりました。
〉〉多読を始めてから「面白いから英語の本を読んでいます」に変わりつつあり
〉〉ます。それでも英語で会話すること自体は興味があっても英会話という英
〉〉語の会話を学ぶことには全く興味なし(爆)
〉うーん、暴論ですが、英語で会話ができるかどうかは、「英会話」を学んだかどうかではなく
〉なんといっても、気のもちよう、っていうのが一番大きいように思います。
〉ある程度度胸をつけるための場がほしい、くらいなら分かりますけれど。
確かにそうですね。英会話学んだから英語話せるてわけじゃないですものね。人と話したいという気持ちの方が本当大切だと思います。
英会話習っていなくたって、その人と話したいという気持ちがあれば英語を
話せるもんです(自分の経験)
愛があれば英語話せるんです!(暴言、何回目ぐらいでしょうか)
〉〉英語を学ぶというのは語学を通してその国の文化も学ぶことなんだ
〉〉というのは分かりますが、一部本当の疑問符なしの英語が好きな子
〉〉以外は、何故英語を学ぶのかといったらそれが受験に必要だからと
〉〉か、英語の試験で良い点を取りたいというのが答えになってしまう
〉〉のではないでしょうか。これは子供たちだけではなくTOEICで良い点
〉〉を目指す大人にも言えるのかなと。
〉現状、そんな感じに見えますね。
〉(あー、疑問符がなくても、昔の私みたいなスチャラカ英語好きは
〉文化を学ばないかもしれません。)
〉でもでも、多読が英語教育の主流になれば、学習者はきっと
〉文化やお互いの違いに目がいくと思います!のですけど。
100%同意します。多読を通して私はいろいろと英語で知識を、文化を
学びました。”英語で”がポイントです。
多読教育が今よりも広まり、成績が良い悪いに関わらず純粋に英語を
愛する人が増えることを願って止みません。
〉〉いっそうのこと語学学習に点数をつけるというのをやめてみたら何
〉〉故英語を勉強するのかという質問に対しての答えもまた変わったも
〉〉のになるのではなかろうかと暴言を吐くのびこ〜でした。
〉今までどおりの教え方で、点数をつけるのだけをやめると、英語を勉強する人は減りますよね。
ですよね!!↑☆マークつけて注目☆!!
結局それって、英語が純粋に好きだから勉強している人がいかに少ないかてことなんです。
〉多読を導入して、点数をつけるのをやめると、学習者の数は保たれたまま、
〉文化に目をむける人が増える、と。
〉〉語学を個人で学んでいる限りは点数を他から付けられる必要はない
〉〉ですが(TOEIC受験などで自分から点数をつけてもらう機会を得るこ
〉〉とは出来る)、学校で語学を学ぶとなると成績というものが付いてま
〉〉わりますからね。
〉はあぁ〜〜(タメ息)そうですねぇ・・・何とかならんもんか。
〉その答はあるのにねー。
チクワさんを含めた英語教師がこれから本当に英語を愛する人を増やしていかなければ!!!頑張ってください!!
〉〉英語好き、語学好きを増やすためには学校で語学を教えないよう
〉〉にするか、教えても点数を付けないようにする又は、語学を学ぶ
〉〉というのは、語学を通して他の国の文化を学ぶことなんだよとい
〉〉う本来の意義を強調した語学教育を行うなどすれば、「なんで英語やるの?」
〉〉と問われた時「ただ好きだからやるの〜」という人が今よりも増える
〉〉んじゃないかなと思います。
〉英語がただ好き・・・自国語でない言葉を、不自由な思いをしながら使う、そのもどかしい
〉ような時間が好き、自分と違う他者と、尊敬しあえる人間性を認めあえるよう、お互いを
〉表現しあうのが好き。
〉そんなふうになっていけるといいですよねー。(その答は「多読」ですよねー)
単一民族国家の日本で他者を尊重しあうことの大切さを教える一手段とし
て外国語を利用するというのは効果があるかもしれませんね。あるかもし
れませんねと申しましたのは現時点では外国語学習がそのようには使われ
てい例が少ないと思ったからです。
言葉を教える事に力を入れすぎなんですよね。
言葉じゃないんだ!!大切なのは言葉の裏に潜んでいる文化なんだ!!
