[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/1(19:16)]
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/10(02:45)
------------------------------
杏樹さん、こんばんは。道化師です。
久しぶりに投稿したら、硬派な所からビシビシレスが付いて、
たじろいでいます。
(NMSのせいで、文章が短くなりがちですので、誤解があったらスミマセン)
〉多分「未知単語率何パーセント」っていうデータを集めると、じゃあ未知単語率を下げればこれだけの本が読める、という結論を導いてしまうからです。未知単語を減らして○○語習得すればこれだけの本が読める、とか。
それは、そういう議論になっていったらの話だと思います。
でも、発言者のKYOさんを含め、そういう方向には
(少なくても、ここのSSSの掲示板では)
ならないと思います。
実際、未知の単語割合と理解度の非対応の発言も出ていたし。
だから、KYOさんの発言の結論を気にする必要はないと思うんですね。
(もし、気になるなら、議論を続けて、非対応の結論に持ち込めばいいし)
それよりも、気にすべきは「未知の単語への意識」という影響から見た時の、
二つの議論・企画の同質性なんです。
私自身は、この二つともあっていい議論、企画だと思っています。
「未知の単語へ意識を向かわせてはいけない」では、
あまりに過保護というか、ひ弱なタドキストを育成しようとしているのでは?
って思ってしまうのです。
「意識するな」って言われても、知らないものは意識しますよ。
その意識と、どう折り合いを付けて、多読をしていくかが、
タドキストの身に付けるべきスキルのひとつだと思うんです。
それと、杏樹さんからレスをいただいたので、もう一点。
(杏樹さんのみならず、多数の方からボコボコにされる危険性を覚悟の上で、
書いちゃいますね。それが、「議論」ですから。)
杏樹さんが「文章処理能力」「文章読解力」って言葉を使われていましたが、
私は、この言葉に「語彙力」と同じような危険性を感じるんです。
「語彙力」が「語彙力」を求めて身に付かないように、
「文章処理能力」「文章読解力」と言ってしまうと、
それを追いかけていけば、身に付くような気がしてしまうと思うんです。
私たちが多読を通して身に付けるのは、
果たして「文章処理能力」「文章読解力」なのか?って事です。
確かに、大量に読むことで、この二つの力は向上するでしょう。
でも、それはボキャビルことで「語彙力」が多少は増強する事に
似ているんじゃないか?って思うんです。
じゃあ、「文章処理能力」「文章読解力」が主なスキルアップじゃなくて、
多読して「読める」ようになるのは、何が原因か?というと、
「予測能力」なんだと思うんです。
こう書くとまた「知らない単語の意味を推測できる能力」って思われがちですが、
そうではなくて、もっと大きい単位で、
言ってしまえば、その小説を読む前に、何が書かれているか、
予測できているって、事だと思うんです。
(日本語で読んだ本を、原書で読むって言うのは、
この力を育成する為の方法でしょう)
正確に内容が予測出来ていれば、出来ているほど、
知らない単語、構文、文、があっても、意味を汲み取れるって事だと思うんです。
だから、好きなジャンル、好きな作家は、多く読んでいるから読みやすい。
GRも、児童書も、多読でたくさん読めば、
その内容の予測が立つようになるから、読めるようになる。
GRは、2時間ドラマのようなミステリーが多いですし、
児童書でいきなり「世間には抹殺しても良い人間がいる」なんて内容は、
決して出てきませんもん。
れなさんが書かれた納得力も、この予測と実際に書かれていることとの、
すり合わせる力なんだろうなぁって言う気がするんです。
予測能力だから、知らないジャンルは、やさしい単語で書かれていても、
意味がつかめないのだと思うんです。
文章処理能力、文章読解力だったら、読めるはずですもん。
(勿論、誰だって、常識ってものがありますから、知らないジャンルだって、
ある程度は「読める」=予測が立つでしょう)
文章処理能力、文章読解力と言ってしまうと、やっぱり、
たくさん読んで、あの文もこの文も覚えて、みたいな、
違う意味のビルディングが起きてしまうような気がして、
あえて書いてみました。
ではであ。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: チクワ
投稿日: 2004/3/11(00:03)
------------------------------
>杏樹さん、こんばんは。道化師です。
道化師さんこんばんは。五月蝿いチクワです。
杏樹さんからのご反論を、精神統一してお待ちなのでしょうね。
(ぶーん ぶーん ぶーん・・・)
> 久しぶりに投稿したら、硬派な所からビシビシレスが付いて、
> たじろいでいます。
ほくそ笑んでおいでなのでは?
> (NMSのせいで、文章が短くなりがちですので、誤解があったらスミマセン)
どうぞお大事に。NMS、まじに考え込みました。読み飛ばせなんだ・・・
>それと、杏樹さんからレスをいただいたので、もう一点。
>(杏樹さんのみならず、多数の方からボコボコにされる危険性を覚悟の上で、
> 書いちゃいますね。それが、「議論」ですから。)
>杏樹さんが「文章処理能力」「文章読解力」って言葉を使われていましたが、
私チクワは、「文書処理能力派」です。
道化師さんをボコボコに、なんてしてみたいけど、指先で弾かれるだけ
なんだろうな。
>私は、この言葉に「語彙力」と同じような危険性を感じるんです。
>「語彙力」が「語彙力」を求めて身に付かないように、
>「文章処理能力」「文章読解力」と言ってしまうと、
>それを追いかけていけば、身に付くような気がしてしまうと思うんです。
「〜力」という言葉があると、それを身につけるべく追いかけたくなる。
なるほど!うーん、その点にはあっさり「な〜るほど」です。
>私たちが多読を通して身に付けるのは、
>果たして「文章処理能力」「文章読解力」なのか?って事です。
>確かに、大量に読むことで、この二つの力は向上するでしょう。
私は個人的に「文章処理能力」のほうだけにしぼりたいんですが
まあ、それはおいといて。そう、これ(ら)の力がつくと思っています。
>でも、それはボキャビルことで「語彙力」が多少は増強する事に
>似ているんじゃないか?って思うんです。
私は、「文書処理能力」は、結果論的な力だと思っていたのです。
でも確かに先に言葉があると、「追い求めたくなる」ということは
考えられますね。
>じゃあ、「文章処理能力」「文章読解力」が主なスキルアップじゃなくて、
>多読して「読める」ようになるのは、何が原因か?というと、
>「予測能力」なんだと思うんです。
>こう書くとまた「知らない単語の意味を推測できる能力」って思われがちですが、
>そうではなくて、もっと大きい単位で、
>言ってしまえば、その小説を読む前に、何が書かれているか、
>予測できているって、事だと思うんです。
道化師さんのおっしゃる「予測能力」が
「知らない単語の意味を推測できる能力」ではない、というのはわかります。
「その小説を読む前に、何が書かれているか」ですか〜。
ほんとに大きい単位ですね。
わたしはもう少し小さい単位での「予測能力」の存在を考えたことがあります。
今読んでいる1文、1パラグラフくらいが、どう展開するか?という能力として。
多読を通してリスニング能力があがる場合が、結構ある理由として
よく言われるのが、まず「文を前から理解する力—これが文章処理能力」
「わからない部分の飛ばし読み技術が飛ばし聞きにもつながる」あたりだと
思いますが、それに加えることができるのが「文の展開予測能力」なのではないかな?
と。 (あと、多量の分量の文への「慣れ」とか。)
道化師さんの「予測能力論」からずれていますかねー。すみません。
>(日本語で読んだ本を、原書で読むって言うのは、
>この力を育成する為の方法でしょう)
>正確に内容が予測出来ていれば、出来ているほど、
>知らない単語、構文、文、があっても、意味を汲み取れるって事だと思うんです。
ふむふむふむ。そうですね。大きい単位の「予測能力」、大事ですね。
>れなさんが書かれた納得力も、この予測と実際に書かれていることとの、
>すり合わせる力なんだろうなぁって言う気がするんです。
はい。
>予測能力だから、知らないジャンルは、やさしい単語で書かれていても、
>意味がつかめないのだと思うんです。
>文章処理能力、文章読解力だったら、読めるはずですもん。
えー?、別々に両方成り立ってよいのではないですか?
たしかに早いうちから役に立ちそうなのは「予測能力」のほうかも
しれませんが。
>(勿論、誰だって、常識ってものがありますから、知らないジャンルだって、
>ある程度は「読める」=予測が立つでしょう)
そうですね。だから、日本語でいえば、あんまり好きではなくても
新聞のニュースが読めるのだし。
あ、多読では「あんまり好きではないもの」を読むのは勧められない
ですねえ。うーん・・・「文章処理能力」旗色悪し?
(「文章処理能力派」のみなさんごめんなさい。ハエ程度の反論でした。
しかも、頭のまわりを飛べばいいのに、壁にとまったまんまだ・・・
道化師さんはハエタタキを探しもしないでしょう。)
>文章処理能力、文章読解力と言ってしまうと、やっぱり、
>たくさん読んで、あの文もこの文も覚えて、みたいな、
>違う意味のビルディングが起きてしまうような気がして、
>あえて書いてみました。
そうかも。
でも、結果論的「文書処理能力」−(ビルディングせずともおまけで
ついてくる力)をなんとか擁護したいなあ。
>ではであ。
道化師さん、読んでくださってありがとうございました。
そうでなくても考えるきっかけをありがとうございました。
では〜。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/11(02:52)
------------------------------
こんばんはー、チクワさん。道化師です。
〉道化師さんこんばんは。五月蝿いチクワです。
〉杏樹さんからのご反論を、精神統一してお待ちなのでしょうね。
〉(ぶーん ぶーん ぶーん・・・)
はい、そうだったんですが、チクワさんからのレスの方が、
私にはより「予測」していたレスなので、
チクワさんに全力を尽くしちゃうぞー。
これぞ、まさに「飛んで火に入る・・・」ですねー(ヒッヒッヒ)
〉ほくそ笑んでおいでなのでは?
あっ、解りますー?
ペギーさんは、通過報告を書くと、次の通過報告の企画を立ててから、
次の100万語を読んで行くみたいですが、
私の場合は、何か投稿する時は、それに対するレスを予測して、
それに対するレスを大体準備してあるんですねぇー。(ヒャヒャヒャ)
〉どうぞお大事に。NMS、まじに考え込みました。読み飛ばせなんだ・・・
考え込ませてしまって、スミマセン。(イタ)
〉私チクワは、「文書処理能力派」です。
〉道化師さんをボコボコに、なんてしてみたいけど、指先で弾かれるだけ
〉なんだろうな。
いや、今は指先に力が入らなくて。(イタタ)
〉私は、「文書処理能力」は、結果論的な力だと思っていたのです。
〉でも確かに先に言葉があると、「追い求めたくなる」ということは
〉考えられますね。
私も、「文書処理能力」だけを対象にしたかったんですが、
杏樹さんが同義語的に使われていたので、併記しました。
じゃあ、「文書処理能力」に絞りましょう。
私が使った「予測能力」って言葉もいけないのですが、
「・・・力」が付く言葉だと、
個人のポテンシャルが問題にされてしまいそうな気もするんですね。
〉道化師さんのおっしゃる「予測能力」が
〉「知らない単語の意味を推測できる能力」ではない、というのはわかります。
〉「その小説を読む前に、何が書かれているか」ですか〜。
〉ほんとに大きい単位ですね。
ここで、今まであちこちに何回も書いてきた事ですが、
改めてお断りしときますね。
私は、英語に関して、教える立場でもないし、日常仕事で必要でもありません。
英語の学習を趣味にもしていないし、学校時代の英語の出来は劣悪です。
さらに、「好きだけれど出来なかった」のではなく、「嫌い」でした。
ですから、私の基本的な発想は「英語で読めるか?」ではなく、
母語である日本語を含めて「何故言語で本(文書)が読めるか?」なんです。
前置きが長くなりましたが、
例えば小説を一冊読もうとしてる場面を想像して下さい。
恋愛小説を選んで読もうとしているとします。
その時、その読者の脳裏には
「男と女が登場するだろう。そして、恋愛する。きっとその恋愛に何かの障害があるだろうな。お金か?親か?病気か?身分か?男女は一組だけかな?三角関係か、四角関係にでもなるのかな?結末は、恋愛成就するか、悲恋に終わるかだよな。」
ぐらいの予想はついていると思うんです。
で、その予想は8割方当たってると思うんですね。
(その予想に反して、男しか登場せず、男同志が哲学的な話題に終始して、
最後の最後に愛を囁き始めて、結ばれるなんてゲイ小説だったら、
とっても読みにくいでしょうねぇ)
それで、思ったとおり男女が登場してきて、その男女の容姿、年代、性格
などの条件が与えられる。
で、「なるほど、女の方が年上のパターンなんだな」とか思うわけです。
だとすると、男の親が反対するとか、若い他の女が現れて男の気持ちを
揺さぶるんだろうなぁとか、更に予測が続くわけです。
〉わたしはもう少し小さい単位での「予測能力」の存在を考えたことがあります。
〉今読んでいる1文、1パラグラフくらいが、どう展開するか?という能力として。
チクワさんの言う、この予測能力は、私の言う予測能力が、
読み進めて行くうちに、よりその本に沿ったものになって、
具体的、且つ、詳細になった最終形に位置すると思います。
〉多読を通してリスニング能力があがる場合が、結構ある理由として
〉よく言われるのが、まず「文を前から理解する力—これが文章処理能力」
〉「わからない部分の飛ばし読み技術が飛ばし聞きにもつながる」あたりだと
〉思いますが、それに加えることができるのが「文の展開予測能力」なのではないかな?
〉と。 (あと、多量の分量の文への「慣れ」とか。)
〉道化師さんの「予測能力論」からずれていますかねー。すみません。
上で書いたように、同じモノの最初と最終形だと思いますから、
ずれているとは思いません。
でも、まず先にあるのが「予測能力」だと思うのです。
例えば、その選んだ恋愛小説の別れ話をしようかと言う場面で、
彼女の情熱のこもった瞳を見つめて、僕は
「今日のレバニラ炒めは胃にもたれるな」と思った。
すると彼女は、
「昨日、巨人の清原が出刃包丁で、逆立ちしていたのね」
と言いながら、小さい鞄を開くと、
真っ白なワニが僕に向かって飛び出してきた。
なんて書いてあったら、文章処理能力があっても???って感じになると
思うんですね。
一文一文は確かに意味が解る。
でも、何を書いてあるのか解らないって感じると思うんです。
これは、「恋愛小説における別れ話」という予測を超えているからなんですね。
でも、これが男のうなされる悪夢の場面だったら、
それなりに納得できてしまう。
「夢」という予測のつく範囲に入るからです。
〉>予測能力だから、知らないジャンルは、やさしい単語で書かれていても、
〉>意味がつかめないのだと思うんです。
〉>文章処理能力、文章読解力だったら、読めるはずですもん。
〉えー?、別々に両方成り立ってよいのではないですか?
〉たしかに早いうちから役に立ちそうなのは「予測能力」のほうかも
〉しれませんが。
早いうちだけでなく、最後まで「読む」のに役立つのは「予測」だと思うんです。
言ってしまえば、私たちは知っている事しか読めないって事だと思います。
上で、日本語の例文を見ても、母語の文章処理能力をもってしても、
解らない文章は存在するわけですし。
全く文章処理能力が「読む」に貢献しないとは思いませんが、
それよりも文章処理能力は理解する速度に関わりがあると思います。
〉>(勿論、誰だって、常識ってものがありますから、知らないジャンルだって、
〉>ある程度は「読める」=予測が立つでしょう)
〉そうですね。だから、日本語でいえば、あんまり好きではなくても
〉新聞のニュースが読めるのだし。
〉あ、多読では「あんまり好きではないもの」を読むのは勧められない
〉ですねえ。うーん・・・「文章処理能力」旗色悪し?
好きなものを読むと言う点から考えると、
タドキストの皆さんの中に、短期間に1000万語前後の
卓越した量を読まれている方がいますよね。
その方々の話を聞いていると、皆さん、ご自分の好きな本に拘りを持って
読まれている。そのジャンルに拘るって言っていいのかな。
そして、英語の本を読む以前に、その同じ拘りの種類の日本語の本を
大量に読まれているんですね。
これは何を意味するのか?
同じ系統の日本語の本を大量に読んでいることで、
その系統の本の内容の予測が正確になっているからなんじゃないのか?
って思うんです。
もし、多読を通して身に付くスキルの主が「文章処理能力」ならば、
全然普段の多読と系統の違うTOEICの、
少なくてもリーディングの部分は、飛躍的に伸びると思うんですね。
(あっ、またTOEICの亡霊を出してしまった)
〉(「文章処理能力派」のみなさんごめんなさい。ハエ程度の反論でした。
〉しかも、頭のまわりを飛べばいいのに、壁にとまったまんまだ・・・
〉道化師さんはハエタタキを探しもしないでしょう。)
いやいや。ご丁寧に、そちらから飛び込んできていただいたハエには、
こちらも丁重に扱わせていただきますよー。
あっ、チクワさんをハエ呼ばわりしてしまった。すみません。
じゃ、言い直して、丁重にチクワのから揚げぐらいにしちゃいます。
〉>文章処理能力、文章読解力と言ってしまうと、やっぱり、
〉>たくさん読んで、あの文もこの文も覚えて、みたいな、
〉>違う意味のビルディングが起きてしまうような気がして、
〉>あえて書いてみました。
〉そうかも。
〉でも、結果論的「文書処理能力」−(ビルディングせずともおまけで
〉ついてくる力)をなんとか擁護したいなあ。
うーん、もしかすると、文章処理能力の実体が、もしくは、中核が、
予測能力なのじゃないか?とも、思ったりするんですが、
英語力の低い私には、チクワさんの言う文章処理能力の実体というか、
幅が上手く掴めません。
〉道化師さん、読んでくださってありがとうございました。
〉そうでなくても考えるきっかけをありがとうございました。
とんでもないです。
私も、こうしてチクワさんと噛みあった議論をしてると、
自分自身が何を言いたいのか解ってきますから、
丁寧なレスをありがとうございました。
ではであ。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 杏樹
投稿日: 2004/3/12(01:45)
------------------------------
道化師さん、こんにちは。
〉はい、そうだったんですが、チクワさんからのレスの方が、
〉私にはより「予測」していたレスなので、
〉チクワさんに全力を尽くしちゃうぞー。
〉これぞ、まさに「飛んで火に入る・・・」ですねー(ヒッヒッヒ)
〉〉ほくそ笑んでおいでなのでは?
〉あっ、解りますー?
〉ペギーさんは、通過報告を書くと、次の通過報告の企画を立ててから、
〉次の100万語を読んで行くみたいですが、
〉私の場合は、何か投稿する時は、それに対するレスを予測して、
〉それに対するレスを大体準備してあるんですねぇー。(ヒャヒャヒャ)
ほほほほほ。
忙しくて議論してるヒマがないからさっさと終わらせようとして結論に飛んでしまいました。チクワさんが「予測」通りのレスをつけてくれてよかったですねえ。
これで終わらせておけばいいのですが、これ↓が気になったので…地雷を踏んだらどうしましょう。
〉早いうちだけでなく、最後まで「読む」のに役立つのは「予測」だと思うんです。
〉言ってしまえば、私たちは知っている事しか読めないって事だと思います。
〉上で、日本語の例文を見ても、母語の文章処理能力をもってしても、
〉解らない文章は存在するわけですし。
〉全く文章処理能力が「読む」に貢献しないとは思いませんが、
〉それよりも文章処理能力は理解する速度に関わりがあると思います。
道化師さんは前にも「知っていることしか読めない」って言ってましたね。
それは道化師さんの読み方です。
新しいことを知るために、知らない世界を知るために本を読むことがあるはずです。「予想外の展開!どんでん返しに次ぐどんでん返し!」みたいな本もありますし。
むしろ「興味のないものは読めない」と言ったほうがいいのではないでしょうか?
興味があれば、本を通じて知らない世界に触れることは充分出来ます。未知の世界を訪ねて予想外の展開にとまどって、読み終わったら世界がすこ〜し広がってる。
そういうことがあるはずです。
私はどんでん返しや予想外の展開が好きですから、「予測が立つ」といってしまうと、予測の立つ世界はおもしろくない、と思ってしまいます。知っていることを再確認するよりも、新しいことを知りたいと思います。道化師さんが例に出している「恋愛小説」みたいなのは読みたいという気がしませんねえ。そんな予測できる世界は私にとっては面白みを感じません。
「新しいこと」「予想外の展開」と言ってもそれも「予測できる世界」のうちだと言われてしまうかもしれませんが。でも予測の中で読んでるとか、知ってることしか読めない、って言ってしまうとなんだか世界がせま〜く感じてしまいます。
少なくとも私は本を読むのは未知の世界を訪ねるためと言っていいでしょう。
道化師さんは「知っていることを読む」。でも「未知の世界を求める」人もいる。
…ということでどうですか?
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
10926. 人は、自分の知っている事の全てを知っている訳ではない
お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/13(22:42)
------------------------------
杏樹さん、こんばんは。道化師です。
せっかく、地雷を踏む覚悟でレス頂いたのに、お返事遅くなってすみません。
なんせ、肉体的ハンデキャップが、一日の打ち込み量を制限してるもんで。
(それで丁度良いって?)
〉ほほほほほ。
〉忙しくて議論してるヒマがないからさっさと終わらせようとして結論に飛んでしまいました。チクワさんが「予測」通りのレスをつけてくれてよかったですねえ。
はい。
杏樹さんが、遊んでくれそうないないなぁって思ってたところでしたので、
嬉しかったです。
〉これで終わらせておけばいいのですが、これ↓が気になったので…地雷を踏んだらどうしましょう。
おぉ、見事に仕掛けた地雷を探し当てていただきましたねぇ。嬉しい。
私、ペギーさんに「アナライザー」って命名されましたが、
実はアジテーターなんです。
だから、アジテーションの為に仕掛けた仕掛けに気付いて貰えないと、
つまんなぁーいんです。(笑)
今回は、久子さんにも気付いてもらえたみたいだし、めでたしめでたし。
(最近、マリコさんは、気付いてて、知らぬふりするからなぁ)
〉〉早いうちだけでなく、最後まで「読む」のに役立つのは「予測」だと思うんです。
〉〉言ってしまえば、私たちは知っている事しか読めないって事だと思います。
〉道化師さんは前にも「知っていることしか読めない」って言ってましたね。
あら、そんな前の発言まで覚えていてもらえて、光栄です。(ホントに)
〉それは道化師さんの読み方です。
男女の仲で、「あなたはあなた、私は私」な発想は幸せになれないですねぇ。
(って、違う話ですね。)
〉新しいことを知るために、知らない世界を知るために本を読むことがあるはずです。「予想外の展開!どんでん返しに次ぐどんでん返し!」みたいな本もありますし。
どんでん返しに付いて言えば、どんでん返しと私たちが許容できる結末は、
私たちが予測出来る範囲に収まると思うのです。
「巨人の星」で、星飛雄馬がマウンドに居て、9回裏二死満塁の場面で、
バッター花形、星が大リーグボールを投球した瞬間、隕石が後楽園球場に落下、
死者数万人が出たなんて結末は、予想外の結末ですが、
私たちには許容出来ないと思うんです。
許容出来ないって言い方がおかしければ、理解出来ないでもいいです。
〉むしろ「興味のないものは読めない」と言ったほうがいいのではないでしょうか?
〉興味があれば、本を通じて知らない世界に触れることは充分出来ます。未知の世界を訪ねて予想外の展開にとまどって、読み終わったら世界がすこ〜し広がってる。
〉そういうことがあるはずです。
「興味がある」とは、どういう事を言うのか?を考えると、
知らない事に興味は湧かないと思うんですね。
知っているからこそ、興味が湧く。
宝塚の花組の男役トップが退団し、新しい人がトップになったとしても、
私は今までのトップが誰で、どんな役者で、
どんな演技をしてきたかも知らないし、
新しいトップがそれまでどんな経歴を持って、
トップに相応しい実力を培ってきたかも知らないから、
そんな事に興味が持てないわけです。
そして、私は宝塚を頻繁に見て楽しむ「場」に居ないから、
杏樹さんに「宝塚」独自の魅力をいくら説明してもらっても、
解らない訳です。
(今、唐突に「場」という言葉を使いましたが、これの意味については、
たこ焼さんへのレス「言語の最小単位は事の場」を覗いていただければ、
幸いです。私の言う「知っている」とは、その「場」にいると言う事です。)
逆に、杏樹さんに、商法で会社の自己株式の保有が認められた事の意味を
いくら私が説明しても、興味も湧かないし、理解も出来ないと思うんです。
(いや、実は、そういう事に興味があって、よくご存知なのかも知れませんが)
文化人類学者にマリノフスキーと言う人がいます。
この人の研究に、ニュー・ギニアからソロモン諸島にかけて行われていた
「クラ」と言う交易の研究があります。
このクラとは、Aという島の民が、Bという島に行き、そこに財貨を贈与し、
Bの島民は、Cの島に行き、財貨を贈与し、CはDへ、DはAへ
という具合の「贈与」の円環の風習なんですが、
マリノフスキーは、この交易の島々に与える機能をせっせと研究しているんです。
マリノフスキーの「興味」によって、描き出される「クラ」の機能は、
なるほどそういうものか、と確かに納得できるんです。
でも、それは私も属している「西欧化社会」
(で、良いですか?なんなら、南北問題って言葉もありますから、
北側社会でも良いです)
の「社会的機能」の概念を、ニュー・ギニアの人々の風習に持ち込んで、
結局の所、「私たちの社会で言うところの、これこれの機能をこのクラによって、
実現しているのだ」って言う研究なんです。
で、その解説というか、研究の主張は解る。
解らないのは、ニュー・ギニアの人達が、私たちの社会で行っている
「これこれの機能」を何故、そんな不合理(と、こちら側からだと見える)な
「クラ」によって実現しているのか?って事なんです。
ニュー・ギニアの人々自身は決して不合理な事をしてるとは思っていないと
思うんです。
必然であり、合理的な行為として「クラ」をやっている。
そうでなければ、広い範囲に於いて、永続的に続くわけ無いですから。
その彼らの合理性、必然性が、私にはどうしても理解不能なんです。
つまり、マリノフスキーは、西欧側の既に知っている事の興味から
ニュー・ギニアを研究し、既に知っている「社会的機能」によって、
クラを描いたに過ぎない訳で、「新しいことを知った」訳ではないと
思うんです。
繁華街を撮った一枚の風景写真があるとします。
ゴチャゴチャとした街並み、雑多な看板、大勢の雑踏・・・
そんなものが写っています。
(道頓堀界隈を広角レンズで撮った感じです。)
その写真を何回か目にしたことがある。
でも、大体場所はどこかぐらいの印象しか受けない。
特に芸術的と言う訳でもないし、歴史的価値があるとも思えない。
それが、
「その写真には、郷ひろみと松田聖子の密会が写っているよ
ホラ、その喫茶店の中」
と言われると、はじめて、確かに片隅に写っている喫茶店の窓の中に
微笑みあう郷ひろみと松田聖子が見えてきたりする訳です。
この場合、それを漠然と見ていた時に、
その写真が見えていなかった、つまり知らなかった訳ではないと思うんです。
その喫茶店だって見えていたし、その中に客が居るのも見えていた。
私たちが「本を読んで知る」事が出来ると言うのは、
こういう事じゃないのかって思うんです。
もう一つ。
沢山の人が街中で居る絵があります。
小さく人がいっぱい書いてある。
それを眺めている。
でも、何も見えてこない。
ところが、その絵が何年も前に流行った「ウォーリーを探せ」の一枚だと
教えられると、確かにウォーリーが書いてあるんです。
こういう「密会写真だよ」とか「これはウォーリーを探せの絵だよ」と言う
指示と言うか、それを受けてからの対象への視線を
エドムント・フッサールと言う哲学者は「意識の指向性」と言った訳なんですが、
(単に「志向性」と訳される場合もあります。)
私たちが「新しい事を知る」と言った時に、実は、
それは新しい世界が目の前に現れると言う事ではなく、
今まで目の前に在った世界に新たな志向性が与えられるに過ぎないのではないか?
って思うんです。
(「に過ぎない」と言う言い方は、新たな志向性の獲得への冒涜ですね。)
つまり、私たちは自分が知っている事を、全部意識して知っている訳ではないし、
(志向性を持っている訳ではない)
例え、意識して知ろうとしても
(志向性を持ったとしても)
今、目の前にある「写真」や「絵」以外のものが見える訳ではない、
(自分の存在しない「場」の知らない事を知る事は出来ない)
って思うのです。
〉私はどんでん返しや予想外の展開が好きですから、「予測が立つ」といってしまうと、予測の立つ世界はおもしろくない、と思ってしまいます。知っていることを再確認するよりも、新しいことを知りたいと思います。道化師さんが例に出している「恋愛小説」みたいなのは読みたいという気がしませんねえ。そんな予測できる世界は私にとっては面白みを感じません。
言ってみればどんでん返しや、予想外の展開は、
知っているけれど意識していない(志向性を持っていない)世界って事になると
思います。
だから、私だって、既に志向性のある知識の上塗りばかりではつまらないと
思っています。
私の言う予測出来る世界とは、志向性を与えられる事によって、
知っている事として浮かび上がってくる世界とでも言ったらよいでしょうか。
ただし、知っているけれど意識していない世界(志向性を持っていない世界)は、
たこ焼さんの言う「無意識」とは異なります。
たこ焼さんの言う「無意識」は、志向性を与えても、見えては来ない世界ですから。
〉「新しいこと」「予想外の展開」と言ってもそれも「予測できる世界」のうちだと言われてしまうかもしれませんが。でも予測の中で読んでるとか、知ってることしか読めない、って言ってしまうとなんだか世界がせま〜く感じてしまいます。
〉少なくとも私は本を読むのは未知の世界を訪ねるためと言っていいでしょう。
〉道化師さんは「知っていることを読む」。でも「未知の世界を求める」人もいる。
だから、何の「場」の共有も無い「未知の世界」は、
いくら興味を持って知ろうとしても、知ることは出来ないと言う事です。
確かにこう言うと、「世界がせまーく」感じてしまいますが、
逆に言うと、世界の近代化の歴史は、西欧社会の「場」に、
それ以外の社会を巻き込むと言う流れで来ていると思うのです。
それは西欧社会の「場」としての世界を広げる事ではなく、
違う「場」を持つ異なる社会を西欧社会の「場」の言葉によって、
再定義し直し、それを異なる「場」に参加していた人達に強制し、
異なる「場」を消滅させてきた、
世界を広げず、外の世界を無くしてきた歴史だと思うのです。
特定の個人は、特定の「場」にしか存在する事は出来ないのですから、
その特定の個人が「世界がせまーく」感じた発想が、
西欧社会の異なる社会の粉砕になってのでは?と思うのです。
…ということでどうですか?
ではであ。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 杏樹
投稿日: 2004/3/14(00:57)
------------------------------
道化師さん、こんにちは。
〉せっかく、地雷を踏む覚悟でレス頂いたのに、お返事遅くなってすみません。
〉なんせ、肉体的ハンデキャップが、一日の打ち込み量を制限してるもんで。
〉(それで丁度良いって?)
とてもハンディキャップがあるとは思えない数々の書き込みです。
本当は忙しいので時間差レス、歓迎です。
〉おぉ、見事に仕掛けた地雷を探し当てていただきましたねぇ。嬉しい。
〉私、ペギーさんに「アナライザー」って命名されましたが、
〉実はアジテーターなんです。
〉だから、アジテーションの為に仕掛けた仕掛けに気付いて貰えないと、
〉つまんなぁーいんです。(笑)
〉今回は、久子さんにも気付いてもらえたみたいだし、めでたしめでたし。
〉(最近、マリコさんは、気付いてて、知らぬふりするからなぁ)
でも道化師さんのレスを見てると、本気で食って掛かってるんんじゃなくて、議論のための議論をしてるような気がしてきました。
そもそも「知っていることしか読めない」という道化師さんの意見に対して、私が「未知の世界を知りたい」と書いたことで、それを自分の理解できない世界に結びつけて反論するのは飛びすぎではありませんか。
〉どんでん返しに付いて言えば、どんでん返しと私たちが許容できる結末は、
〉私たちが予測出来る範囲に収まると思うのです。
〉「巨人の星」で、星飛雄馬がマウンドに居て、9回裏二死満塁の場面で、
〉バッター花形、星が大リーグボールを投球した瞬間、隕石が後楽園球場に落下、
〉死者数万人が出たなんて結末は、予想外の結末ですが、
〉私たちには許容出来ないと思うんです。
〉許容出来ないって言い方がおかしければ、理解出来ないでもいいです。
そう来るかなーとは思いましたけどね。
でも予想を裏切る展開で、かつ読者を納得させる、というのはストーリーテリングの高等技術です。物語はAかBか、の二者択一的な方向にしか進めないわけではありません。野球の試合なら勝つか負けるか、の二者択一の展開しか望めないわけですが、日常生活にしろ、物語の中にしろ、いつもそんな単純な結末が待ってるわけではありません。だから予測可能な世界はせまい、おもしろくないって言ったんです。
例えば道化師さんが提示した「恋愛もの」
恋愛ものとなれば男と女が出てきて、そうなると結ばれるか別れるか、まさに二者択一の結末しかないですね。あとはその恋愛にどう言う障害が待ち構えているか、で展開するしかない。…わけではありません。男と女が出てくる、読者は結ばれるか別れるか、と考える。しかし本当によく出来た物語というものは、単に二者択一のどちらかの結末を示すのではなく、登場人物の気持ちを描くところにあるのです。
恋をしたことで相手を必死になって追いかけ、何もかも捨ててボロボロになっていく。そこで自分がどん底まで堕ちていって我に返った時何を考えるか?
また、過去に傷ついて他人に心を閉ざしていた主人公が、愛する人を見つけることによって再び他人と交流しようとする。
また、好きな人が出来て、その人にふさわしい人になろうとして自分を磨き、生きる目的をみつけていく。そういった自分探しの物語になっていくとか。はたまたそうして成長した主人公は好きな人を振り切って新しい世界へ出かけてしまう、とか。
たとえ結ばれようと別れようと、その恋で登場人物が得たものがしっかり書かれていれば、読者は登場人物に共感し感動します。二者択一の結末ではなくそういった心の変化を感じ取って感動するのです。
それでも道化師さんは、それは「予測」のなかで起こることだと言うかもしれません。
しかしそこで宝塚の話題はわからない、とか私には自社株の所有の話題はわからない、だから知らないものは読めない、というのは飛躍しすぎです。
私はこの間MTHのリサーチガイドを4冊読みました。そのうちの1冊「Rain Forest」は、表紙を見ただけで「パス!」と思い、気持ち悪いので目につかないよう他の本の間に埋めておきました。だいたい熱帯雨林なんてまるきり興味もありませんし。
しかし他の3冊を読んだら、そちらはまだ興味を引く内容だったのですが、それでも「知らなかった」と思うことが多くて、しかも読みやすくてするする読めたので、その勢いで「Rain Forest」ものぞいてみたんです。そうしたらすらすら読めておもしろいではありませんか。生き物の写真は気持ち悪いので直視しないようにしましたけれど、結果的には「おもしろかった」と思いました。
私がMTHの1巻を読んだ時、知らない単語が多くて読みにくいと思いました。そのうち間を空けながら巻数を重ねていったらだんだん読みやすくなっていきました。1巻の時の読み方だったら「Rain Forest」は絶対読まなかったと思います。すらすら読めて、しかも「読める」こと自体が楽しいから読めたんです。
興味がなくても内容がわかるならなら読めてしまうことはあるんです。
それから、専門的なことを難しく書いた本もありますが、専門外の人にもわかりやすく書いた本もあります。わからない人にうまく説明するのは、本当にわかっていないとできません。本当にわかっている人に導いてもらって、わからなかったことを知ることもできるわけです。私は理数系はさっぱりだめで数式の世界が理解できないのですが、「数式を使わない物理学入門」という本を読んだ時はおもしろかったです。ドップラー効果という言葉を覚えて、救急車が通り過ぎた途端になぜ音が低くなるのかもわかりました。
〉〉私はどんでん返しや予想外の展開が好きですから、「予測が立つ」といってしまうと、予測の立つ世界はおもしろくない、と思ってしまいます。知っていることを再確認するよりも、新しいことを知りたいと思います。道化師さんが例に出している「恋愛小説」みたいなのは読みたいという気がしませんねえ。そんな予測できる世界は私にとっては面白みを感じません。
〉言ってみればどんでん返しや、予想外の展開は、
〉知っているけれど意識していない(志向性を持っていない)世界って事になると
〉思います。
〉だから、私だって、既に志向性のある知識の上塗りばかりではつまらないと
〉思っています。
〉私の言う予測出来る世界とは、志向性を与えられる事によって、
〉知っている事として浮かび上がってくる世界とでも言ったらよいでしょうか。
なるほど。
では道化師さんが私の「読解力」「文章処理能力」という言葉にこだわって反論してくるならば、「予測できる世界」という言葉も不適切な表現ではないかと思います。「予測」と「方向性を与えられて認識する」ことは違うのではありませんか。
〉ただし、知っているけれど意識していない世界(志向性を持っていない世界)は、
〉たこ焼さんの言う「無意識」とは異なります。
〉たこ焼さんの言う「無意識」は、志向性を与えても、見えては来ない世界ですから。
はい。
〉〉「新しいこと」「予想外の展開」と言ってもそれも「予測できる世界」のうちだと言われてしまうかもしれませんが。でも予測の中で読んでるとか、知ってることしか読めない、って言ってしまうとなんだか世界がせま〜く感じてしまいます。
〉〉少なくとも私は本を読むのは未知の世界を訪ねるためと言っていいでしょう。
〉〉道化師さんは「知っていることを読む」。でも「未知の世界を求める」人もいる。
〉だから、何の「場」の共有も無い「未知の世界」は、
〉いくら興味を持って知ろうとしても、知ることは出来ないと言う事です。
〉確かにこう言うと、「世界がせまーく」感じてしまいますが、
〉逆に言うと、世界の近代化の歴史は、西欧社会の「場」に、
〉それ以外の社会を巻き込むと言う流れで来ていると思うのです。
〉それは西欧社会の「場」としての世界を広げる事ではなく、
〉違う「場」を持つ異なる社会を西欧社会の「場」の言葉によって、
〉再定義し直し、それを異なる「場」に参加していた人達に強制し、
〉異なる「場」を消滅させてきた、
〉世界を広げず、外の世界を無くしてきた歴史だと思うのです。
〉特定の個人は、特定の「場」にしか存在する事は出来ないのですから、
〉その特定の個人が「世界がせまーく」感じた発想が、
〉西欧社会の異なる社会の粉砕になってのでは?と思うのです。
これこそ議論のための議論にもつれこんでいませんか。
西欧社会による世界の近代化、というと私が飛びつきそうな話題ですが、本が読めるとはどう言うことか、という話題からはずれていると思います。
道化師さんの「予測」に答えたか、それともはずしたか…。
いかがでしょう?