事件は会議室で起こってるんじゃないんだ!!(謎)と呼びかけるのが
大切なのかと。
〉前の方で、のびこ〜さんに、問いかけましたね。
〉英語を嫌いになりきらなかったのは、
〉ココロのどこかに、こんな「ただ英語が好き」っていう部分があったから?
不順な愛が僕を支えていました
〉学校英語に翻弄されながら、のびこ〜さんはきっと心の底で、文化や人を学べる英語を求め続けて来られたのではないかなー。
うーん、どうなんだろう。自分の学んでいる英語はどこか違う、
こんな英語使い物にならないという気持ちはありましたけど、それが文化や人を学べる英語を求め続けるということは意味しませんよね。
やっぱり愛がなかったんだな・・・愛が
〉みーんな多読を求めてる!!
でも多読に出会えて、英語に対する愛も芽生えてきているのかな・・・
わからないやー
難しい事考えずに、好きな英語の本読んでいるだけだから〜
〉P.S. たださんに多数ご出演いただきました。ありがとうございました。
PS「愛」さんに多数ご出演頂きました、ありがとうございましたm(__)m
久しぶりにのびのびーとHappyReading!
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お名前: のびのびこ〜た http://maemuki.com
投稿日: 2004/10/6(00:42)
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こんばんは、のびのびこ〜たです。
==================================================================
○もし今なんで英語を勉強するのかと問われたら
私はただ英語の本を読んでいるだけで英語の学習教材なるものには現在
一切触れていないし、英語を学習しているという感覚も無いので、その
ような問いに対しては、「英語は勉強していませんので他の方に質問して
下さい」と答えるかと思います。
自分の場合は英語なんかもう出来なくても良い。
ただ英語を楽しめれば良いんだと思っています。
(逆ギレに近いものがある)
英語コンプレックスや試験としての英語から早く脱したい。
(脱しつつあるが、たまにひょこっと試験としての英語が頭を出す)
=============================================================
○自分の心に英語を愛しているか問うてみました(笑)
はっきり愛しているとは言えない、かといって嫌いだとも言えない。
どっち付かずの状態です。
多分嫌いじゃないから好きなんでしょう
昔、面と向かってこんなことを言われました。余計辛かったです(話脱線)
そんな感じで英語は嫌いじゃないから好きなんだろう。でも本当に好きな
のと問われると、う〜ん、好きですて即答できないんですよね。
本当に好きなら好きて言えるはず。
じゃあやっぱりそんなに好きでもないのか。
しかし夜中に自分は、何書いてんだ・・・
強引な結論:今だったら「何故英語を勉強するのか?」という本を素直に読む事ができるかも。
ではでは
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14075. Re: お返事で〜す。英語を愛することについて。
お名前: チクワ
投稿日: 2004/10/7(01:33)
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のびこ〜さん、やっほー、チクワです。
お返事なんですが、うーん、難しいです・・・byチクワ@正直者(汗)
でも、がんばろー。目指すは50点。
(いやー、昨日くらいまでは80点を目指していて、書けなかったので、目標下方修正です。)
〉(3)英語の成績が悪い -> 英語は嫌い
〉(英語は嫌い -> 英語の成績は悪い)
(4)英語の成績が悪い -> 英語は好き
(英語は好き -> 英語の成績は良くない)
〉問題は(3)です!!
〉この方々は、成績が悪いというだけで英語を放棄されているわけです。
〉この方々こそ英語教師は救いの手を差し伸べて、英語というのはテスト
〉で良い点を取るものだけではなく、英語を通して他の国の文化を学ぶと
〉いうことでもあるんだよということを強く主張して、(3)の方々を少な
〉くとも(4)のところまで引き上げるべきだと思います。
学校で、(3)の方々を(4)に引き上げるには、課外(課内も?)クラブ活動で多読、とかですかね。
従来型のカリキュラムの英語の時間もあるけれど、多読の時間も正課内にあるとか?
(多読だけでなく、音楽、映画(ドラマ)、スポーツを通して
英語に多量に触れる時間、という発想もありかも?)
その辺が第一歩ですね、きっと。
これは(多読の場合)実際にあちこちの学校で始まっているし。
(みなさま教師の広場をご参照くださいませ。)
でも、学校内に従来型の英語の授業しかなく、教壇から先生が「文化を学ぶ英語」を力説するだけでは
(4)に引き上げる、って無理なんじゃないかな。
で、英語が好き、ってどういう状態でしょう?(今さら問うか?)