(忙しいから誘うなって>自分)
------------------------------
こんばんは、杏樹さん。道化師です。
さて、私の論考に対しての様々なご指摘ありがとうございました。
しかし、古川さんの主旨を尊重し、
この場での発言は差し控えようと思います。
杏樹さんご指摘の私の論理の飛躍、議論の為の議論に受け止められてしまう点、
など、新たな問題として、私自身は考えて行きたいと思います。
それでは、また別の「場」で、遊んでやって下さい。
ではであ。
------------------------------
道化師さん、こんにちは。
道化師さんと議論を始めると長くなるのが怖いですが…。
〉それと、杏樹さんからレスをいただいたので、もう一点。
〉(杏樹さんのみならず、多数の方からボコボコにされる危険性を覚悟の上で、
〉 書いちゃいますね。それが、「議論」ですから。)
〉杏樹さんが「文章処理能力」「文章読解力」って言葉を使われていましたが、
〉私は、この言葉に「語彙力」と同じような危険性を感じるんです。
〉「語彙力」が「語彙力」を求めて身に付かないように、
〉「文章処理能力」「文章読解力」と言ってしまうと、
〉それを追いかけていけば、身に付くような気がしてしまうと思うんです。
〉私たちが多読を通して身に付けるのは、
〉果たして「文章処理能力」「文章読解力」なのか?って事です。
〉確かに、大量に読むことで、この二つの力は向上するでしょう。
〉でも、それはボキャビルことで「語彙力」が多少は増強する事に
〉似ているんじゃないか?って思うんです。
ボコボコにするつもりはないですが…。なんか、揚げ足取られたみたいです。
私が文章処理能力とか、読解力とか書いたのはむしろ「本を読む力」って言いたかったんで…でもそういう能力を表すはっきりした言葉が見つからなくて、「文章処理」とか「読解力」とかいう表現になったわけで、統一しないでレスによって使ってる言葉が変わるのもそのためです。さっきと違う言葉使ってる、って自覚のある確信犯です。れなさんの「納得力」っていい言葉だと思いますが、他人の言葉ですし。
それほど「本を読む力」というのは今までの英語教育では無視されてきたことだと思います。無視、というより勉強方法がなかったんでしょうね。単語を覚えるとか文法を覚えるみたいな「勉強」らしい勉強法がない。KYOさんの本を読んだら英語の勉強法が詳しく書いてありました。でも読解力をつける部分がいちばん歯切れが悪く感じました。やっぱり「こうすれば読める」という筋道立てた勉強方法がなかなか見つからないんでしょう。
ある程度英語が出来て、ある程度読める人がレベルアップする方法はあるようですが、英語を読む土台作りをする方法を誰も考えてこなかったんです。単語を覚えたり、文法を習得すれば読めると思ってきたんです。でもそうじゃないんだ、ということに気がついたということが言いたかったんですけど。
「読解力」という言葉は誤解を与えたかもしれませんが、私が「語彙じゃなくて読解力」と言った意図はわかっていただけますか?適切な言葉を提案していただければ言い換えをします。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/12(01:37)
------------------------------
道化師さん、お久しぶり〜♪ たこ焼です。 「香辛料が入ってないカレーライスなんて、美味しくない!」(^L^) 「寂しかったわん。NMS大丈夫かしら・・・」(*^^*) ・・・だそうです。(代筆たこ焼)(^^) さてさて、本題です。 〉それと、杏樹さんからレスをいただいたので、もう一点。 〉(杏樹さんのみならず、多数の方からボコボコにされる危険性を覚悟の上で、 〉 書いちゃいますね。それが、「議論」ですから。) ボコボコ? ボ〜コ〜ボ〜コ〜? ふふふふ・・・ 〉じゃあ、「文章処理能力」「文章読解力」が主なスキルアップじゃなくて、 〉多読して「読める」ようになるのは、何が原因か?というと、 〉「予測能力」なんだと思うんです。 〉こう書くとまた「知らない単語の意味を推測できる能力」って思われがちですが、 〉そうではなくて、もっと大きい単位で、 〉言ってしまえば、その小説を読む前に、何が書かれているか、 〉予測できているって、事だと思うんです。 〉(日本語で読んだ本を、原書で読むって言うのは、 〉 この力を育成する為の方法でしょう) なるほど・・・。 〉正確に内容が予測出来ていれば、出来ているほど、 〉知らない単語、構文、文、があっても、意味を汲み取れるって事だと思うんです。 〉だから、好きなジャンル、好きな作家は、多く読んでいるから読みやすい。 なるほど、なるほど。 〉GRも、児童書も、多読でたくさん読めば、 〉その内容の予測が立つようになるから、読めるようになる。 〉GRは、2時間ドラマのようなミステリーが多いですし、 〉児童書でいきなり「世間には抹殺しても良い人間がいる」なんて内容は、 〉決して出てきませんもん。 ふむふむ。 〉れなさんが書かれた納得力も、この予測と実際に書かれていることとの、 〉すり合わせる力なんだろうなぁって言う気がするんです。 〉予測能力だから、知らないジャンルは、やさしい単語で書かれていても、 〉意味がつかめないのだと思うんです。 〉文章処理能力、文章読解力だったら、読めるはずですもん。 〉(勿論、誰だって、常識ってものがありますから、知らないジャンルだって、 〉 ある程度は「読める」=予測が立つでしょう) 〉文章処理能力、文章読解力と言ってしまうと、やっぱり、 〉たくさん読んで、あの文もこの文も覚えて、みたいな、 〉違う意味のビルディングが起きてしまうような気がして、 〉あえて書いてみました。 実はですね・・・ たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」 おそらくは、同じことを考えていると思います。 そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、 たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。 最初、道化師さんの投稿を拝見したとき、 「おや、もしや・・・」 などと思いました。そして、チクワさんへのレスを見て、 「同じこと考えている!」 と確信。道化師さんの投稿を拝見して、 考えをさらに洗練させることができました。 道化師さんの発想の源は、 〉私の基本的な発想は「英語で読めるか?」ではなく、 〉母語である日本語を含めて「何故言語で本(文書)が読めるか?」なんです。 ですか! う〜ん、すごいです。 たこ焼も同じ発想で考えてましたが、この発想だけでは、 とてもとてもこの結論に至ることはできませんでした。 たこ焼の発想を手助けしてくれたのは、 酒井先生の下記の投稿・・・ (((抜粋です))) 円〉〉「基本文例」は授業の最初に小テストもあるし、 円〉〉イヤでも外せないんでしょうし。 酒〉ほんとは基本文例なんかは覚えない方があとあと面倒がないのですよ。 酒〉それで思い出した! ぼくが学校英語を疑いはじめたきっかけは 酒〉修士論文を英語で書いていたときでした・・・ 酒〉英語で書いていて、詰まる、抜け出せない、ということがあると、 酒〉どうもその直前に「英作文の公式」を使って書いた文が 酒〉あるということが何度も続きました。 酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、 酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・ 酒〉思えばそう意識したことが「どうして英語が使えない?」に 酒〉繋がっていったのですね。 [url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-yukkuri&c=e&id=809] より一部抜粋。 基本文例で覚えた文では、文章がうまく流れない・・・ こんなこと、普通の人は気付きませんよ。 う〜ん、やはり酒井先生って、「岡本太郎」ですよね。すごいです。 この投稿を初めて拝見した頃(半年前)のたこ焼は、 酒井先生のこの言葉の意味があまりわかりませんでした。 でも、なんかありそう、と感じ、時々思い出していたんです。 で、あの結論を得られたんです。 酒井先生も同じように考えておられるのではないでしょうか? おそらく、酒井先生の「物語の力」という言葉は、 道化師さんやたこ焼の考えと同じものを相当含むのではないか思います。 また、道化師さんの考察どうり、れなさんの納得力も非常に近い考えだと思います。 個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない などと考えていましたが、 その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない のです。 文と文は「連想力」でつながっているのです。 「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。 「連想力」とは、例えば、語のレベルで言えば、 「りんご」という語に対して、「赤」とか「歯ぐき」を思わず連想させるような力です。 文のレベルで言うと、「これ、どうぞ。」に対して、「ありがとう。」とか。 あるいは、「愛してるわ・・・」に対して、いくつかの連想を経て、「さようなら。」とか。 まぁ、ごく単純な例しか挙げられませんが、このような力です。 そして、この「連想力」による「連想」には2種類あって、 連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」と、 連想を意識できずに無意識の中にとどまる「深い連想」とがあります。 上記の例は、連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」で、 「ああ、連想しているな」と思えるのですが、 連想など意識せずに文をつなげているときには 「深い連想」が大いに働いているのです。 道化師さんは、この「連想」の要素に注目して、「予測能力」という 表現を選ばれたのではないでしょうか? 言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、 例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。 従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は それらを言葉としてなかなか認識しないのです。 ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、 脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、 言語野の成長が促進されるのではないでしょうか? いや、もう少し精密に表現すると、 「物語」のイメージが漂っている状態なら、 取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。 多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは そのような理由からではないでしょうか? ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: fiddle
投稿日: 2004/3/12(11:52)
------------------------------
道化師さん、こんにちは、
横から失礼いたします。
たこ焼さん、はじめまして、fiddleと申します。
いつもたこ焼きさんの話芸、楽しませていただくとともに、
中身の深さに感動しておりました。
英語の話ではありませんが、何故本が読めるのか、私も前からちょっと考えていました。
我が家には娘が二人います。今までの生活のなかで観察したところ、
A(高2)のほうは物語に共感する能力は高いが、中に出てくる言葉を暗記する能力が低く、
B(中1)のほうは中に出てくる言葉を暗記する能力は高いが、物語に共感する能力は低い、
という傾向があるのに気が付きました。
例えば歴史の教科書を読んでも、そこにAは物語を感じるのに、
Bにとっては憶えなければならない事実の羅列でしかなかったりするのです。
成績がいいのは、もちろんBのほうです。
ほとんどの学校のテストというのは暗記力を試すものですから。
でも、本を楽しむ力というのは圧倒的にAのほうが持っているように見えます。
そこで、私は本を読む力というのは、「共感能力」とか
「物語の構造(文法でいう文の構造ではなく)をつかみ取る力」ではないかと
推測していたのです。
Pという現象とQという現象が平面的に並んでいるのではなく、
立体的で、互いに関係しあっているのを直観できる力、
とでもいいましょうか。
(すみません、なんだかうまく表現できません。
口から先に生まれたようなだんなと口論すると、
「今の話を論理的に言ってみろ」
と言われていつも泣く泣く??引き下がっている、口下手の私です)
酒井先生のおっしゃる「物語の力」というのは、
言葉が、単語のみ、一文のみではなく、集合体となったときに持つ力と、
人間が物語を読むときにそこから感じ取る力と、
両方合わせもっているのではないかと思います。
〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、
〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。
〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は
〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。
詩という形式は、この限界のところでの文学表現といえませんか?
だからこそ、作り手にも読み手にも
より大きなイマジネーションが要求されるような気がします。
〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、
〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、
〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか?
〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉そのような理由からではないでしょうか?
そうですそうです。
それこそ、私が多読をやろうと思った理由です。
現実は、まだまだ頭の中で日本語と英語とがせめぎあって
英語そのものを受け入れることの難しさを実感してしまうときが
多いのですが…
もっとたくさん読まなくちゃ!
まとまりがなくて申し訳ありませんが
これにて失礼いたします。
ではでは。
------------------------------
〉たこ焼さん、はじめまして、fiddleと申します。 はじめまして、fiddleさん。たこ焼です。 〉いつもたこ焼きさんの話芸、楽しませていただくとともに、 〉中身の深さに感動しておりました。 あっ、ありがとうございます。 fiddleさんといい、ペギーさんといい、なんともお優しい。 「芸」と呼べるほども物ではないことは、たこ焼も十分自覚しているのですが、 そのように言っていただけると、やはりとても嬉しいです。 〉英語の話ではありませんが、何故本が読めるのか、私も前からちょっと考えていました。 〉我が家には娘が二人います。今までの生活のなかで観察したところ、 〉A(高2)のほうは物語に共感する能力は高いが、中に出てくる言葉を暗記する能力が低く、 〉B(中1)のほうは中に出てくる言葉を暗記する能力は高いが、物語に共感する能力は低い、 〉という傾向があるのに気が付きました。 〉例えば歴史の教科書を読んでも、そこにAは物語を感じるのに、 〉Bにとっては憶えなければならない事実の羅列でしかなかったりするのです。 〉成績がいいのは、もちろんBのほうです。 〉ほとんどの学校のテストというのは暗記力を試すものですから。 〉でも、本を楽しむ力というのは圧倒的にAのほうが持っているように見えます。 「物語に共感する能力」と「言葉を暗記する能力」とが、 互いに排斥しているということでしょうか? う〜ん、もしかすると・・・。 「暗記」の方法なのですが、大きく分けて2つの種類があると思います。 ひとつは、一問一答式に覚える方法で、 もうひとつは、連想で芋づる式に覚える方法です。 もしかすると、Bさんは、前者の方法で暗記されているのではないでしょうか? たこ焼は受験期に両方の経験があります。 現役生の頃には前者、浪人生の頃には後者の方法で暗記してました。 今から思うに、一問一答式の方法は、 連想をぶつぶつと積極的に切る方法だと思います。 つまり、ごく自然に湧いてくる連想を邪魔者扱いする方法なので、 この方法に慣れると、連想および連想への感受性が弱まるのではないでしょうか? 一方、芋づる式の方法は、連想自体を積極的に使うので、 連想が強化・増殖されるのでしょうね。 〉そこで、私は本を読む力というのは、「共感能力」とか 〉「物語の構造(文法でいう文の構造ではなく)をつかみ取る力」ではないかと 〉推測していたのです。 「物語の構造」ですか! なるほどfiddleさんって、『神話の力』に興味を示されるようなお人だな、 と思いましたよ。(^^) 〉Pという現象とQという現象が平面的に並んでいるのではなく、 〉立体的で、互いに関係しあっているのを直観できる力、 〉とでもいいましょうか。 なるほど。 この場合、たこ焼の「連想力」という微視的な表現よりも、 道化師さんが仰っている「予測能力」という巨視的な表現の方が、 はまりがいいかもしれませんね。 〉(すみません、なんだかうまく表現できません。 〉口から先に生まれたようなだんなと口論すると、 〉「今の話を論理的に言ってみろ」 〉と言われていつも泣く泣く??引き下がっている、口下手の私です) たこ焼は、一般に、「論理」よりも「イメージ」の方に強く惹かれます。 考えるときにも、「論理」よりは、もっぱら「イメージ」の方を使います。 無理して論理的に表現しようなどとしなくてもいいのではないでしょうか? 優れたイメージには、論理が後からついてくるように感じるのです。 太い幹の論理さえ間違えなければ、OK!OK! もちろん、枝葉末節の論理は穴だらけですが、 そんなところの論理なんてゴミにしか見えません。(ちょっと言い過ぎかなー)(^^) 〉酒井先生のおっしゃる「物語の力」というのは、 〉言葉が、単語のみ、一文のみではなく、集合体となったときに持つ力と、 〉人間が物語を読むときにそこから感じ取る力と、 〉両方合わせもっているのではないかと思います。 なるほど。 前者の力が、後者の力の成長を促すのでしょうね。 つまり、 「物語」の中に含まれる数々の連想が、 人間の脳の中に新たに連想をどんどんと作り上げるのです。 そして、頭の中にある連想の豊かさは、 「物語」への感受性を決めているように思います。 〉〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、 〉〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。 〉〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は 〉〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。 〉詩という形式は、この限界のところでの文学表現といえませんか? 〉だからこそ、作り手にも読み手にも 〉より大きなイマジネーションが要求されるような気がします。 すっ、すっ、すっ、素晴らしいっ!!! 確かにそうですね。まさに、「限界」のところだと思います。 「詩」に関して、たこ焼は、何も考えたことがなかったのですが、 fiddleさんのこの指摘には、えらく興奮しましたー。 うふ、思わずhug、hugしちゃいたいぐらいの大歓喜です。(^^) 〉〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、 〉〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、 〉〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか? 〉〉いや、もう少し精密に表現すると、 〉〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、 〉〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。 〉〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは 〉〉そのような理由からではないでしょうか? 〉そうですそうです。 〉それこそ、私が多読をやろうと思った理由です。 〉現実は、まだまだ頭の中で日本語と英語とがせめぎあって 〉英語そのものを受け入れることの難しさを実感してしまうときが 〉多いのですが… 〉もっとたくさん読まなくちゃ! ある表現を「英語そのもの」として受け取ることができるのは、 その表現を含む幾多の「物語」を読んだことがあるから・・・ いや、物語を「経験」したことがあるから・・・といった方がベターかな。 「読む」と「経験」とは、連想の形成の点から見れば、 脳にとっては等価なのでしょうね。 うんうん、なるほど。 経験と等価になるような読み方が、SSS式の多読である ということですね。 〉まとまりがなくて申し訳ありませんが 〉これにて失礼いたします。 ありがとうございます。 ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 秋男
投稿日: 2004/3/12(18:20)
------------------------------
たこ焼さん、こんちは。秋男です。
言葉の最小単位は「物語」
う〜ん。そうかもしれない。うまいこと言わはりますね〜♪
〉たこ焼の発想を手助けしてくれたのは、
〉酒井先生の下記の投稿・・・
〉(((抜粋です)))
〉円〉〉「基本文例」は授業の最初に小テストもあるし、
〉円〉〉イヤでも外せないんでしょうし。
〉酒〉ほんとは基本文例なんかは覚えない方があとあと面倒がないのですよ。
〉酒〉それで思い出した! ぼくが学校英語を疑いはじめたきっかけは
〉酒〉修士論文を英語で書いていたときでした・・・
〉酒〉英語で書いていて、詰まる、抜け出せない、ということがあると、
〉酒〉どうもその直前に「英作文の公式」を使って書いた文が
〉酒〉あるということが何度も続きました。
〉酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、
〉酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・
〉酒〉思えばそう意識したことが「どうして英語が使えない?」に
〉酒〉繋がっていったのですね。
〉[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-yukkuri&c=e&id=809]
〉より一部抜粋。
〉基本文例で覚えた文では、文章がうまく流れない・・・
〉こんなこと、普通の人は気付きませんよ。
〉う〜ん、やはり酒井先生って、「岡本太郎」ですよね。すごいです。
う〜ん。すごいなあ。
こんなこと書いておられたんですねえ。
先生はやっぱりすごいなあ。
○○○○を投げるだけのことはある。
〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、
〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。
〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は
〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。
〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、
〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、
〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか?
なるほどねー!!
おもしろい!!
〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉そのような理由からではないでしょうか?