ひとと気持ちを伝え合う手段として学んで、
だんだんその目的に近づいていけているっていう実感が得られている状態でしょうか?
たぶん、こんな感じが、まっとうな「英語好き」なんだろうなー。
でも私はまず、小さい頃に買ってもらったオモチャがお気にいりになったっていう感覚で
英語を好きになりました。そんなのおんまり誉められた話じゃありません。
その気持ちと、その後英語の音声リズム、
英語のリクツ(この間は書き忘れた・・・英語は日本語より論理的だと思っていた)を通して、
点数が悪くてもゆらがない「好き」となりました。
〉僕は愛がなかったので英語を使って遊ぶなんてことはしませんでした。
〉僕にとって英語は勉強する対象であって遊ぶ対象じゃなかったんです。
ふつう、英語は遊ぶ対象じゃないと思いますよ〜。
〉〉昔の私みたいなスチャラカ英語好きは文化を学ばないかもしれません。
〉〉でもでも、多読が英語教育の主流になれば、学習者はきっと
〉〉文化やお互いの違いに目がいくと思います!のですけど。
〉100%同意します。多読を通して私はいろいろと英語で知識を、文化を
〉学びました。”英語で”がポイントです。
はい。“英語で”がキモですよね〜。
〉多読教育が今よりも広まり、成績が良い悪いに関わらず純粋に英語を
〉愛する人が増えることを願って止みません。
実は、この、お返事が遅れた数日間、「英語を愛する」まで、必要だろうかー、
そして、それって可能かー、といろいろ考えてみていました。
これを、こう解釈すればチクワにすうっと納得いくのは
「学校科目の「英語」の成績が良い悪いに関わらず、
多読を愛する人が増えることを願って止みません。」というもの。
または「英語」の定義から、「学校英語、試験英語」を外して、なら分かるかな。
必要か?の方ですけど、わたしもときどき自問するんですが、
のびこ〜さんは、日本語、愛しています?
私はきっぱり「好き」とはいいません。英語も「愛して」まではどうだか・・・なので、
「好き」という言葉でこのあとのお話を続けさせていただきますが、
日本語 — まず、「日常使っている、使いやすい道具として、好き」
そして、「短さ、凝縮がイノチの短歌、俳句を芸術として生み出しているところが好き」
「メロディアスな響きがわりと好き(センス悪くてあんまり感じ取れないので、わりと)」
で、総合評価、結構好き、くらいかな。
英語は「結構」なんてつかずに「好き」ですね。(ああ、非国民)
理由は繰り返しになりますが
「英語の音声リズムが好き」
「大きい声に合って、腹式呼吸になりやすいのがきもちイイ(音声か?)」
「英語のリクツっぽいところが好き」
「肯定否定が前の方でわかることが多いのが好き(リクツに入るかな?)」
「非日常的感覚が好き」
実は「日本語が好き」っていう方の「日本語支持論」を伺ってみたいんです。
自分じゃ思いつけない「いい面」に気付かせてもらって、
日本語を見直すきっかけになるかもしれないから。
(あ、日本語好きな方って、「〜論」なんて嫌いかも。(爆))
でも正直なところ、なかなか「言葉が好き」っていう感覚を持つのは難しいんじゃないかなー。
(いや、「日本語が好き」っていうほうは結構聞くかなー。)
結局申し上げたいのは、
いーのよ、のびこ〜さん。多読が好きなら、英語そのものが好きでなくても。
外国語で人と気持ちを伝え合うのが好きなら、語学が好きでなくても。
ってことかなー。
さて、No.14069のご投稿ですがー、
〉自分の場合は英語なんかもう出来なくても良い。
おお、英語の「必要性」の呪縛からは解き放たれましたか?
〉英語コンプレックスや試験としての英語から早く脱したい。
〉(脱しつつあるが、たまにひょこっと試験としての英語が頭を出す)
新しく摂取してないんなら、大丈夫ですって。多読してるんだから。
わたしはー、新たな「文法」なんかは摂取してないけど、
日々おこたりなく更新しちゃってますよー。
あ、いや・・・今日見たGrammar in Useに、知らなかったことが書いてあったなー。
見たくなかった・・・
〉強引な結論:今だったら「何故英語を勉強するのか?」という本を素直に読む事ができるかも。
本が呼んだら開いてみてやってください。たぶんまだまだ眠っていたいんじゃないかなー?
では〜。
------------------------------
チクワさん のびこ〜さん こんにちは カイです。
ごめんなさーい 横はいり!ごく一部分だけ反応させていただきます。
〉必要か?の方ですけど、わたしもときどき自問するんですが、
〉のびこ〜さんは、日本語、愛しています?
〉私はきっぱり「好き」とはいいません。英語も「愛して」まではどうだか・・・なので、
〉「好き」という言葉でこのあとのお話を続けさせていただきますが、
そのあとを ちょっきん させていただきまして
私の最近の体験をちょっと
宮崎駿監督の「天空の城 ラピュタ」ご存知でしょうか?
先日この英語版の漫画を見せていただく機会をもちました。
題名は
『Castle in the Sky』
よい訳だろうと思います。想像の広がる夢のある題ですよね。
でもね...私は「天空」という言葉が好きなんです。
のびやかで美しい日本語ですよね。
なので、とっても、とっっっっっても がっくりきてしまったの...
そしてもう一つ、ハリポタ4巻「Goblet of Fire」より
ハリーが叫ぶ(絶叫だと思う)場面があります。
『 I wouldn't 』
ネタばれになるので詳しく書きませんが、ここでの日本語訳が
「僕は●●しない!」
その通りです...
でも、でも、ちがう!!!!!
(訳者の人の苦悩をひしひしと感じました。これを訳さなければならないなんて...)
こういう経験を積み重ねれば積み重ねるほど
「相手が本当に伝えたいことを理解したい」
という欲求が湧いてくるの。
『日本語に訳すのではなく、そのままの思いを受けとめられるようになりたい』
だからハンガリーの作者の方が書いた「ラチとらいおん」を読めばハンガリー語を知りたくなり
「ウッレのスキーのたび」を読めば、北欧に思いがはしる。
中国、フランス、イタリア、ドイツ、世界に言葉はどのくらいあるの?
とっても不器用なのでいっぺんに二つも三つもやれないし、英語だけでいっぱいいっぱいですが。
では!ちょっと的がずれましたが横レス失礼しました〜
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14144. Re: お返事で〜す。英語を愛することについて。<<ちくわさーん、リプライもうちょっと待ってください!!
お名前: のびのびこ〜た http://maemuki.com
投稿日: 2004/10/13(23:06)
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こんばんは、のびこです。
リプライもうちょっとしたらまた書きに来ます。
もうすこし待ってくださいm(__)m
ではでは、のびこ〜でした。
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14066. Re: 「なんで英語やるの?」大きすぎるテーマだけど答はある。
お名前: Judy
投稿日: 2004/10/5(23:50)
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Judyです。興味深い話題だったので、私も参加させてください。
私は英語の普及は世界平和につながると考えている人間です(私も愛のためにやる派です)。
私は言葉の壁というものがはやくなくなればいい、ここまで英語が普及しているのだから、もう英語でいいよ、その先にいこう、と思ってます。
英語をアメリカやイギリスの言葉としてではなく、世界公用語に認定し、そういう教育課程を設けることで、これからの子供たちは一生英語に時間もお金もかけることがなくなり、さらに自国語も話す。自分の国のことをはっきりと第2公用語である英語で議論していく。世界中の人がみんな普通に1つの言語(英語の可能盛大)を当然のこととして話すだけで、どれだけの問題が瞬時に解決されるだろうか、と思ってしまいます。
このトピックに関する興味深い本を紹介します。1.は偏見なし。日本語英語についてもふれてます。2.3.は対立した英語に対する考え方ですが、ネーティブが英語の普及に関してどう考えているかを知ることができます。