そうですねー。
アウトプットって、あんなに英米の人が英語(日本人が日本語)スラスラ出てくるのは、
結局のところパターンを記憶してるからでしょうけど、「物語」の中で把握してる
という点が、英作文例文暗記と違うんでしょうねえ。
(だからこそ、その「物語」のなかで、いろんなヴァージョンが創造される。)
今年のアカデミー賞見てておもしろかったです。
「The Oscar goes to...」という決まり文句が、ほんとにねー、なんていうんだろーなー、
今までになく自然に、しっくりしたものに感じられて、あー、俺の中にも英語の「物語」が
入ってきたぜー、と思いました。
この「物語」を、豊かで濃密なものにしていきたいです。
ではでは〜。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/13(03:40)
------------------------------
こんばんはー、秋男さん。たこ焼です。 〉 言葉の最小単位は「物語」 〉 う〜ん。そうかもしれない。うまいこと言わはりますね〜♪ でしょ? (^^) 〉〉たこ焼の発想を手助けしてくれたのは、 〉〉酒井先生の下記の投稿・・・ 〉〉(((抜粋です))) 〉〉円〉〉「基本文例」は授業の最初に小テストもあるし、 〉〉円〉〉イヤでも外せないんでしょうし。 〉〉酒〉ほんとは基本文例なんかは覚えない方があとあと面倒がないのですよ。 〉〉酒〉それで思い出した! ぼくが学校英語を疑いはじめたきっかけは 〉〉酒〉修士論文を英語で書いていたときでした・・・ 〉〉酒〉英語で書いていて、詰まる、抜け出せない、ということがあると、 〉〉酒〉どうもその直前に「英作文の公式」を使って書いた文が 〉〉酒〉あるということが何度も続きました。 〉〉酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、 〉〉酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・ 〉〉酒〉思えばそう意識したことが「どうして英語が使えない?」に 〉〉酒〉繋がっていったのですね。 〉〉[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-yukkuri&c=e&id=809] 〉〉より一部抜粋。 〉〉基本文例で覚えた文では、文章がうまく流れない・・・ 〉〉こんなこと、普通の人は気付きませんよ。 〉〉う〜ん、やはり酒井先生って、「岡本太郎」ですよね。すごいです。 〉 う〜ん。すごいなあ。 〉 こんなこと書いておられたんですねえ。 〉 先生はやっぱりすごいなあ。 〉 ○○○○を投げるだけのことはある。 酒井先生って、 ご自分の感覚に天才的に素直なお人なんだな、 と思いますよ。 たこ焼も日々修行を重ねて、 喜びの感覚がある時に喜び、 怒りの感覚がある時に怒り、 哀しみの感覚がある時に哀しみ、 楽しみの感覚がある時に楽しめるように志しているのですが、 これが、まぁ、なかなか難しいです。 素直に感覚を出せる人をとても羨ましく思いますよ。 〉〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、 〉〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。 〉〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は 〉〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。 〉〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、 〉〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、 〉〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか? 〉 なるほどねー!! 〉 おもしろい!! 何故、SSS式多読は効果があるのか? SSSに出会って以来、ずーーっと考え続けているテーマです。 〉〉いや、もう少し精密に表現すると、 〉〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、 〉〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。 〉〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは 〉〉そのような理由からではないでしょうか? 〉 そうですねー。 〉 アウトプットって、あんなに英米の人が英語(日本人が日本語)スラスラ出てくるのは、 〉 結局のところパターンを記憶してるからでしょうけど、「物語」の中で把握してる 〉 という点が、英作文例文暗記と違うんでしょうねえ。 〉 (だからこそ、その「物語」のなかで、いろんなヴァージョンが創造される。) そうそう、 「物語」の中で把握してるからこそ、連想の海の中で把握してるからこそ、 どこまで普通の表現を逸脱できるか、という感覚も生まれるんだと思います。 以前、はまこさんが「言語たち」という表現を使ってましたが、 これは、まぁ、普通の表現ではないのですが、 変な表現ではぜんぜんないですよね。 「言語」からの「言葉は人なり」という「人」へつながる連想と、 「たち」から連想される「人」がうまくかみ合っているんですよ。 だから、普通でない表現でも、変に感じないのでしょうね。 〉 今年のアカデミー賞見てておもしろかったです。 〉 「The Oscar goes to...」という決まり文句が、ほんとにねー、なんていうんだろーなー、 〉 今までになく自然に、しっくりしたものに感じられて、あー、俺の中にも英語の「物語」が 〉 入ってきたぜー、と思いました。 〉 この「物語」を、豊かで濃密なものにしていきたいです。 こういう表現って、日本語の感覚からすると非常に奇異に感じるのですが、 そんな表現が、自然に、しっくりしたものに感じられるというのは まことに素晴らしい!!! ほんと嬉しいですよね。 ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
10919. Re: 言葉の最小単位は「物語」(一部分に反応)
お名前: はまこ
投稿日: 2004/3/13(15:31)
------------------------------
たこさん、秋男さん、こんにちはー。はまこです。
ここ数日の掲示板の書き込みを全部読んだら
また頭の中がぼーーーっとしてきちゃった。
たこさんや皆さんの書き込みを読んでると、
すごく興味深いし、面白くてためになるな〜って
思うんだけど、たくさん読むとあんまり頭に残らないの。。
で、なんやったっけ???ぼーーー。になっちゃう(困)
読んでる間は楽しいからそれでいいかなって思ってるんだけど。
私は英語に関してはほとんど悩みや迷いがないというか、
あれこれ考えなくても、そのときの自分に必要なことがすぐわかるんだ〜。
う〜ん、表現がおかしいかなぁ?
自分であれこれ深く考えた結果辿り付くことと
やりたいからやるということが一緒の気がするのね。
そうやって熟考してないから皆さんの考えが残らないのかなー。
自分の考えと比較検討しないと頭に残らない。。
どうなの?たこさん?こういう状態をたこさんなら説明できると思うんだけど。
聞かれても困る?(笑)
頭の容量が少なすぎるんじゃーーー!で終わり?
えっと、何の話しに反応しようと思ったんだっけ? ←・・・
〉そうそう、
〉「物語」の中で把握してるからこそ、連想の海の中で把握してるからこそ、
〉どこまで普通の表現を逸脱できるか、という感覚も生まれるんだと思います。
〉以前、はまこさんが「言語たち」という表現を使ってましたが、
〉これは、まぁ、普通の表現ではないのですが、
〉変な表現ではぜんぜんないですよね。
えっ?!これは普通の表現じゃない?
私には普通なのよ。
〉「言語」からの「言葉は人なり」という「人」へつながる連想と、
〉「たち」から連想される「人」がうまくかみ合っているんですよ。
〉だから、普通でない表現でも、変に感じないのでしょうね。
へぇ。う〜ん、他の人がどう表現するのかはわかんないけど、
とりあえず私の頭の中に散乱していたのは「言語たち」だったよ。
あんまりにもいっぱいいるから、現在敢えて封印中なの。
どこらへんに潜んでるんだろ〜?
混乱が続いてしまってたから、この頃英語以外の外国語を聞くのは
やめてるの。ちょっと淋しいんだけど。。
まずは英語の場所を確保しようかなと思ったんだ。
そうすると、英語を聞いてるのか日本語を聞いてるのか気が付かないときが
以前より増えたの。読むほうもそうなったら楽しいかな〜。
最近未知語とかの話しが出てたけど、未知語ってピンとこなかったなぁ。
うまく説明できないけど。。
そのうち英語を読んでいるという感覚もなくなるかも。
でも英語だけだとやっぱり物足りないな。
面白さに欠けるというか。なんだか普通っぽくってつまんないなー。
って、一年前には夢にも思わなかったことだね(^^)
多読の威力はすごいなーーー(@@)
〉〉 今年のアカデミー賞見てておもしろかったです。
〉〉 「The Oscar goes to...」という決まり文句が、ほんとにねー、なんていうんだろーなー、
〉〉 今までになく自然に、しっくりしたものに感じられて、あー、俺の中にも英語の「物語」が
〉〉 入ってきたぜー、と思いました。
〉〉 この「物語」を、豊かで濃密なものにしていきたいです。
おっ。かっこいい〜♪
〉〉 この「物語」を、豊かで濃密なものにしていきたいです。
これもいいねー(^^)
〉こういう表現って、日本語の感覚からすると非常に奇異に感じるのですが、
〉そんな表現が、自然に、しっくりしたものに感じられるというのは
〉まことに素晴らしい!!! ほんと嬉しいですよね。
そうね(^^)
〉ではでは〜♪
ではー(^^)/~~~
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
10930. Re: 言葉の最小単位は「物語」(一部分に反応)
お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/13(23:30)
------------------------------
こんばんはー、はまこさん。 たこ焼@道化師さんへのレスが今日中に付けられるか疑問、です。 〉ここ数日の掲示板の書き込みを全部読んだら 〉また頭の中がぼーーーっとしてきちゃった。 ありゃりゃ、だいしょうぶ? 〉たこさんや皆さんの書き込みを読んでると、 〉すごく興味深いし、面白くてためになるな〜って 〉思うんだけど、たくさん読むとあんまり頭に残らないの。。 〉で、なんやったっけ???ぼーーー。になっちゃう(困) 〉読んでる間は楽しいからそれでいいかなって思ってるんだけど。 ありがとうございま〜す。(^^) 〉私は英語に関してはほとんど悩みや迷いがないというか、 〉あれこれ考えなくても、そのときの自分に必要なことがすぐわかるんだ〜。 〉う〜ん、表現がおかしいかなぁ? 〉自分であれこれ深く考えた結果辿り付くことと 〉やりたいからやるということが一緒の気がするのね。 すっ、素晴らしい!!! ほんと、素晴らしいです!!! 実はたこ焼も修行(?)して、はまこさんのような境地を目指しています。 SSSに出会う前の2年前のたこ焼は、こんなこと思いもしなかった。 SSSでの経験がこの方向へと誘いでくれました。 1年前に比べると今は少しはできるようになりましたが、まだまだです。 あああーーーー! やはり、はまこさんは、師匠です!!! 何が何でも、たこ焼の師匠です! 〉そうやって熟考してないから皆さんの考えが残らないのかなー。 〉自分の考えと比較検討しないと頭に残らない。。 〉どうなの?たこさん?こういう状態をたこさんなら説明できると思うんだけど。 〉聞かれても困る?(笑) 〉頭の容量が少なすぎるんじゃーーー!で終わり? それは、はまこさんが達人の域に達しておられるからですよ、おそらく。 たこ焼は、以前の「停滞」にしても、今回の「最小単位」にしても 何か「迷い」があるからこそ、こんなこと考えているのだろうな・・・ という感覚が僅かですがあります。 はまこさんには、その「迷い」がないのではないかと思います。 たこ焼はその「迷い」のない境地に憧れ、目指しているんですよ。 〉えっと、何の話しに反応しようと思ったんだっけ? ←・・・ あはっはははっは。 〉〉そうそう、 〉〉「物語」の中で把握してるからこそ、連想の海の中で把握してるからこそ、 〉〉どこまで普通の表現を逸脱できるか、という感覚も生まれるんだと思います。 〉〉以前、はまこさんが「言語たち」という表現を使ってましたが、 〉〉これは、まぁ、普通の表現ではないのですが、 〉〉変な表現ではぜんぜんないですよね。 〉えっ?!これは普通の表現じゃない? 〉私には普通なのよ。 すいません。たこ焼は「普通」と思わなかっただけで、 他の人がどうか、つまり一般的なのかはよく知りません。 「たち」は人に対して使うのが、もともとだと思います。 しかし、擬人化して使うこともできるわけです。 「犬たち」とかの動物だったら「普通」かなとたこ焼は思います。 で、「たち」に対して、どこまでが擬人化の対象になるのか? たこ焼はよくわかりません。しかし、「言語」に「たち」がつく例を たこ焼が見たのは初めてだったんです。 ですから、「普通」と思わなかっただけで、 想像力を刺激する表現で、はまこさんの創造なのだと思ってました。 だから、「変」とは思わず、コビトを連想して「面白い」と感じたんです。 〉〉「言語」からの「言葉は人なり」という「人」へつながる連想と、 〉〉「たち」から連想される「人」がうまくかみ合っているんですよ。 〉〉だから、普通でない表現でも、変に感じないのでしょうね。 〉へぇ。う〜ん、他の人がどう表現するのかはわかんないけど、 〉とりあえず私の頭の中に散乱していたのは「言語たち」だったよ。 〉あんまりにもいっぱいいるから、現在敢えて封印中なの。 〉どこらへんに潜んでるんだろ〜? 封印中!! なんか妖怪みたいですね。 はまこさんって、ほんとはホラー好き? たこ焼はメルヘン好きなので、 コビトたち、小さなお家におこもり中・・・ とかの表現の方が好きー。(^^) 〉混乱が続いてしまってたから、この頃英語以外の外国語を聞くのは 〉やめてるの。ちょっと淋しいんだけど。。 〉まずは英語の場所を確保しようかなと思ったんだ。 淋しい! 〉そうすると、英語を聞いてるのか日本語を聞いてるのか気が付かないときが 〉以前より増えたの。読むほうもそうなったら楽しいかな〜。 英語か、日本語か、気が付かない! すごいなー。 話の内容に没入してしまう感じなのかな? もしかすると、話の内容など気にしていなくて、「音」そのものを聴いているとき、 気が付かないのでしょうか? 前者なら、たこ焼もなんとなく想像できるけど、 後者なら、まったく知らない感覚だなぁ。 〉最近未知語とかの話しが出てたけど、未知語ってピンとこなかったなぁ。 〉うまく説明できないけど。。 〉そのうち英語を読んでいるという感覚もなくなるかも。 ほんと達人ですよ。 〉でも英語だけだとやっぱり物足りないな。 〉面白さに欠けるというか。なんだか普通っぽくってつまんないなー。 あはっはははh、贅沢—ッ!(^^) 〉って、一年前には夢にも思わなかったことだね(^^) 〉多読の威力はすごいなーーー(@@) 同感! 多読はほんとすごいです。 〉ではー(^^)/~~~ ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
10994. Simple Simon met a pieman
お名前: はまこ
投稿日: 2004/3/14(22:55)
------------------------------
たこさん、こんばんはー。はまこです。
タイトルにたいして意味はないです(^^)
↓これを書こうとしたときにふと頭に浮かんだフレーズなの。
〉〉私は英語に関してはほとんど悩みや迷いがないというか、
〉〉あれこれ考えなくても、そのときの自分に必要なことがすぐわかるんだ〜。
〉〉う〜ん、表現がおかしいかなぁ?
〉〉自分であれこれ深く考えた結果辿り付くことと
〉〉やりたいからやるということが一緒の気がするのね。
英語に対する考え方がシンプルってことよ〜
この唄のSimon君のような日々を送っていると言ってるんじゃないよ〜
でもちょっと似てるかも(笑)
〉すっ、素晴らしい!!! ほんと、素晴らしいです!!!
〉実はたこ焼も修行(?)して、はまこさんのような境地を目指しています。
〉SSSに出会う前の2年前のたこ焼は、こんなこと思いもしなかった。
〉SSSでの経験がこの方向へと誘いでくれました。
〉1年前に比べると今は少しはできるようになりましたが、まだまだです。
〉あああーーーー! やはり、はまこさんは、師匠です!!!
〉何が何でも、たこ焼の師匠です!
褒めすぎだよ〜(@@)
はまこはたこさんが書いてることを読むのがすっごく好き〜♪
あんまりにも長かったら読むのをやめる時があるけど ←正直に申告〜
めったにないけどね(^^)
〉それは、はまこさんが達人の域に達しておられるからですよ、おそらく。
〉たこ焼は、以前の「停滞」にしても、今回の「最小単位」にしても
〉何か「迷い」があるからこそ、こんなこと考えているのだろうな・・・
〉という感覚が僅かですがあります。
〉はまこさんには、その「迷い」がないのではないかと思います。
〉たこ焼はその「迷い」のない境地に憧れ、目指しているんですよ。
丁寧に答えてくれて本当にありがとう〜〜〜!
実はここまでの部分は削除してたのよ。
いまはレスを書く量が多いから大変だろうなって思って消したんだ。
でもほんとにありがとね(^^)
〉封印中!! なんか妖怪みたいですね。
〉はまこさんって、ほんとはホラー好き?
ホラーはめっちゃ嫌い〜。だって怖いもん。
一昨日ね、数年ぶりにホラー映画を見たの。
「ドリーム・キャッチャー」って知ってる?
内容のことはともかく、マザーグースが出てたのね。
でも嬉しくなかったなー。
ホラーというか気持ち悪いだけの映画だったからかな。
〉たこ焼はメルヘン好きなので、
〉コビトたち、小さなお家におこもり中・・・
〉とかの表現の方が好きー。(^^)
ふふ。いいね〜。
たこさんの書き込みってね、ふんわり感が漂ってていいなーって思うの。
ふんわりあちあち♪
〉英語か、日本語か、気が付かない!
〉すごいなー。
〉話の内容に没入してしまう感じなのかな?
〉もしかすると、話の内容など気にしていなくて、「音」そのものを聴いているとき、
〉気が付かないのでしょうか?
〉前者なら、たこ焼もなんとなく想像できるけど、
〉後者なら、まったく知らない感覚だなぁ。
音の分量が多いと思うなー。
でもどっちでもいいんだー。
英語か日本語か気付かなくなることに憧れてるわけじゃないしね。
ではまたねー(^^)/~~~
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: ありあけファン
投稿日: 2004/3/12(23:20)
------------------------------
みなさん こんばんは
ありあけファン@86万語 です
〉酒井先生も同じように考えておられるのではないでしょうか?
〉おそらく、酒井先生の「物語の力」という言葉は、
〉道化師さんやたこ焼の考えと同じものを相当含むのではないか思います。
〉また、道化師さんの考察どうり、れなさんの納得力も非常に近い考えだと思います。
私も,この命題「物語の力」というものの威力を最近,身にしみて感じるようになりました.
〉個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない
〉などと考えていましたが、
〉その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない
〉のです。
同感です!
〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、
〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。
〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は
〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。
〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、
〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、
〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか?
〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉そのような理由からではないでしょうか?
その通りですね!
私はなかなかうまく,言葉には表現できませんでした.
多読の利点として,直読直解などが強調されますが,私はSSSを始める以前から
直読直解はできたのです.でも,多読を始めてから流れるように読めるのがとても
快感になりました.
15万語の頃に,速度を測って上がったと思って喜んで掲示板に報告したりして
いたのですが,後でわかったことですが,実はほとんど変わらなかった.
でも体感的には,とてもスラスラ読める感じがするのです.
それは,たぶん,物語の中に吸い込まれることにあるのだと思います.
100万語通過の時に詳しく述べようと思いますが,この物語に吸い込まれる力
は,多読を続けた人にしかたぶん,わからないのでしょう.
(そのせいか,友人に多読を薦めてもなかなか理解してもらえません.)
最近は,抜粋されている短い文章を英文解釈式に読むことは(その必要性の是非はともかくとして),何か言葉の本質と大きくかけ離れているような感じがします.
たぶん,脳の中での認識の仕方が全く異なっているのだと思います.
以上より,「言葉の最小単位は「物語」」という説に私も大賛成で,
エールを送りたいと思います.
そして,楽しく多読を続けましょう.
Happy Reading!!!!!!!!
------------------------------
ありあけファンさん、はじめまして。たこ焼です。 〉〉酒井先生も同じように考えておられるのではないでしょうか? 〉〉おそらく、酒井先生の「物語の力」という言葉は、 〉〉道化師さんやたこ焼の考えと同じものを相当含むのではないか思います。 〉〉また、道化師さんの考察どうり、れなさんの納得力も非常に近い考えだと思います。 〉私も,この命題「物語の力」というものの威力を最近,身にしみて感じるようになりました. SSS式多読って、「物語の力」を生かした方法ですよね。 〉〉個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない 〉〉などと考えていましたが、 〉〉その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない 〉〉のです。 〉同感です! ですよね。 〉〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、 〉〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。 〉〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は 〉〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。 〉〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、 〉〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、 〉〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか? 〉〉いや、もう少し精密に表現すると、 〉〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、 〉〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。 〉〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは 〉〉そのような理由からではないでしょうか? 〉その通りですね! 〉私はなかなかうまく,言葉には表現できませんでした. 〉多読の利点として,直読直解などが強調されますが,私はSSSを始める以前から 〉直読直解はできたのです.でも,多読を始めてから流れるように読めるのがとても 〉快感になりました. 〉15万語の頃に,速度を測って上がったと思って喜んで掲示板に報告したりして 〉いたのですが,後でわかったことですが,実はほとんど変わらなかった. 〉でも体感的には,とてもスラスラ読める感じがするのです. 「スラスラ読める」というのは、必ずしも「物理的な速度」のことではないですよね。 なんと、いいましょうか・・・言葉として違和感がない! といった感じでしょうか。 〉それは,たぶん,物語の中に吸い込まれることにあるのだと思います. 〉100万語通過の時に詳しく述べようと思いますが,この物語に吸い込まれる力 〉は,多読を続けた人にしかたぶん,わからないのでしょう. 〉(そのせいか,友人に多読を薦めてもなかなか理解してもらえません.) 同感です。 やはり、少しでも経験してもらわないと、 コミュニケーションの基盤となる共通理解が成り立ちませんからね。 SSS式多読を未経験者に説得することは、かなり困難に感じます。 SSS後のたこ焼が、ドラえもんのタイムマシーンで過去に行き、 SSS前のたこ焼を説得してSSS式多読のよさを納得させよう・・・ という思考実験をしたことがありますが、無理でした。(^^) なぜなら、議論の基盤となる基礎的な用語、 「単語」「物語」「言葉」「読む」「理解」などなどの意味が両者の間でズレてしまい、 伝達不能に感じるんです。つまりは、SSS式多読の経験により、 これらの用語の意味がかなり変わっちゃうんです。 もちろん、SSS後のたこ焼はその意味の変遷を踏まえて説得しようとしたのですが、 非常にややこしくて困難に感じ、実験は途中放棄しました。 やはり、単なる「説得」じゃなくて、「勧誘?」とか、あるいは データを駆使した「説得」でないとうまくいかないのかもしれません。 〉最近は,抜粋されている短い文章を英文解釈式に読むことは 〉(その必要性の是非はともかくとして),何か言葉の本質と 〉大きくかけ離れているような感じがします. 〉たぶん,脳の中での認識の仕方が全く異なっているのだと思います. 言葉の本質と大きくかけ離れている・・・ 全くそのように思います。 日本人の大部分は、そのことに気付かないか、 あるいは気付いたとしても、 母国語じゃなくて外国語なので仕方がないと考えるか、 仕方なくはない!と決意しても、 有効な方法を知らなかったんだと思います。 〉以上より,「言葉の最小単位は「物語」」という説に私も大賛成で, 〉エールを送りたいと思います. 〉そして,楽しく多読を続けましょう. ご賛同、ありがとうございます。 ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 酒井@SSS
投稿日: 2004/3/12(23:44)
------------------------------
たこ焼さん、fiddleさん、秋男さん、ありあけファンさん、こんばんは!
そして、掲示板のみなさーん、こんばんは!
掲示板になかなか書けなくなっております。
いまはこの書き込みだけ・・・
〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」
〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。
これ、まいったなあ・・・
すごいことを言い出しましたねえ・・・
言われてみればその通りで、ぼくの「言葉の最小単位は文」という
のは、まだまだ中途半端でしたねえ・・・
やられた、その通りだ!と思いながら、一瞬「こりゃ、まずいぞ!」
とも思ったんですが、それは最小単位が物語ということになると、
言葉を考えるときの焦点が拡散してしまって、考えようが
なくなってしまいそうな「危険」を感じたからなのですね。
その動揺はいまも続いておりますが・・・
さて、どうしたものか・・・
とりあえず、最小単位は物語だとすると、ぼくがだいぶ前から
考えていた holographic approach (かっこいいでしょう?)には
ぴったり合うんですが・・・
(次の本では「最小単位は文」で行こう・・・
物語にしてしまうと収集がつかなくなりそう・・・)
もう今晩は書かないつもりなので、もう一言。
あのー、こんど大阪行ったときに未知語数えの罰ゲームをやります。
もちろんクニヒゲ危機一髪です・・・
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/13(03:42)
------------------------------
酒井先生、こんばんはー。たこ焼です。 〉そして、掲示板のみなさーん、こんばんは! 〉掲示板になかなか書けなくなっております。 〉いまはこの書き込みだけ・・・ とてもお忙しいところ、ありがとうございます。 〉〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」 〉〉おそらくは、同じことを考えていると思います。 〉〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、 〉〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。 〉これ、まいったなあ・・・ そうですか? う〜ん、そうかもしれませんね。(^^) 〉すごいことを言い出しましたねえ・・・ はぁ・・・ 〉言われてみればその通りで、ぼくの「言葉の最小単位は文」という 〉のは、まだまだ中途半端でしたねえ・・・ いや、先生は気付いておられたのだと思います。 〉やられた、その通りだ!と思いながら、一瞬「こりゃ、まずいぞ!」 〉とも思ったんですが、それは最小単位が物語ということになると、 〉言葉を考えるときの焦点が拡散してしまって、考えようが 〉なくなってしまいそうな「危険」を感じたからなのですね。 先生のこの辺の葛藤は、なんとなく想像できます。 「考えようがなくなってしまいそうな危険」というのは、 「多読をやっていない人へまったく伝えられなくなってしまいそうな危険」 という意味ではないでしょうか? 先生ご自身は考えることができるけれども、 先生の教育者としてもお立場が、意識的にあるいは無意識的に これをスタンダードにすることを許さない ということだと想像しちゃいます。 〉その動揺はいまも続いておりますが・・・ 〉さて、どうしたものか・・・ 〉とりあえず、最小単位は物語だとすると、ぼくがだいぶ前から 〉考えていた holographic approach (かっこいいでしょう?)には 〉ぴったり合うんですが・・・ holographic approachって、かっこいいですー、 なんだかは全然わかりませんが。(^^) いつかお暇なときにでも、ぜひ説明していただきたいです。 あっ、これをテーマにした本を書いていただければ、もっと嬉しいです。 〉(次の本では「最小単位は文」で行こう・・・ 〉物語にしてしまうと収集がつかなくなりそう・・・) 確かにそうかもしれませんね。(笑) あっ、 もう1冊本を書いていただいて、その本は 「最小単位は物語」で行く・・・ というのはいかがでしょうか?(^^) 〉もう今晩は書かないつもりなので、もう一言。 〉あのー、こんど大阪行ったときに未知語数えの罰ゲームをやります。 〉もちろんクニヒゲ危機一髪です・・・ クニヒゲ危機一髪!!! 興味津々ですー。(^^) 大阪のタドキストにぜひ詳しく報告していただきたいですね。 ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: ペギー双葉山
投稿日: 2004/3/14(01:36)
------------------------------
クニヒゲ危機一髪ゲームの遊び方
※オリジナルは、黒ヒゲ危機一髪ゲーム
海賊が入れられた樽に、順番に剣を1本1本、刺していきます。
海賊を飛び出させた人が負け
◆ リアルクニヒゲ危機一髪ゲーム
先生をホテルに缶詰にします。
そして、順番に、「原稿まだですか?」のような電話を
1本1本かけていきます。
部屋から飛びださせた人が負け
◆ オフ会バージョン
先生に、順番にみんなでいろいろ言います。
最初におしぼりを当てられた人が負け
※ 実在の人とは関係ありません。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
10942. Re: 【注意】クニヒデ危機一髪ゲームの正しい遊び方
お名前: apple http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/5353/
投稿日: 2004/3/14(06:09)
------------------------------
"ペギー双葉山"さんは[url:kb:10937]で書きました:
〉クニヒデ危機一髪ゲームの遊び方
〉
〉※オリジナルは、黒ヒゲ危機一髪ゲーム
〉海賊が入れられた樽に、順番に剣を1本1本、刺していきます。
〉海賊を飛び出させた人が負け
〉
〉◆ リアルクニヒデ危機一髪ゲーム
〉
〉 先生をホテルに缶詰にします。
〉 そして、順番に、「原稿まだですか?」のような電話を
〉 1本1本かけていきます。
〉 部屋から飛びださせた人が負け
〉
〉
〉◆ オフ会バージョン
〉
〉 先生に、順番にみんなでいろいろ言います。
〉 最初におしぼりを当てられた人が負け
◆ オフ会バージョン その2
先生を、順番にみんなのとなりに呼びます。
最初におかずを取られた人が負け
〉※ 実在の人とは関係ありません。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
11001. Re: 【注意】クニヒデ危機一髪ゲームの正しい遊び方
お名前: じゅんじゅん
投稿日: 2004/3/14(23:57)
------------------------------
ペギーさんこんばんは!appleさんおひさしぶりー!じゅんじゅんです。
〉〉クニヒデ危機一髪ゲームの遊び方
〉〉◆ オフ会バージョン
〉〉 先生に、順番にみんなでいろいろ言います。
〉〉 最初におしぼりを当てられた人が負け
〉 ◆ オフ会バージョン その2
先生を、順番にみんなのとなりに呼びます。
〉 最初におかずを取られた人が負け
〉〉※ 実在の人とは関係ありません。
うう、このルールだと私の一人負け・・?
ではまたー・・
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
11009. Re: 【注意】クニヒデ危機一髪ゲームの正しい遊び方
お名前: 酒井@SSS
投稿日: 2004/3/15(01:36)
------------------------------
〉ペギーさんこんばんは!appleさんおひさしぶりー!じゅんじゅんです。
さかいで−す!
〉〉〉クニヒデ危機一髪ゲームの遊び方
〉〉〉◆ オフ会バージョン
〉〉〉 先生に、順番にみんなでいろいろ言います。
〉〉〉 最初におしぼりを当てられた人が負け
〉〉 ◆ オフ会バージョン その2
〉 先生を、順番にみんなのとなりに呼びます。
〉〉 最初におかずを取られた人が負け
〉
〉〉〉※ 実在の人とは関係ありません。
〉 うう、このルールだと私の一人負け・・?
みなさん、おしぼり投げの元祖はじゅんじゅんさんです。
ぼくではありません!
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
11013. Re: 【注意】クニヒデ危機一髪ゲームの正しい遊び方
お名前: apple http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/5353/
投稿日: 2004/3/15(07:02)
------------------------------
酒井先生は[url:kb:11009]で書かれました:
〉〉〉〉クニヒデ危機一髪ゲームの遊び方
〉〉〉〉◆ オフ会バージョン
〉〉〉〉 先生に、順番にみんなでいろいろ言います。
〉〉〉〉 最初におしぼりを当てられた人が負け
〉〉〉
〉〉〉 ◆ オフ会バージョン その2
〉〉〉 先生を、順番にみんなのとなりに呼びます。
〉〉〉 最初におかずを取られた人が負け
〉〉〉
〉〉〉〉※ 実在の人とは関係ありません。
〉
〉〉 うう、このルールだと私の一人負け・・?
〉
〉みなさん、おしぼり投げの元祖はじゅんじゅんさんです。
〉ぼくではありません!
おかず取りの元祖は否定されなかったので、酒井先生なのですね! (^-^)/
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
11015. Re: 【注意】クニヒデ危機一髪ゲームの正しい遊び方
お名前: じゅんじゅん
投稿日: 2004/3/15(07:48)
------------------------------
おはようございます・・
〉〉ペギーさんこんばんは!appleさんおひさしぶりー!じゅんじゅんです。
〉さかいで−す!
うう・・じゅんじゅんです・・
〉〉〉〉クニヒデ危機一髪ゲームの遊び方
〉〉〉〉◆ オフ会バージョン
〉〉〉〉 先生に、順番にみんなでいろいろ言います。
〉〉〉〉 最初におしぼりを当てられた人が負け
〉〉〉 ◆ オフ会バージョン その2
〉〉 先生を、順番にみんなのとなりに呼びます。
〉〉〉 最初におかずを取られた人が負け
〉〉
〉〉〉〉※ 実在の人とは関係ありません。
〉〉 うう、このルールだと私の一人負け・・?
〉みなさん、おしぼり投げの元祖はじゅんじゅんさんです。
〉ぼくではありません!
うー・・なんかすごい悔しい・・
ではー・・
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
11019. Re: 【注意】クニヒゲ危機一髪ゲームの正しい遊び方
お名前: マリコ@SSS
投稿日: 2004/3/15(13:40)
------------------------------
"ペギー双葉山"さんは[url:kb:10937]で書きました:
〉クニヒゲ危機一髪ゲームの遊び方
ぺぎーさん、こんにちは。apple さん、ひさしぶり!appleさんが、でてこないので、どうしてはるんやろって思ってました。
元気ですか?
〉◆ リアルクニヒゲ危機一髪ゲーム
〉 先生をホテルに缶詰にします。
〉 そして、順番に、「原稿まだですか?」のような電話を
〉 1本1本かけていきます。
〉 部屋から飛びださせた人が負け
ピザの配達です、っていえば、すぐにとびだしてくるよ。
あ、とびださせた人が負け?〉
〉
〉◆ オフ会バージョン
〉 先生に、順番にみんなでいろいろ言います。
〉 最初におしぼりを当てられた人が負け
〉
手がよごれたから、おしぼりとって、と離れたところから言う。(酒井先生の優しさにアピールする)
なげてくれたところを、そのままcatchせずにあたる。
あ、当てられたら負けなんだ・・・
〉
〉※ 実在の人とは関係ありません。
最近のおかずとりも傾向が変わってきてて・・・
したがって、対策も変わってくるんですよね・・・
「2004年度、おかずとりき傾向と対策」
てなタイトルでSSSめるまがの「SSSコラム」を書くのってどうかしら・・・
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
11034. Re: 【注意】クニヒゲ危機一髪ゲームの正しい遊び方
お名前: apple http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/5353/
投稿日: 2004/3/15(21:35)
------------------------------
マリコさん、こんばんは。
〉appleさんが、でてこないので、どうしてはるんやろって思ってました。
〉元気ですか?
はい。
〉〉◆ リアルクニヒゲ危機一髪ゲーム
〉〉
〉〉 先生をホテルに缶詰にします。
〉〉 そして、順番に、「原稿まだですか?」のような電話を
〉〉 1本1本かけていきます。
〉〉 部屋から飛びださせた人が負け
〉
〉ピザの配達です、っていえば、すぐにとびだしてくるよ。
〉あ、とびださせた人が負け?
のようですね。
〉〉◆ オフ会バージョン
〉〉
〉〉 先生に、順番にみんなでいろいろ言います。
〉〉 最初におしぼりを当てられた人が負け
〉〉
〉手がよごれたから、おしぼりとって、と離れたところから言う。(酒井先生の優しさにアピールする)
〉なげてくれたところを、そのままcatchせずにあたる。
〉あ、当てられたら負けなんだ・・・
わはは、マリコさん、負けたいようですね。
負けの罰ゲームは何でしょうね?
Matildaのごとく本を読んで新書評システムに入れまくって、
ブッククラブにある本の全部にYLと語数を記入する!
でしょうか。
〉最近のおかずとりも傾向が変わってきてて・・・
〉したがって、対策も変わってくるんですよね・・・
〉「2004年度、おかずとりき傾向と対策」
〉てなタイトルでSSSめるまがの「SSSコラム」を書くのってどうかしら・・・
「2005年 おかずとりき出題予想」
てなタイトルで先生の講義のテストを予想したりして。
#漏らしたのでなくて本当に当たっていたらコワいな。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
11031. Re: 【注意】クニヒゲ危機一髪ゲームの正しい遊び方
お名前: はまこ
投稿日: 2004/3/15(21:10)
------------------------------
皆さん、こんばんはー。はまこです。
クニヒゲ危機一髪ゲームって
酒井先生の痛いところを突くと
目玉が飛び出すんだと思っていました
※リアルな想像はしないでね♪
◆さっきこれを投稿したと思ったのに載ってませんでした。
削除されたのにまた投稿してるんだったらどうしよう〜
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
10915. Re: 言葉の最小単位は「文」?...「物語」!
お名前: ありあけファン
投稿日: 2004/3/13(13:24)
------------------------------
酒井先生,みなさん こんにちは
ありあけファン@87万語 です
〉〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」
〉〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。
〉これ、まいったなあ・・・
〉すごいことを言い出しましたねえ・・・
〉言われてみればその通りで、ぼくの「言葉の最小単位は文」という
〉のは、まだまだ中途半端でしたねえ・・・
〉やられた、その通りだ!と思いながら、一瞬「こりゃ、まずいぞ!」
〉とも思ったんですが、それは最小単位が物語ということになると、
〉言葉を考えるときの焦点が拡散してしまって、考えようが
〉なくなってしまいそうな「危険」を感じたからなのですね。
〉その動揺はいまも続いておりますが・・・
〉さて、どうしたものか・・・
〉とりあえず、最小単位は物語だとすると、ぼくがだいぶ前から
〉考えていた holographic approach (かっこいいでしょう?)には
〉ぴったり合うんですが・・・
〉(次の本では「最小単位は文」で行こう・・・
〉物語にしてしまうと収集がつかなくなりそう・・・)
さすが!
私も,音読派,構文派の友人に多読を薦めても全然わかってもらえなくて,
苦労しています.
(私としては,音読や構文の存在意義に関してはそれで効果を上げている人が多数いる以上,
否定はできないと思います.でも,その人たちにもよく聞いてみると,多読の経験があり,多読抜きではそこまでの効果を上げることはできなかったものとも考えられます.
私にはあくまで,多読よる「物語の力」との相乗作用が効力を発揮したとしか考えられません.)
このように私は,別に音読や構文の学習の存在意義を否定するような発言はしていないのに,
猛反発を食らい,時には説教までされるのです.
そこには,既存のシステムの力がいかに大きいことか!,という問題を感じます.
でも,先生はその辺りの問題をよくご存じで,さすが! と思いました.
確かに,「物語」としてしまうと,題名だけを見て拒否されてしまいますよね.
そこで,
「言葉の最小単位は文?」
というのはどうでしょうか?
たとえば,
まずは,単語集式の学習法の問題点から導入して(これなら,音読派も構文派も賛成してくれる),
徐々に,言葉の横のつながりの必要性を検証事例を紹介しつつ(できるだけ,音読派や構文派がついて来ることができるように),
「物語の力」の存在を証明する.
そして,結論は多読による「物語の力」の威力を実例とともに述べる.
はどうでしょうか?
以上,いろいろと普段のうっぷんをぶつけてしまって申し訳ありません.
多読は楽しいし,周りからどう言われようとも続けます.
Happy Reading!!!!!!!!
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/13(02:39)
------------------------------
たこ焼さん、こんばんはー、道化師です。
本当に、直にたこ焼さんとこうしてお話するのは、お久しぶりですねー。
たこ焼さんには、私、いっぱい宿題を抱えてるんですよね。
(松浦亜弥問題とか、その後の神々問題?とか・・・)
ずっと、たこ焼さんの「無意識論」について、
ポパーの「議論の有効性」って視点から考えているんですけれど、
なっかなかスッキリ考えがまとまらなくて。
でも、きっとその内、
「DKCは井上和香の夢を見る」って題で、レスしますねぇー。
(宗旨替えして、今は、井上和香のタラコ唇がお気に入り♪)
〉「香辛料が入ってないカレーライスなんて、美味しくない!」(^L^)←誰?
〉「寂しかったわん。NMS大丈夫かしら・・・」(*^^*)←誰?
〉さてさて、本題です。
はい。
〉実はですね・・・
〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」
ありゃ、ありがとうございます。
〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。
なるほど。物語かぁ。
確かに、そうとも言えるなぁ。
「最小単位」をどう理解するかにもよると思いますが、
(言葉に「最小単位」という概念を持ち込んで良いのか?って事も含めて)
「最小単位」をそのまま使うとすれば、
私は「言葉の最小単位は事の場」だと思っています。
また、訳の解らん事言い出してって思われるでしょうから、
ちょっと説明しますね。
まっ、ちょっと駄洒落なんですが、
言葉→コトバ→コトのバ→事の場
って言う発想です。
「事」とは、「物事」という時に、「物」と対になる概念で、
「時の流れとともに移り行くプロセス、運動、思考等々」の総称です。
これに対して「物」は、時の流れとは関係なく、そこに在る状態です。
「事的存在論」と「物的存在論」とでも言いましょうか。
例えば、人間を「物的存在論」で言えば、たんぱく質が何%で、水分が何%、
骨がどういう構造になっていて、とか言うことになると思います。
「事的存在論」で言えば、人間は泣いて、笑って、怒って、恋をしたり、
子供を育てたり、信頼したり裏切ったり、そういう事ってことになります。
で、言葉って言うのは、きしくも、
そういう「事」の起きる「場」だと思うのです。
「場」と言うのは、そういう「事」を存在させる、
時間的、空間的、広がりとでも言いましょうか。
場の空気を読むとか、土壇場と言う時の「場」です。
(もうちょっと精密に定義しないといけないのでしょうけれど)
人と人と繋がりを支え、包んでいる何かだと思って下さい。
例えば、このSSSの掲示板も、空間的に限定はされないけれど、
ひとつの「場」である訳です。
よく論理の矛盾かいたずらを説明する時の例で、
「放たれた矢は止まっている」って言うのを聞きますよね?