1. The Other Tongue: English Across Cultures (English in the Global Context)
by Braj B. Kachru
2. Linguistic Imperialism (Oxford Applied Linguistics S.)
by Robert Phillipson
3. English as a Global Language
by David Crystal
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お名前: apple http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/5353/
投稿日: 2004/10/6(00:30)
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Judyさん、こんばんは。
〉英語をアメリカやイギリスの言葉としてではなく、世界公用語に認定し、そういう教育課程を設けることで、これからの子供たちは一生英語に時間もお金もかけることがなくなり、さらに自国語も話す。自分の国のことをはっきりと第2公用語である英語で議論していく。世界中の人がみんな普通に1つの言語(英語の可能盛大)を当然のこととして話すだけで、どれだけの問題が瞬時に解決されるだろうか、と思ってしまいます。
おっしゃることも理解できるのですが、日本ならばほとんどの子どもが学校に行けますが、学校に行くことさえできない子どもが多い国もまだまだあります。識字率、当然低いです。母国語すら書けない人がいます。こういった国で、外国語まで学習できるのは、ごく一部のお金持ちになるかもしれません。
ただ、他の言語を学ぶこと、あるいは他の言語を知ったことで知れる多くのことが、文化の異なる他の国々の理解につながる可能性は高いと考えています。理解から平和につながってもいくことと思います。
悩むところは、親子で、日本語という母国語で話している際でさえ、さまざまな理由から「変な事件」が起きています。コミュニケーション、あるいは、インターナショナルアンダースタンディングというのは、言語というプロトコルが共通でも、それだけややこしいものだと考えています。
多読を通して色々なことに気づきつつ、「英語でない本は読めない」という妙なジレンマを感じています。まだアルファベット系の言語は辞書をひけば内容によっては推測できそうですが、そうでないと「???」という感じです。
一番は、いろいろな国に、飛び込んで見ることかもしれませんけどね。
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appleさんこんばんわ。レスありがとうございます。
とても興味深いですね。発展途上国の飢饉の問題も解決されていないこの時代に、グローバルイングリッシュなどと先読している先進国の人たちはさらさらおかしいのかもしれません。これらの国が軍事費に何100億も無駄金を使っている、世界の軍事費を使えば飢餓状態にある世界中の人を救えるそうです。そんな話をしたらきりがありません。私が信じているのは、みんなが裸になれば問題が解決できる、ということです。英語は世界が一つとして裸になる一つの重要な手段だと思っています。自分の利益、自国の利益、は全て恐れから来ているものだと思います。お金が儲かる方向に動く世界を、あげる方向にしていくことが大切だと思っています。英語は自分にとってくれるものが多いから、将来自分が得するから、するのではなく、英語をしたら日本語(私たちの場合)をできない人のいう考え方や感じ方もわかってあげることができるから英語をしてあげる。見たいな感じがいいような気がするのです。
人間の愛情もこういう感じですよね。「どうして彼と結婚したいの?」という問いに、「彼は○○してくれるから」と思うか「彼に○○してあげたい」から、と思うか。
英語をしてあげている英語が公用語でない国の人たちはすごく愛情があると思うのです。
appleさんの挙げていた親子関係の例。とても大切だと思います。人と人とのコミュニケーションの基盤は、自分がわかるのではなく、どこまで相手にわかりやすいようにしてあげられるか、という双方の愛情だと思います。まずは愛する横にいる人、そして家族、近所のコミュニティ、国家、世界と同じ枠で広がっていくといいですね。
英語でない本が読めない。私もそれを思っていました。こればかりは、他の国の方々が愛情を持って翻訳してくれるのを待つしかないですね。その点でも少なくとも英語が理解できるようになると、他の言語で書かれた本を(英語翻訳で)読む可能性もうんと上がります。まずは英語に翻訳されるので。
映画もそうですね。たくさんの映画が英語の字幕つきです。日本語の字幕でなく、英語の字幕で映画を探すようになってから、観る事ができる映画の枠が大幅に増しました。
なんだかだらだら書いてしまいましたが、うまく伝わるとうれしいです。-J
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14076. Re: 「なんで英語やるの?」大きすぎるテーマだけど答はある。
お名前: 杏樹
投稿日: 2004/10/6(23:00)
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Judyさん、こんにちは。