弓から矢が放たれて飛んでいるように見えるけれど、
その時間を細かく切り刻んで分析していくと、
細かく時間を切れば切るほど、矢の移動している距離は短くなる、
じゃあ、時間の最小単位である「瞬間」には、
もはや矢は移動していないで、「静止」しているはずだ。
だとすると、その瞬間の積み重ねである「時間」の中で、
私たちが見ている飛んでいる矢は、静止している矢の累積なんだ
って言う論理です。
言葉に「最小単位」という概念を持ち込むのは、
この論理に近い気がするのです。
数ヶ月前に、顔の絵で、最小単位に触れた事がありますが、
あれも誤解を呼ぶ言い方でした。
あれも、単語と単語の関係性、つまり「場」の中で、どういう「事」かを
うまく伝えたいなぁって方便だったんですけれど。
それで、ある特定の人とある特定の人が語り合い、
(普遍的な人なんて、概念上の存在で、実際は人は全て、個別特定な存在です)
意志の疎通をする「場」が形成されて、
言い換えると、時や空間、思考、運動を包摂する「場」の共有が有って、
初めて「言葉」は通じる、意味が解る、理解される、と思うのです。
「あつい!」と発語して、
その時その言葉の受け取り手が、発語者と東京の湿度、温度、日差し、喧騒を
共有して初めて、その意味が伝わるって言う例で解るでしょうか。
それとも、こんな例の方がいいでしょうか。
先日、BSで、「市場対国家」と言う番組を2週に渡って放送していたんですね。
その中で、「オーストリー学派」とか「シカゴ学派」と言うのが出てきました。
ある特定の時、ある特定の場所で、突出した学者が輩出して名付けられた訳ですが、
何故こんな事が可能なのかを考えると、
そこには高効率な意思伝達率を支える、
別の言い方をすると、濃密なコミニュケーションを支える
「場」があったからなんじゃないかって思いました。
またまた別の例。
みかんを4,5個包んでいるネットがありますよね。
確かにネットは結節点とそこから伸びる糸で出来ているんですけれど、
だからと言って、みかんを包んでいるネットの一部を切り取っても、
その「みかんを包む」と言うネット本来の機能は失われてしまう。
みかんを包むネット全体と言う「場」があって初めて、ネットは機能する・・・。
とにかく、今の所、私は「コトバ」ってそんな感じのものじゃないかって、
仮定しているんです。
(あくまで、仮定と言う事で、いつでも変更可能な状態にしておきます。)
〉酒井先生の下記の投稿・・・
〉(((抜粋です)))
〉円〉〉「基本文例」は授業の最初に小テストもあるし、
〉円〉〉イヤでも外せないんでしょうし。
〉酒〉ほんとは基本文例なんかは覚えない方があとあと面倒がないのですよ。
〉酒〉それで思い出した! ぼくが学校英語を疑いはじめたきっかけは
〉酒〉修士論文を英語で書いていたときでした・・・
〉酒〉英語で書いていて、詰まる、抜け出せない、ということがあると、
〉酒〉どうもその直前に「英作文の公式」を使って書いた文が
〉酒〉あるということが何度も続きました。
〉酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、
〉酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・
〉酒〉思えばそう意識したことが「どうして英語が使えない?」に
〉酒〉繋がっていったのですね。
〉[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-yukkuri&c=e&id=809]
〉より一部抜粋。
〉基本文例で覚えた文では、文章がうまく流れない・・・
〉こんなこと、普通の人は気付きませんよ。
〉う〜ん、やはり酒井先生って、「岡本太郎」ですよね。すごいです。
岡本太郎、好きです。この人のゲージツは解りませんが、
「ゲージツは爆発だ」に代表される「コトバ」は、
とっても共感します。
と、こんな事はさておき、
この場合の酒井先生は、相手とある「場」を共有していた訳です。
しかし、酒井先生が使おうとした「基本文例」は、
その「場」を共有しない「コトバ」です。
聞き手である相手にとっても、発話者である酒井先生にとっても、
その「場」を共有しない「基本文例」は、
伝えたい意味の伝達の不能、理解の不能な記号の羅列であった
という事だと思います。
〉個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない
〉などと考えていましたが、
〉その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない
〉のです。
確かに「物語」は、その中に独自の「場」を持っていると思います。
そして、読者は、読む事で、その独自の「場」に入って行き、
その「場」を共有する事で、「コトバ」を理解していく。
でも、その物語独自の「場」を共有出来る事の前提に、
私たちが既に存在している「場」と物語の「場」が重なっている必要が
あると思うのです。
例えばGRにもあるのですが、南の国の民間伝承の話なんかを読むと、
何かが何かに変化して、それがどうして、どうなったなんて言う話がありますが、
たしかに、その書いてある事自体はわかります。
でも、それがどうした?って言う感が拭えないんですね。
その話の意味が解らないし、それで結末かい?って感じで、
それが何故結末になるのかも解らない。
だから、民間伝承って事ですから、それを代々口伝してきた人々が居る訳で、
その人達が口伝してきたって事は、その話に何かを感じ、感動したから、
わざわざ口伝してきた訳なのに、その訳がわからない。
これなんかも、その民間伝承話の「場」と私の「場」が重なっていない
って事だと思うんです。
昨日か一昨日、みちるさんが消してしまわれた投稿の中で、
私が「予測能力」で推定しているのは、
古川さんが言う「背景知識」ではないかって書かれていたのですが、
「場」も「予測能力」も背景知識だけでは納まらない何かだと思うんです。
だって、その民間伝承に出てくる動物、例えば虎だって、蛇だって、蛙だって、
知識としては知っている訳ですから。
もう一つ。
さっき、やはりBSで、小津安二郎の「早春」って映画を見たんですね。
30代の夫婦の話で、夫が若い女性と浮気をしてしまって、
妻と険悪な状態になるけれど、夫の転勤を機によりを戻す。
話の筋はこれだけです。
これだけの話を2時間かけて、やってるんです。
でも面白い。
伝わってくるものがある。
決して、それは難しいものじゃない。
単純に、「ああ、そうだな」って思える。
でも、この小津作品が海を渡って、フランスなんかでも
高い評価を受けているらしいんですが、
その受け止められ方は、そういう単純なもんじゃないんですね。
一種のシュールな作品として、その抽象性が評価されてるんです。
結構、難しい映画理論かなんかで語られてたりしてるんです。
これなんかも、「日本人としての」私の「場」と、
フランス人との「場」の相違が原因だと思うんです。
彼らだって、夫が浮気して、妻が怒って、仲直りしてって事は、
すぐに解っているはずですから。
それでも、シュールに感じてしまう・・・。
〉文と文は「連想力」でつながっているのです。
〉「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。
〉「連想力」とは、例えば、語のレベルで言えば、
〉「りんご」という語に対して、「赤」とか「歯ぐき」を思わず連想させるような力です。
これも、「りんご」からの連想と言うより、
日本で暮らしている私たちが普段目にしている「りんご」に紅が多くて、
デンターライオンのCMをみんなが見ていて、
記憶の何処かに「あなたはりんごを噛んでちがでませんか?」
って言うのを聞いた経験があって、
と言う「場」の共有性の話だと思うんです。
〉文のレベルで言うと、「これ、どうぞ。」に対して、「ありがとう。」とか。
〉あるいは、「愛してるわ・・・」に対して、いくつかの連想を経て、「さようなら。」とか。
〉まぁ、ごく単純な例しか挙げられませんが、このような力です。
〉そして、この「連想力」による「連想」には2種類あって、
〉連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」と、
〉連想を意識できずに無意識の中にとどまる「深い連想」とがあります。
〉上記の例は、連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」で、
〉「ああ、連想しているな」と思えるのですが、
〉連想など意識せずに文をつなげているときには
〉「深い連想」が大いに働いているのです。
〉道化師さんは、この「連想」の要素に注目して、「予測能力」という
〉表現を選ばれたのではないでしょうか?
読む者みんなに共通の「連想」を起こさせるのが「場」だし、
その「場」が、その「場」にいる参加者に共通に「連想」させる力を、
私は「予測能力」と呼んだ訳です。
ここで、大事なのは、「連想」を読む者がいかに「共通」の「連想」を
するかなんですね。
読む者が、ただ自分勝手に、自分の体験から連想していては、
やっぱり「何故、言語で(他人の書いた)文を読めるか」
に答えられなくなってしまう。
杏樹さんの「文章処理能力」に反応すると言う流れで、
多読で身に付くのは「予測能力」だって書いた訳ですが、
実は、その先に以上書いたような、
「多読によって読めるようになるのは、その場を共有するからだ」
って言う発想があったので、訂正した方がいいかもしれませんね。
〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、
〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。
〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は
〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。
〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、
〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、
〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか?
脳の言語野の働きは知りませんが、
(そういう名前の部分があるらしいって言うのは知っていますが)
そういう脳の機質の問題や、チョムスキーの生成文法のような話にしてしまうと、
「何故、コトバが伝わるのか、理解されるのか」は説明でいるんですけれど、
さっきの伝承や小津作品のように
「何故、伝わらないのか」が説明できなくなってしまう気がします。
だれでも、同じ脳の機能をもっているんだから、
伝わるはずじゃないかって、具合です。
〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉そのような理由からではないでしょうか?
たとえ発話者にとって物語の中で自然に身に付いた表現だったとしても、
物語から離れて、今のギャルに
「野菊ような君なりき」
って褒め上げても、伝わらないんじゃないかなーって、思うんですが・・・。
以上くだくだといつものように、書いてきましたが、
転職してプロの言語学者になる訳でもないので、
うまく整理出来ていません。
後は、たこ焼さんと私に共通の「場」が存在するのを、
祈るばかりです・・・・。
ではであ。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
10896. すいません。もう寝ます。続きは起きてからです。
お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/13(04:25)
------------------------------
こんばんはー、道化師さん。たこ焼です。 ええーと、 まず修正させていただきます。 〉〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」 〉〉おそらくは、同じことを考えていると思います。 〉〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、 〉〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。 ですが、 下記のように言い換えた方がいいですね。 たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」 おそらくは、同じことを考えていると思います。 同じこととは、「言葉の最小単位は物語」ということです。 道化師さんはこれを「予測能力」という言葉で巨視的に表現し、 たこ焼は「連想力」という言葉で微視的に表現しています。 さてさて、 今はもうかなり眠いので、道化師さんのこの投稿に 今の時点では まともなレスは付けられないことを堪忍してください。 寝て起きてからちゃんと読んでレスをつけます。 今から寝るので、レスを付けられるのは遅いかも。 今、ボーっとした頭で、読んだかぎりは、 やはり同じことを考えているけど、表現形式が たこ焼が微分形式なのに対し、道化師さんは積分形式のように思います。 すいません。理系の人しかピンとこないかも・・・。 道化師さんって、全体を強く意識する人なんだと思います。 最近の道化師さんの書き込み群を見ても強くそう思いますし、 「議論を楽しく」と本気で言える人は、やはり、おのれを無にして 全体を見れる人だと思います。 たこ焼も、全体を意識するのですが、やはり、 道化師さんに比べると弱いです。それに、 物事をむき出しにしてより微視的に見てやろう! という意識がかなり強いように思います。 両者のこの差が、そのまま表現形式の差になっているようです。 まったくもって素晴らしいことですよ、これは! 例えるなら・・・ たこ焼が微視的なら、道化師さんは巨視的ということ。 微小な「連想力」の総和が、「予測能力」あるいは「場」? 微分に対して、積分? 何とかの定理の表現には、微分形式もあれば、積分形式もある? 物体の運動の記述には、微分方程式ma=Fもあれば、 軌道を記述する二次方程式もある? 北に進むには、手元のコンパスを見続ける方法もあれば、 北極星を目指す方法もある? ・・・ というようなイメージ(論理じゃないです)を、道化師さんの最初の投稿を拝見したとき、 感じました。だから、同じものを見ていると感じたんです。 ではでは〜♪ また明日。あっ、もう強化!あはははh。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/13(23:51)
------------------------------
たこ焼さん、こんばんは。道化師です。
本筋とは違うんですが、ちょっとタネあかし。
〉今、ボーっとした頭で、読んだかぎりは、
〉やはり同じことを考えているけど、表現形式が
〉たこ焼が微分形式なのに対し、道化師さんは積分形式のように思います。
〉すいません。理系の人しかピンとこないかも・・・。
すいません。まさに私がピンとこない人です・・・。
〉道化師さんって、全体を強く意識する人なんだと思います。
〉最近の道化師さんの書き込み群を見ても強くそう思いますし、
〉「議論を楽しく」と本気で言える人は、やはり、おのれを無にして
〉全体を見れる人だと思います。
「見れる」か見れないかの能力、可能性の問題はさておき、
「全体」を見てからって言うのは、かなり意識してます。
なぜかと言うと・・・・
〉例えるなら・・・
〉たこ焼が微視的なら、道化師さんは巨視的ということ。
〉微小な「連想力」の総和が、「予測能力」あるいは「場」?
こうならないと考えてるからなんです。
「部分の総和は全体ならず」
って、思うんです。
だから、言葉の最小単位って言う切り口にも、
ちょっと懐疑的だし、
(物語も、「場」の一部っていう側面がありますから)
最近の投稿で、切った刺身は元の魚には戻らないって言うのとか、
今日のKYOさんの「トップダウン」な読み方には、
とっても同意するんですね。
教育者としての酒井先生が、その方法論としてのとっかかりに
「部分」を取り上げていかなければならないって言うご事情もわかりますがね。
SSS多読の良いところも、古川さんが書かれている、
「短い文から長い文へ」と言う部分の積み重ねで全体へではなく、
「やさしい長い文から難しい長い文へ」と言う、
「全体から全体へ」的なところなのだと思っています。
イメージにすると、積み木の積み重ねを従来型とすれば、
多読は風船に空気を入れて膨らます感じでしょうか。
小さな全体から大きな全体へって事でしょうか。
〉というようなイメージ(論理じゃないです)を、道化師さんの最初の投稿を拝見したとき、
〉感じました。だから、同じものを見ていると感じたんです。
同じものを見ていると信じています。
ただ、たこ焼さんの場合は名文家なのに対し、
私のはアジなので、その浸透力に差があるんですね。
アジのネタ開きでした。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/14(21:28)
------------------------------
最初にお断りしときますが、たこ焼は 今回の古川さんの処置を支持します。 「楽しい議論」はもちろん望みますが、 それがとてもできない状態から、「楽しい議論」ができる状態へと 変えることは難しく、おそらく、「議論」によって変えることはできないでしょう。 しかし、普段やっている「対話」ならこれができると思いますので、 「議論」をいったんシャットダウンする今回の荒療治に賛成するのです。 ただ、そうなると この「言葉の最小単位は物語」シリーズ、 たこ焼はしばらく書けなくなります。 古川さんは「一連の議論」の中に、このシリーズを おそらくは入れていないでしょう。そして 「一連の議論」には関係ないと主張することはできます。 しかし、 このシリーズには「関連の議論」に含まれるような内容と意図がある、 と指摘されれば、反論はしないつもりです。 (微妙な言い回しで申し訳ない。) などと、誤解されやすいことを言いながら、 古川さんの処置に少しでも抵触することを恐れての、 自主規制では決してありませんと強く主張しときます。 主要な問題は 「たこ焼が満足するようには書けない」 ということです。 他の人にはどう見えるのか知りませんが、このシリーズ、 自分の能力ギリギリのところで書いているつもりなのです。 自分の心の奥にじっと耳をかたむけ、 小さな声やかすかなイメージを拾い出すのは結構エネルギーが要ります。 この手の話題は、 連想の海の中で自由を感じながらでないと、たこ焼には満足に書けません。 今までも掲示板には「制限」がありましたが、それを受け入れて、 その中で自由を感じて、のびのびと書いていたのです。 この「制限」が変わった今、急には慣れることができません。 こころを総動員して書いていたのが、「制限」が揺らいで、 こころの一部が使用不能あるいは失われたような感覚です。 この「言葉の最小単位は物語」は、 たこ焼にとっては宝物なんです。 満足できるように表現したいと思うわけです。 何を大げさに・・・と思われるかもしれませんが、堪忍してください。 わがままを言っているという自覚はあるのですが、申し訳ないです。 もちろん、だからといって、 今、道化師さんが「言葉の最小単位は物語」や「事の場」についてのご意見を 投稿する自由をどうこうしようとは思っておりません。 これは道化師さんのご自由です。 しかし、今の時点ではたこ焼からのまともなレスは期待できないということです。 すんませんが。 新たなガイドラインが示され、それに慣れた頃には、また書けると思います。 その時には、この道化師さんの投稿への本格的なレスも書けるでしょう。 まぁ、もう少しお気楽な話題でしたら ノープロブレム! 今でもどんどん書けますです、ハイ。(笑) ご一緒に、しばらくはお気楽モードでいきませんか? 〉後は、たこ焼さんと私に共通の「場」が存在するのを、 〉祈るばかりです・・・・。 実は内心、かなり共通しているのではと思っております。(いろいろとね)(^^) ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/15(00:04)
------------------------------
たこ焼さん、こんばんは。道化師です。
せっかくのたこ焼さんの「物語」でしたが、
あいにく、私の問題提起(?)の枝からに位置していたのが、
心苦しく思います。
私も古川さんの主旨を尊重し、
このツリーでの発言を差し控えようと思います。
私の駄文を精査され、「全身全霊」でお相手いただいた事に感謝します。
それでは、また、別の場所で。
------------------------------
道化師さん、こんばんはー。たこ焼です。 〉あいにく、私の問題提起(?)の枝からに位置していたのが、 〉心苦しく思います。 いえいえ、そういうわけではないです。 心苦しく・・・などと仰られると、こちらが心苦しくなります。 ほんと、申し訳ないです。 道化師さんも、いろいろと考えておられたでしょうに、 たこ焼が一方的に中断しちゃって・・・。 〉それでは、また、別の場所で。 はい、は〜い ♪
------------------------------