反論になってしまいますが、あくまでも私の意見として聞いてください。
〉英語をアメリカやイギリスの言葉としてではなく、世界公用語に認定し、そういう教育課程を設けることで、これからの子供たちは一生英語に時間もお金もかけることがなくなり、さらに自国語も話す。自分の国のことをはっきりと第2公用語である英語で議論していく。世界中の人がみんな普通に1つの言語(英語の可能盛大)を当然のこととして話すだけで、どれだけの問題が瞬時に解決されるだろうか、と思ってしまいます。
私は英語に対して「世界公用語」という特別な地位を与えることには賛同できません。確かに現在世界で一番通用している言葉ではありますが、それにお墨付きを与えることによってかえって「英語さえできればいい」という風潮になっていくことを危惧します。
EUでは複数の言葉が公用語として認められています。そこでも英語の通用度は大きいですけれど、複数の言葉を公用語とすることで、いろいろな言語を大切にしようという意識が生まれるからです。
言葉はあくまでもコミュニケーションの手段です。英語によって意思疎通ができて交流が深まるのはいいことです。しかし世界にはたっくさんの言葉があります。どの言葉にも優劣はありません。複数の言語を習得するのは難しいですけれど、「英語さえできればそれでいい」ではなく他の言語を尊重する意識を持つように心がけていたいです。
言葉の通じない国へ行った場合、その国の言葉はほとんどできなくても、あいさつだけでもそこの言葉で言うだけで雰囲気が変わるものです。私も外国へ行くときはあいさつぐらいは覚えていきたいと思っています。「ありがとう」の一言だけでもいいんです。「英語ができるからいらない」と思う事がない様にしたいものです。
また、言葉はコミュニケーションの手段ではありますが、話の通じない人、考えの全く異なる人同士ではには母国語同士でも通じないものです。英語ができれば問題が解決する、とは限らない、ということも申し上げておきます。
ですから私は英語はあくまでも世界中にあるたくさんの言葉のうちの一つ、ととらえておきたいです。
なんてことを考えるのは、私が特に英語が好きでも嫌いでもなく(受験英語はキライ)、それほど勉強をする熱意もなく、多読がなければ英語の勉強などさっぱり身に付かなかったところで、そこで英語ばかりが重要視されると「困るなあ」と思ってしまうからなのでした。
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14086. Re: 「なんで英語やるの?」大きすぎるテーマだけど答はある。
お名前: Judy
投稿日: 2004/10/8(01:57)
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杏樹さんこんにちは。お返事ありがとうございます。
杏樹さんのおっしゃることは全く反論ではありません。私も賛成のところが多いです。
appleさんへのレス読んでいただけるとうれしいです。
http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-g&c=e&id=14070
私は、独自の国のアイデンティティを持ちつつ英語が負担なく使いこなせる人間を養成できるようにしていくことが、平和に結びつくと考えているのです。これはもちろん私たちの命のある短時間では不可能です。今はどの国も多かれ少なかれ、自国語、他国語は使わないからしない、という状態です。そうではなく、自国語はもちろん大切、そして他国語はお互いわかりあうためにしてあげる、という意識と動きにもっとなれば、と思うのです。アメリカに、イギリスに、英語に犯されるという考えではなく、それを超えたみんなの理解のために、という感じでしょうか。私は今仕事のためアメリカに住んでいますが、アメリカでも英語ができれば言いという人はたくさんいます。英語を一生懸命しゃべってくれている外国人を見下す人もいます。私はそういう人には「あなたは母語である英語しかできないのに何を威張っているの」といいます。「相手はあなたとコミュニケーションをとるためにあなたの言葉でしゃべっているでしょう。それをどうして馬鹿にできるのですか」と。私はネーティブスピーカーが、語学学習者の多大な努力にあぐらをかいて、さらにそれを馬鹿にするような態度が大嫌いです。だから相手に目を覚ましてもらうようなことを言ってしまいます。彼らが日本に対して間違った考えを持っていたら、私から正していかなければいけないと思っています。私も差別にあっている一人でした。アメリカに来たころ、私の英語がネイティブではないため、黒人の女性秘書に用事を頼むと鼻であしらわれたことが何度もあります。初めは腹が立ちました。でも最後には彼女の見ている狭い世界に同情しました。アメリカでは見た目はみんなさまざまです。見た目でアメリカ人かどうかは分かりません。みんなもとは移民です。だから英語でアメリカ人かどうかを区別します。まだまだ差別の多い国です。日本のことしか考えることのできない日本人がいるように、アメリカのことしか知らないローカルアメリカ人も多いです。でもそれは当たり前です。でも私は自国のアイデンティを持ちつつ国の枠を超えた世界国民にみんななれたらと思うのです。そのためには自国の理解は当然、そして共通のコミュニケーション手段である英語(今の状況を考えると)が重要だと思うのです。