道化師さん、こんばんはー。たこ焼です。 〉本当に、直にたこ焼さんとこうしてお話するのは、お久しぶりですねー。 ほんと、お久しぶりですねー。(^^) 〉たこ焼さんには、私、いっぱい宿題を抱えてるんですよね。 ええっ! 宿題!? 〉(松浦亜弥問題とか、その後の神々問題?とか・・・) 松浦亜弥問題! あははっははh。 ん!? 神々問題・・・って、何? 〉ずっと、たこ焼さんの「無意識論」について、 〉ポパーの「議論の有効性」って視点から考えているんですけれど、 〉なっかなかスッキリ考えがまとまらなくて。 ポパーの「議論の有効性」ですか! ううう、なんかおそろしいなぁ。道化師さんは怖いからなぁ。(笑) (ホーバークラフトのごとく、 議論が中に浮いているイメージを連想しちゃいました。) ええーとですね、 たこ焼は、「論理の人」ではなくて、「イメージの人」なので 議論が有効な構造をしているか否かとか、ほとんど意識してないです。 用語の統一性もかなりいい加減です。 この辺、おそらくは「論理の人」である道化師さんは、 かなりイライラされるのかもしれません。 たこ焼は、誤魔化しているつもりはないです。 ただ、イメージから論理へと翻訳する際に、誤訳することが多いです。 論理の積み上げではなくて、「像」ですので、途中でコロッと変化させることも 平気でやっちゃいます。 あっ、 「無意識」についての考察は、客観的な検出がかなり困難なものを仮定して 話をつくらざるをえないので、議論にならないといえば、ならないと思いますよ。 どうぞ、お手柔らかにね。 〉でも、きっとその内、 〉「DKCは井上和香の夢を見る」って題で、レスしますねぇー。 〉(宗旨替えして、今は、井上和香のタラコ唇がお気に入り♪) あはっははっは〜♪ 井上和香といいますと、 最近やたらとお写真を目にするおねえさんかな? う〜ん、たこ焼はもう少し年齢を重ねたかたが好みです。 「TKYは森田美由紀の夢を見たい!」という題で、 レスを付け返そうかしらん。(^^) 〉〉「香辛料が入ってないカレーライスなんて、美味しくない!」(^L^)←誰? 〉〉「寂しかったわん。NMS大丈夫かしら・・・」(*^^*)←誰? (^L^) = (♂) (*^^*) = (♀) 参考投稿 [url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-g&c=e&id=10701] [url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-g&c=e&id=10824] さてさて、本題です。 〉〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」 〉ありゃ、ありがとうございます。 あははっはっはh!! 「ありゃ」ですか! 持論を真っ向からぶつけ合う「議論」を 道化師さんは期待してたのでしょうね。(ニヤニヤ) 道化師さんさん自身、今はまだ???状態で、 論がぶつかっているのか、ぶつかっていないのか よくわからない・・・という感じなのでは? まぁ、無理して、対立点を見つけるのではなく、 対象について語り合う「対話」も、たまには いいのではないかとたこ焼は思いますよ。 もちろん、論がぶつかると明確になったところに関しては、 「議論」に即移行して、遠慮なくやりますが・・・。 〉〉おそらくは、同じことを考えていると思います。 〉〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、 〉〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。 〉なるほど。物語かぁ。 〉確かに、そうとも言えるなぁ。 でしょ? そういう感覚がありますよね。 〉「最小単位」をどう理解するかにもよると思いますが、 〉(言葉に「最小単位」という概念を持ち込んで良いのか?って事も含めて) 「持ち込んで良いのか?」という疑問は、たこ焼もよくわかります。 「言葉とは何か?」という問題意識なら、 この疑問は無視できないです。 〉「最小単位」をそのまま使うとすれば、 〉私は「言葉の最小単位は事の場」だと思っています。 〉また、訳の解らん事言い出してって思われるでしょうから、 〉ちょっと説明しますね。 あははっはは。「また」をつけましたか! 〉まっ、ちょっと駄洒落なんですが、 〉言葉→コトバ→コトのバ→事の場 〉って言う発想です。 〉「事」とは、「物事」という時に、「物」と対になる概念で、 〉「時の流れとともに移り行くプロセス、運動、思考等々」の総称です。 〉これに対して「物」は、時の流れとは関係なく、そこに在る状態です。 〉「事的存在論」と「物的存在論」とでも言いましょうか。 〉例えば、人間を「物的存在論」で言えば、たんぱく質が何%で、水分が何%、 〉骨がどういう構造になっていて、とか言うことになると思います。 〉「事的存在論」で言えば、人間は泣いて、笑って、怒って、恋をしたり、 〉子供を育てたり、信頼したり裏切ったり、そういう事ってことになります。 「物」とは、物質とか物体とか、 「事」とは、情報とか精神とか・・・ みたいな捉え方でいいのでしょうか? 〉で、言葉って言うのは、きしくも、 〉そういう「事」の起きる「場」だと思うのです。 〉「場」と言うのは、そういう「事」を存在させる、 〉時間的、空間的、広がりとでも言いましょうか。 〉場の空気を読むとか、土壇場と言う時の「場」です。 〉(もうちょっと精密に定義しないといけないのでしょうけれど) 〉人と人と繋がりを支え、包んでいる何かだと思って下さい。 精神がよって立っている「足場」・・・ いや、「足場」だと局所的な感じがしますね。 全体的な、もっと広いひろがりですね。 精神が活動している「広場」というか・・・。 でこぼこがたくさんある場所もあれば、だだっ広いグラウンドもあり、 ジャングルジムもあれば、滑り台もある、などなど。 いろんな要素がこの「広場」にあるんですね。 「精神」は、でこぼこのところでは、 くねくねと走ったり、ピョコンピョコンと飛び跳ね、 だだっ広いグラウンドでは、ダーッと直線に走り、 ジャングルジムではぶら下がり、滑り台ではすっと滑る・・・。 ひとつの「場」とまた別の「場」との違いは、 「広場」の要素の違いではないでしょうか? 数が違ったり、種類が違ったり、配置が違ったり、です。 どうでしょうか。道化師さんの「場」を なんとなく、理解できていると思うのですが。 〉例えば、このSSSの掲示板も、空間的に限定はされないけれど、 〉ひとつの「場」である訳です。 バーチャルリアリティ空間みたいな観点からすると、 SSSの掲示板もやはり空間的に限定された「場」ということですね。 〉よく論理の矛盾かいたずらを説明する時の例で、 〉「放たれた矢は止まっている」って言うのを聞きますよね? 〉弓から矢が放たれて飛んでいるように見えるけれど、 〉その時間を細かく切り刻んで分析していくと、 〉細かく時間を切れば切るほど、矢の移動している距離は短くなる、 〉じゃあ、時間の最小単位である「瞬間」には、 〉もはや矢は移動していないで、「静止」しているはずだ。 〉だとすると、その瞬間の積み重ねである「時間」の中で、 〉私たちが見ている飛んでいる矢は、静止している矢の累積なんだ 〉って言う論理です。 〉言葉に「最小単位」という概念を持ち込むのは、 〉この論理に近い気がするのです。 そのとおりだと思います。 「言葉とは何か?」という問題意識が第1なら、まさにそうです。 「言葉」とは、なんかとても不可解なものであり、この「不可解さ」が 実は大事な属性なのではないかとも思います。ですから、 定義づけや、最小単位などで明確にしようなどとすればするほど、 「言葉」の本質から離れるような気もします。 道化師さんの例での「時間」をふまえますと、 動いている「言葉」の瞬間を捉えて明快にして「不可解さ」をなくせば、 それはもう静止した「言葉の死骸」であり、「言葉」の本質とはかけ離れている・・・ ということでしょうか。 しかし、たこ焼の問題意識は、そしておそらくSSSでの問題意識は、 「言葉とは何か?」という問題意識が第1ではないと思うんです。 「言葉の習得とは?」が第1ではないでしょうか? だとすると、つまり、 「習得のための最小単位は?」という問題意識へつなげるために 「最小単位」という概念は非常に有効だと思いますよ。 「言葉」には、「語」「文」だけでなく、これらに付随する「連想力」が とても大事な要素だと思うんです。 この「連想力」をもインプットするには、「物語」という枠組みが最小 だと考えているわけです。 〉数ヶ月前に、顔の絵で、最小単位に触れた事がありますが、 〉あれも誤解を呼ぶ言い方でした。 〉あれも、単語と単語の関係性、つまり「場」の中で、どういう「事」かを 〉うまく伝えたいなぁって方便だったんですけれど。 そうそう、関係性! たこ焼のいう「連想力」とは、まさに「関係性の最小単位」のことですよ。 〉それで、ある特定の人とある特定の人が語り合い、 〉(普遍的な人なんて、概念上の存在で、実際は人は全て、個別特定な存在です) 〉意志の疎通をする「場」が形成されて、 〉言い換えると、時や空間、思考、運動を包摂する「場」の共有が有って、 〉初めて「言葉」は通じる、意味が解る、理解される、と思うのです。 〉「あつい!」と発語して、 〉その時その言葉の受け取り手が、発語者と東京の湿度、温度、日差し、喧騒を 〉共有して初めて、その意味が伝わるって言う例で解るでしょうか。 例えば、 「キリン疲れには、パンダですね。」 という文は、 SSS外の人には、???で、意味不明ですが、 SSSという「場」を共有している人には、 「キリン読みで疲れたら、パンダ読みがいいですね。」 という意味として理解できる、 ということですよね。 こうした理解が可能なのは、「キリン・パンダ」という語の連想力が 「キリン読み・パンダ読み」という語を引き寄せるからなんです。 つまり、SSS の人たちは、SSS外の人が持たない連想力を持っているんです。 この連想力をどうして得られたかというと、 SSSでの投稿(これらは全て「物語」です)をたくさん読んだり、 自分で経験(これも全て「物語」です)したからなんです。 〉それとも、こんな例の方がいいでしょうか。 〉先日、BSで、「市場対国家」と言う番組を2週に渡って放送していたんですね。 〉その中で、「オーストリー学派」とか「シカゴ学派」と言うのが出てきました。 〉ある特定の時、ある特定の場所で、突出した学者が輩出して名付けられた訳ですが、 〉何故こんな事が可能なのかを考えると、 〉そこには高効率な意思伝達率を支える、 〉別の言い方をすると、濃密なコミニュケーションを支える 〉「場」があったからなんじゃないかって思いました。 つまり、 たこ焼が上で挙げたような例文を使って、 道化師さんと高効率な意思伝達ができるのは、 SSSという濃密なコミニュケーションを支える「場」があったから、 ということですよね。 これを「連想力」で説明すれば、道化師さんとたこ焼は、 共有している「連想力」が多いということです。 〉またまた別の例。 〉みかんを4,5個包んでいるネットがありますよね。 〉確かにネットは結節点とそこから伸びる糸で出来ているんですけれど、 〉だからと言って、みかんを包んでいるネットの一部を切り取っても、 〉その「みかんを包む」と言うネット本来の機能は失われてしまう。 〉みかんを包むネット全体と言う「場」があって初めて、ネットは機能する・・・。 うんうん、 やはり、「場」という考えは、「部分」ではなくて 「全体」という意味を持つんですね。 〉とにかく、今の所、私は「コトバ」ってそんな感じのものじゃないかって、 〉仮定しているんです。 〉(あくまで、仮定と言う事で、いつでも変更可能な状態にしておきます。) なるほど、 道化師さんの「場」という考え、 たこ焼はなんとか理解できていると思うのですが・・・。 〉〉酒井先生の下記の投稿・・・ 〉〉(((抜粋です))) 〉〉円〉〉「基本文例」は授業の最初に小テストもあるし、 〉〉円〉〉イヤでも外せないんでしょうし。 〉〉酒〉ほんとは基本文例なんかは覚えない方があとあと面倒がないのですよ。 〉〉酒〉それで思い出した! ぼくが学校英語を疑いはじめたきっかけは 〉〉酒〉修士論文を英語で書いていたときでした・・・ 〉〉酒〉英語で書いていて、詰まる、抜け出せない、ということがあると、 〉〉酒〉どうもその直前に「英作文の公式」を使って書いた文が 〉〉酒〉あるということが何度も続きました。 〉〉酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、 〉〉酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・ 〉〉酒〉思えばそう意識したことが「どうして英語が使えない?」に 〉〉酒〉繋がっていったのですね。 〉〉[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-yukkuri&c=e&id=809] 〉〉より一部抜粋。 〉〉基本文例で覚えた文では、文章がうまく流れない・・・ 〉〉こんなこと、普通の人は気付きませんよ。 〉〉う〜ん、やはり酒井先生って、「岡本太郎」ですよね。すごいです。 〉岡本太郎、好きです。この人のゲージツは解りませんが、 〉「ゲージツは爆発だ」に代表される「コトバ」は、 〉とっても共感します。 あはっはははは。 〉と、こんな事はさておき、 〉この場合の酒井先生は、相手とある「場」を共有していた訳です。 〉しかし、酒井先生が使おうとした「基本文例」は、 〉その「場」を共有しない「コトバ」です。 〉聞き手である相手にとっても、発話者である酒井先生にとっても、 〉その「場」を共有しない「基本文例」は、 〉伝えたい意味の伝達の不能、理解の不能な記号の羅列であった 〉という事だと思います。 この辺の解釈は、たこ焼と少し違うかもしれません。 酒井先生は「相手に伝えられなかった」とは仰っていません。 「言葉をスラスラと出せなかった」と仰っているのだと思います。 修士論文のアイデア自体は既に完成されていても、 英語で表現しようとしたときに、基本文例で覚えた文の後では 「語」や「文」が次々に浮かんでこなかった、 ということだと思います。 「基本文例」の集まりは物語ではありません。 個々の文と文の間に連想力によるつながりがないからです。 ですから、覚えた「基本文例」は「連想力」を付随していないのです。 この投稿にしてもそうですが、人がこうして文章を書いているとき、 流れよく次から次へと「語」や「文」が浮かぶのは、 それまでに書いた・読んだ「語」や「文」の「連想力」の働きによるのです。 ですから、「連想力」を付随しない「基本文例」の後では、スラスラとは 浮かんでこない・・・ということだと思います。 〉〉個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない 〉〉などと考えていましたが、 〉〉その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない 〉〉のです。 〉確かに「物語」は、その中に独自の「場」を持っていると思います。 〉そして、読者は、読む事で、その独自の「場」に入って行き、 〉その「場」を共有する事で、「コトバ」を理解していく。 〉でも、その物語独自の「場」を共有出来る事の前提に、 〉私たちが既に存在している「場」と物語の「場」が重なっている必要が 〉あると思うのです。 そのとおりですね。これは、 「キリン疲れには、パンダですね。」の例と同じことですね。 〉例えばGRにもあるのですが、南の国の民間伝承の話なんかを読むと、 〉何かが何かに変化して、それがどうして、どうなったなんて言う話がありますが、 〉たしかに、その書いてある事自体はわかります。 〉でも、それがどうした?って言う感が拭えないんですね。 〉その話の意味が解らないし、それで結末かい?って感じで、 〉それが何故結末になるのかも解らない。 〉だから、民間伝承って事ですから、それを代々口伝してきた人々が居る訳で、 〉その人達が口伝してきたって事は、その話に何かを感じ、感動したから、 〉わざわざ口伝してきた訳なのに、その訳がわからない。 〉これなんかも、その民間伝承話の「場」と私の「場」が重なっていない 〉って事だと思うんです。 そのとおりだと思います。 彼らが持つ「連想力」のセットのすべてを 我われが持つわけではないということです。 先ほどの例に従えば、 「パンダとキリン、どっちが好き?」 という文は、 SSS外の人には、 「パンダという動物とキリンという動物、どっちが好き?」 という意味にしか理解できませんが、 しかし、SSS内の人には、 「パンダという動物とキリンという動物、どっちが好き?」 の他に、 「パンダ読みとキリン読み、どっちが好き?」 という理解もできます。 「パンダとキリン、どっちが好き?」という文が持つ「連想力」のセットと 受け手が持つ「連想力」のセットの重なり具合によっては、 上記のような理解・解釈の差も出てくるわけです。 〉昨日か一昨日、みちるさんが消してしまわれた投稿の中で、 〉私が「予測能力」で推定しているのは、 〉古川さんが言う「背景知識」ではないかって書かれていたのですが、 〉「場」も「予測能力」も背景知識だけでは納まらない何かだと思うんです。 〉だって、その民間伝承に出てくる動物、例えば虎だって、蛇だって、蛙だって、 〉知識としては知っている訳ですから。 「背景知識」といったときの「知識」は、個々の「知識」の間の 関係性が切れてしまっていることが多いと思います。 また、「知識」を整理するために、因果関係で記述されたりするのですが、 「連想」はこういう因果関係を超えてますから・・・。 〉もう一つ。 〉さっき、やはりBSで、小津安二郎の「早春」って映画を見たんですね。 〉30代の夫婦の話で、夫が若い女性と浮気をしてしまって、 〉妻と険悪な状態になるけれど、夫の転勤を機によりを戻す。 〉話の筋はこれだけです。 〉これだけの話を2時間かけて、やってるんです。 〉でも面白い。 〉伝わってくるものがある。 〉決して、それは難しいものじゃない。 〉単純に、「ああ、そうだな」って思える。 〉でも、この小津作品が海を渡って、フランスなんかでも 〉高い評価を受けているらしいんですが、 〉その受け止められ方は、そういう単純なもんじゃないんですね。 〉一種のシュールな作品として、その抽象性が評価されてるんです。 〉結構、難しい映画理論かなんかで語られてたりしてるんです。 〉これなんかも、「日本人としての」私の「場」と、 〉フランス人との「場」の相違が原因だと思うんです。 〉彼らだって、夫が浮気して、妻が怒って、仲直りしてって事は、 〉すぐに解っているはずですから。 〉それでも、シュールに感じてしまう・・・。 なるほど、「場」の微妙な相違が 想像の差を生みだし、シュールに感じてしまうのでしょうね。 またまた先ほどの例に従えば、 「中国産のパンダはやさしい性格だけど、アフリカ産のキリンは気難しい。」 という文は、 SSS外の人には、 「中国産のパンダという動物はやさしい性格だけど、 アフリカ産のキリンという動物は気難しい。」 という意味にしか理解できません。 しかし、SSS内の人も、正確には、同じく 「中国産のパンダという動物はやさしい性格だけど、 アフリカ産のキリンという動物は気難しい。」 という理解しかできないのですが、 「ニヤッ」と笑みを浮かべるイメージが湧くことがあるのです。 (パンダ読みはやさしいけど、キリン読みは難しい。) (中国語はパンダ読みしやすくって、スワヒリ語はキリン読みが難しい。) (パンダ読みは中国人の発明で、キリン読みはアフリカ人の発明。) などなど。 シュールだと思いませんか・・・? これらのイメージは、「キリン・パンダ」という語の連想力が 「キリン読み・パンダ読み」という語を引き寄せ、 他の「語」もそれぞれが「連想力」により、「中国語」とか「アフリカ人」という 新しい「語」を引き寄せた結果です。 〉〉文と文は「連想力」でつながっているのです。 〉〉「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。 〉〉「連想力」とは、例えば、語のレベルで言えば、 〉〉「りんご」という語に対して、「赤」とか「歯ぐき」を思わず連想させるような力です。 〉これも、「りんご」からの連想と言うより、 〉日本で暮らしている私たちが普段目にしている「りんご」に紅が多くて、 〉デンターライオンのCMをみんなが見ていて、 〉記憶の何処かに「あなたはりんごを噛んでちがでませんか?」 〉って言うのを聞いた経験があって、 〉と言う「場」の共有性の話だと思うんです。 「共有性」! まさに、そうです。 「りんご」から「赤」への連想は古来からあるのでしょうが、 「歯ぐき」への連想は現代だけですよね。 そしてこれらの「赤」「歯ぐき」への連想は、日本という枠でのことです。 他の国では、まず「歯ぐき」はないでしょう。(笑) 「apple」という語の持つ連想力は、「red」を強く引き寄せるのか、 はたして「green」なのか、たこ焼は知りません。 言葉の体系が異なると、「連想力」のセットも違ってきます。 もちろん、共通の部分も多いのですが、違う部分もあるのでしょう。 だからこそ、「英単語に日本語訳」という方法は、マズイのです。 その英単語の連想力のセットを正しくインプットできず、 日本語には訳せるけど、理解できない・・・ということが起こるでしょう。 また、英語にはないけれど日本語にある「連想力」に引きずられて、 誤読・誤解する可能性もあるわけです。 〉〉文のレベルで言うと、「これ、どうぞ。」に対して、「ありがとう。」とか。 〉〉あるいは、「愛してるわ・・・」に対して、いくつかの連想を経て、「さようなら。」とか。 〉〉まぁ、ごく単純な例しか挙げられませんが、このような力です。 〉〉そして、この「連想力」による「連想」には2種類あって、 〉〉連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」と、 〉〉連想を意識できずに無意識の中にとどまる「深い連想」とがあります。 〉〉上記の例は、連想自体が意識に上りやすい「浅い連想」で、 〉〉「ああ、連想しているな」と思えるのですが、 〉〉連想など意識せずに文をつなげているときには 〉〉「深い連想」が大いに働いているのです。 〉〉道化師さんは、この「連想」の要素に注目して、「予測能力」という 〉〉表現を選ばれたのではないでしょうか? 〉読む者みんなに共通の「連想」を起こさせるのが「場」だし、 〉その「場」が、その「場」にいる参加者に共通に「連想」させる力を、 〉私は「予測能力」と呼んだ訳です。 〉ここで、大事なのは、「連想」を読む者がいかに「共通」の「連想」を 〉するかなんですね。 〉読む者が、ただ自分勝手に、自分の体験から連想していては、 〉やっぱり「何故、言語で(他人の書いた)文を読めるか」 〉に答えられなくなってしまう。 そうなんです。 「共有」が大事なんです。 だから、英語ができるようになるには、 英語の「連想力」をインプットして、英語圏の人たちと「共有」する必要があるのです。 英語の「連想力」をそのままインプットできる最小単位が「物語」なんです。 〉杏樹さんの「文章処理能力」に反応すると言う流れで、 〉多読で身に付くのは「予測能力」だって書いた訳ですが、 〉実は、その先に以上書いたような、 〉「多読によって読めるようになるのは、その場を共有するからだ」 〉って言う発想があったので、訂正した方がいいかもしれませんね。 日本語にしろ、英語にしろ、 「日本語の場」や「英語の場」を共有するから意味が伝わるんですよね。 たこ焼が言うとすれば、 「日本語の連想力のセット」や「英語の連想力のセット」を共有するから意味が伝わる、 ということです。 〉〉言葉の最小単位ですので、「物語」を小さく切り刻んだ要素、 〉〉例えば、単語、孤立した文などはもはや言葉ではありません。 〉〉従って、これらをいくらインプットしても、脳の言語野は 〉〉それらを言葉としてなかなか認識しないのです。 〉〉ところがSSS的多読だと、「物語」そのものをインプットするので、 〉〉脳の言語野はちゃんと言葉として認識して、 〉〉言語野の成長が促進されるのではないでしょうか? 〉脳の言語野の働きは知りませんが、 〉(そういう名前の部分があるらしいって言うのは知っていますが) 〉そういう脳の機質の問題や、チョムスキーの生成文法のような話にしてしまうと、 〉「何故、コトバが伝わるのか、理解されるのか」は説明でいるんですけれど、 〉さっきの伝承や小津作品のように 〉「何故、伝わらないのか」が説明できなくなってしまう気がします。 〉だれでも、同じ脳の機能をもっているんだから、 〉伝わるはずじゃないかって、具合です。 まさに、「場」の違い、「連想力」のセットの違いだと思います。 脳には「連想力」をインプットする機能があるのに、 それを利用してこなかった、いや、「連想力」を無視していたのが、 従来の英語学習法だと思います。 〉〉いや、もう少し精密に表現すると、 〉〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、 〉〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。 〉〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは 〉〉そのような理由からではないでしょうか? 〉たとえ発話者にとって物語の中で自然に身に付いた表現だったとしても、 〉物語から離れて、今のギャルに 〉「野菊ような君なりき」 〉って褒め上げても、伝わらないんじゃないかなーって、思うんですが・・・。 それは、今のギャルのなかに、その「物語」がないからですよ。 それにしても・・・ ギャルをそんな言葉で褒め上げる・・・ そのような経験を道化師さんはしているのですね?(大笑) 〉以上くだくだといつものように、書いてきましたが、 〉転職してプロの言語学者になる訳でもないので、 〉うまく整理出来ていません。 たこ焼もプロの言語学者になるつもり全くないです。(笑) プロから見れば、用語の使い方とかめちゃくちゃなのかもしれませんが、 たこ焼はぜんぜん気にしません。 他人の言葉で語るより、自分の言葉で語った方が楽しいですからね。 〉後は、たこ焼さんと私に共通の「場」が存在するのを、 〉祈るばかりです・・・・。 たこ焼はますます一緒だと確信しました。 いや、もっと精密に表現すれば、 道化師さんの「場」をたこ焼の「連想力の総和」でかなりうまく近似できる ということです。この辺のことは、もう一方のレスに書きます。 〉ではであ。 ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: マリコ@SSS
投稿日: 2004/3/13(12:32)
------------------------------
"たこ焼"さんは[url:kb:10832]で書きました:
たこ焼きさん、こんにちは。マリコです。
〉酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、
〉酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・
これ、ほんとにそうだと思います。
基本文を覚えれば文章を書けると思っていました。昔は。
でも、文章が流れなくて、ぶつぶつ切れるのは、基本文があたまにあるからだということには、気がつきませんでした。
今のほうがずっと書きやすいです。
すらすらとまではいかないけど、ゆっくり考えながらだけど、なめらかな文が書けてるんじゃないかなって思うときがあります。
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
10928. Re: 言葉の最小単位は「物語」のなかに存在する文?
お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/13(23:23)
------------------------------
こんばんはー、マリコさん。お久しぶり。たこ焼です。 〉〉酒〉つまり「基本文例」というやつに言いたいことを載せようとすると、 〉〉酒〉文が流れなくなって、その先が続けにくくなる・・・ 〉これ、ほんとにそうだと思います。 〉基本文を覚えれば文章を書けると思っていました。昔は。 実は、400万語報告の後、アウトプットがうまく出てこないのに少しあせり、 「基本文例でも覚えようかな〜」と思っていたときに、 酒井先生のあの投稿を拝見したんです。 ビッビッビッビックリしました。そのときには意味はわかりませんでしたが、 酒井先生をとりあえず信じて、基本文例を覚えるプランは中止したんです。で、 いったいどういう意味なんだろう?と考え続けて、このような結果を得たのです。 〉でも、文章が流れなくて、ぶつぶつ切れるのは、 〉基本文があたまにあるからだということには、気がつきませんでした。 こんなことに気付かれる酒井先生はほんとすごいですよね。 普通は自分の感覚を信じずに、 「文章が流れないのは、基本文例の暗記が徹底していないからだ。」とか、 「文章が流れないのは、覚えている基本文例がまだまだ少ないからだ。」 などと思うのではないでしょうか? 少なくともたこ焼ならそのように思います。 〉今のほうがずっと書きやすいです。 〉すらすらとまではいかないけど、ゆっくり考えながらだけど、 〉なめらかな文が書けてるんじゃないかなって思うときがあります。 SSS式多読の効果なのでしょうね。 SSS式多読では、「物語」をそのままインプットするので、 「語」「文」に付随する「連想力」もそのままインプットされるのです。 このインプットされた「連想力」が働いて、次々と「語」「文」がなめらかに 浮かんでくるということだと思います。 ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: 久子
投稿日: 2004/3/13(16:21)
------------------------------
たこ焼さん こんにちは
このところの掲示板は、読むだけでいっぱい それでも全部読めていません。
自分のなかで消化しきれていないのですが、たこ焼さん の提言から考えたことを
ちょっと書いてみます。
〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」
〉おそらくは、同じことを考えていると思います。
〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、
〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。
「言葉の最小単位は物語」そうなのかもしれませんね。
言葉は流れていくものなので、それぞれの単語ひとつひとつ切り離して考える
ことは、私にはとても難しいことです。同様に、文という単位もしっくりきま
せんでした。単語と同様に文ごとに切出してしまうと、別のものとなってしまう
そんな感じがしていました。
たこ焼さんの以下の部分と同じですね。
〉個々の単語は、文の中にないと意味が決まらない
〉などと考えていましたが、
〉その個々の文すら、「物語」の中にないと意味が確定しない
〉のです。
私はSSSに出会う少し前から、ほぼ同じ方法で児童書を読んでいました。
レベルはかなり上のものでしたので、知らないところは飛ばしてましたが
不思議と内容はわかり楽しめました。でも、この本から単語や文を切出してきて
読んでも、まったく理解できなかったと思います。言葉の流れのにのって
進んだから、物語として自分のなかに入ってきたのでしょう。
この「言葉の流れのにのる」ということを、たこ焼さんは、「連想力」と
表現されているのではないかと思います。
〉文と文は「連想力」でつながっているのです。
〉「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。
「連想力」の源は、各人の人生経験ですね。それをもとに書いてある言葉から
読んだ人がそれぞれ自分の物語を生みだしているのではないでしょうか?
たとえば、歳をとってから、若いころに読んだ本を読むとまた違った感じがする
のは、このためなのだと思います。
この部分を、もしかすると道化師さんは、「知っていることしか読めない」と
したのかとも思いますが、私は、「知っていることを元にしてしか読めない」
と言い換えたほうがいいかなと考えています。
そうでないと、未知の領域についてまったく読めないような印象を与えてしまい
ます。
〉いや、もう少し精密に表現すると、
〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、
〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。
〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは
〉そのような理由からではないでしょうか?
「物語」のなかで何回も出会ううちに、その語や文の2、3枚の平面写真を持つ
のではなく、どの方向から見ることができる3D画像を持つようになるのでしょ
う。これまでの学習法だと、写真の数を増やしていくような感じを受けます。
多読は写真ではなくて、そのものを自分の中に取り込んでいくような感じがします。
まとまりなく今の考えをつらつら書いてしまいまったので
みなさんに突っ込まれると破綻しそうですが....
それでは また
------------------------------
久子さん、こんばんはー。たこ焼です。 もしかすると、はじめましてでしょうか? 〉このところの掲示板は、読むだけでいっぱい それでも全部読めていません。 〉自分のなかで消化しきれていないのですが、たこ焼さん の提言から考えたことを 〉ちょっと書いてみます。 あー、 たこ焼はまだ表現し切れていないように思います。ですから 必ずしも、久子さんが消化し切れていないのではないと思いますよ。 〉〉たこ焼は道化師さんの考えに「大賛成!」 〉〉おそらくは、同じことを考えていると思います。 〉〉そう、道化師さんの「予測能力」なるものを、 〉〉たこ焼は「言葉の最小単位は物語」と表現します。 〉「言葉の最小単位は物語」そうなのかもしれませんね。 〉言葉は流れていくものなので、それぞれの単語ひとつひとつ切り離して考える 〉ことは、私にはとても難しいことです。同様に、文という単位もしっくりきま 〉せんでした。単語と同様に文ごとに切出してしまうと、別のものとなってしまう 〉そんな感じがしていました。 そうなんです。 SSS以前にはあまり感じなかったのですが、最近のたこ焼は 孤立した文に少々違和感を感じるようになりました。 いい辞書の例文は、1つの文だけで物語性を持とうと努力してありますが、 それでもなんか違和感を感じることがあります。 〉私はSSSに出会う少し前から、ほぼ同じ方法で児童書を読んでいました。 〉レベルはかなり上のものでしたので、知らないところは飛ばしてましたが 〉不思議と内容はわかり楽しめました。でも、この本から単語や文を切出してきて 〉読んでも、まったく理解できなかったと思います。言葉の流れのにのって 〉進んだから、物語として自分のなかに入ってきたのでしょう。 〉この「言葉の流れのにのる」ということを、たこ焼さんは、「連想力」と 〉表現されているのではないかと思います。 「流れ」というイメージでいえば、鉛筆でグニャグニャと曲線を書いたとします。 この曲線を虫眼鏡で拡大すると、小さな矢印の集合体が見えます。 →→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→ という感じです。 このひとつひとつが「連想力」で、「語・文」と「語・文」をつないでおり、 曲線が「物語」なのです。 あるいは、 道化師さんの仰る「場」には起伏があって、水を流せば、 低いところを「流れる」のですが、この「流れ」が上記の曲線であり、 ひとつの「物語」なのです。 彼が「予測能力」といったのは、この曲線の流れ方を、 「場」全体を見渡してその起伏を見極めて推測する能力と、 たこ焼はとらえております。たこ焼の「連想力」は、この「場」の局所局所での 起伏の傾斜加減のことです。 重力場、電場、磁場 というような用語がわかる人には。ピンと来ると思うのですが・・・。 (う〜ん、道化師さんの「場」とたこ焼の「連想力」をつなぐ、 何かいいイメージは他にないものでしょうか?) 〉〉文と文は「連想力」でつながっているのです。 〉〉「連想力」なき文の集合は、「物語」ではありません。 〉「連想力」の源は、各人の人生経験ですね。それをもとに書いてある言葉から 〉読んだ人がそれぞれ自分の物語を生みだしているのではないでしょうか? 〉たとえば、歳をとってから、若いころに読んだ本を読むとまた違った感じがする 〉のは、このためなのだと思います。 まったくそのとおりだと思いますよ。 例えば、「多読」「辞書」「理解」といった語がもつ「連想力」は、 SSS的多読という人生経験により、新しい連想が生み出され、 大きく変化したのではないでしょうか? 〉この部分を、もしかすると道化師さんは、「知っていることしか読めない」と 〉したのかとも思いますが、私は、「知っていることを元にしてしか読めない」 〉と言い換えたほうがいいかなと考えています。 〉そうでないと、未知の領域についてまったく読めないような印象を与えてしまい 〉ます。 まさにそのとおりだと思いますよ。 「予想外の展開」とか「どんでん返し」とは、 比較的連想力の弱いところへと流れていったからこそ、 「予想外」と感じるんだと思います。 連想力が0ならば、理解不能となるわけです。 「知っていることしか読めない」とは、 連想力によりつながる流れの物語しか読めない ということです。 〉〉いや、もう少し精密に表現すると、 〉〉「物語」のイメージが漂っている状態なら、 〉〉取り出した個々の語や文も、言葉として感じられるのです。 〉〉多読で覚えた語や表現が、生き生きとしているのは 〉〉そのような理由からではないでしょうか? 〉「物語」のなかで何回も出会ううちに、その語や文の2、3枚の平面写真を持つ 〉のではなく、どの方向から見ることができる3D画像を持つようになるのでしょ 〉う。これまでの学習法だと、写真の数を増やしていくような感じを受けます。 〉多読は写真ではなくて、そのものを自分の中に取り込んでいくような感じがします。 「語」の図形的イメージですが、こんな感じです。 「愛」という語を例とします。(^^) 仮に、「愛」という語を1つだけ含む10個の「物語」を読んだとします。 先ほど「物語」を曲線と表現しましたが、ここでは長さ30センチぐらいの紐だとします。 つまり、10本の紐があるわけです。 個々の紐に、「愛」という語があるところをマジックで印をつけます。 そして、この印を結び目にして、10本の紐を結ぶのです。 「愛」という語を含む「物語」を読めば読むほど、紐の数は増えます。 「物語」は、本だけとは限りません。自分の経験も「物語」なのです。 紐の数がドンドン増えると、チアリーダーが使うボンボンのようなものになります。 このボンボンの中心が、「愛」という語です。 紐の微小部分は小さな矢印「連想力」です。 「愛」という語とそれから発散する「連想力」の図形的イメージは、 ウニです。あるいは栗です。 (語をこのようなイメージで表現した図をなんかの本で見たことがあるような・・・) このウニの針には粘着力があって、特定の「語」「文」を 引き寄せて吸着するのです。そうして、どんどんと数珠つなぎに ウニが連なった曲線が「物語」なんです。 「物語」を読めば読むほど、紐は増え、 「愛」という語から発散する「連想力」は、いろんな方向に向くようになります。 すると、「愛」という語に、連想力よって結びつく「語」「文」はますます多様になります。 そうなればなるほど、「愛」という語を含む多様な「物語」が理解できるようになるし、 自分でも多様な愛の「物語」を語れるのです。 〉まとまりなく今の考えをつらつら書いてしまいまったので 〉みなさんに突っ込まれると破綻しそうですが.... 〉それでは また まとまりなど、あまり考えなくてもよろしいのでは? とても楽しくレスを付けさせてもらいましたよ。 ありがとうございました。 ではでは〜♪
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: じゅんじゅん
投稿日: 2004/3/14(03:05)
------------------------------
たこ焼さんこんばんは。じゅんじゅんです。
いっぱいお返事があってどうしようかと思っていたのですが。
やっぱりどうにも交ざりたくなってしまい出てきてしまいました・・
私は以前にこんな投稿をしました。
[url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-g&c=t&id=7810]
ええと、言葉の最小単位は「文(気持ち)」だと思います。
発するものがいて、受けとるものがいる。
そうして気持ちは伝わります。
発するものの気持ち、受けとるものの気持ち。
それぞれ同じ人間ではありえませんから、
できる限り自分の気持ちを相手に伝えようととする。
その気持ちを伝える為に「たくさんの言葉」がある。
伝えたい気持ちは「たった1つの語」ではないと思っています。
だから言葉の最小単位は「文」だと思います。
(気持ちを態度で示すというのはちょっと置いておきます)
こんな事を書きました。
私は難しい言葉は分からない、というか、その文字自体は読めますけど、
意味がしっくり入ってこないので(爆)、たこ焼さんの言葉をちゃんと
受け止めていないのかもしれませんが、ちょっと似てませんか??
私の書く「気持ち」をたこ焼さんの書く「物語」にすれば似てるかなー?と思ったんです。
ああ、でもそうすると、文でなくて物語かも?とおっしゃった
たこ焼さんには話しを戻してしまって失礼だったかもしれません。
そう思わせてしまったらごめんなさい。
そういうつもりではないです〜
ただ表現は違うけど似てるかな〜?って思ったんです。
そして、読んでくだされば嬉しいな〜と思って今更ですが交ざりにきちゃいました。
ですから、睡眠はたっぷり取ってくださいね〜〜!!
ではではー!
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: みちる
投稿日: 2004/3/14(07:46)
------------------------------
たこ焼さん、じゅんじゅんさん、こんにちはー。
ちょこっとおじゃまさせてください。
たこ焼さんの書き込みをみてから、自分が思っているのと少しニュアンスが
違うなーと思って、色々考えてこうかなと思ったものがあるのだけど、
なんとなく、じゅんじゅんさんの書き込みが近いような気がしてきたの。
たこ焼さんの書き込みを読んでから、色々と考えていたことは、
例えば、「名文集」なんていうものは、物語から切り出されてもので
あるけれど、それは物語から離れても言葉だよなぁとか。
「元気?」とか「好き。」とかだって、一つの語であるけど(文でもあるね。)
これはやっぱり、言葉だなぁとか。
道化師さんの「事の場」なら、「物語の場」から「日常生活の場」に、
移動可能な単位というのかなぁとか。
そんなときに、ある曲を聞いていて、「言葉をつむいでいる」という歌詞
があって、そうそう、言葉ってどこかに置かれるというよりも、つむぎ
だされるものって気がするなぁとか。
そんなことを考えていたら、そうだ「言葉は伝えるもの」なんだって思ったの。
言葉に単位があるとしたら、それは「伝えられる」という単位になるんじゃないか
って気がします。
(何パーセントが伝わるかとかそういうことは、ここでは問題ではなくて。
発する側の問題として。)
一つの語で伝えられるものもあれば、一つの文で伝えられるものもあれば、
一つの物語で伝えられるものもある。
これは、すべて言葉なんだって思います。
一つの物語は、それで一つの言葉だし、一つの物語の中には、いくつもの言葉たちが
いるものなんじゃないかなって。
たこ焼さんとは、同じでもあり、ちょっと違うようでもあるのだけど。
これって、じゅんじゅんさんの「気持ち」と似ているような気がするなぁって、
なんとなく、うれしかったので、ここに書かせてね。>じゅんじゅんさん。
(CDの話も、うれしかったから、すり切れるまで聞いていいよ。(笑))
それでは、またー。
------------------------------
ふふふふ、 レスがついたから、もう削除できまい・・・(^^) こんばんはー、みちるさん。たこ焼で〜す。 スイマセンが、本格的なレスはいずれまたということにします。 たこ焼は、じゅんじゅんさんやみちるさんと、 違うことを見ているような気がしない、 とだけは付け加えときますー。 他の人にはどう見えるのかは知りませんが、 この「言葉の最小単位は物語」シリーズでたこ焼は、 「語」「文」の連想力への感受性をmaximumに上げて、 つまりたこ焼なりの全身全霊で、言葉をつむいでいるつもりなのです。 ではでは〜♪
------------------------------
こんばんはー、じゅんじゅんさん@愛の人。(^^) たこ焼@物語の人、です。(ちょっとキザ?) あっ、最初にお断りしときますが、たこ焼は 今回の古川さんの処置に賛成です。 スイマセンが、本格的なレスはいずれまたです。 新たなガイドラインに慣れてからにさせて下さい。 〉ただ表現は違うけど似てるかな〜?って思ったんです。 じゅんじゅんさんとたこ焼は、同じものを見ていると思いますよ。 〉いっぱいお返事があってどうしようかと思っていたのですが。 〉やっぱりどうにも交ざりたくなってしまい出てきてしまいました・・ ありがとうございます。嬉しいです。 久子さんへのレスを書いているとき、 「愛」という語を例にしたのですが、「愛」をキーボードに打ち込んだとき、 実は、じゅんじゅんさんを思わず連想しました。(^^) 一通り書いて読み返しているとき、じゅんじゅんさんがレスをくださるかも・・・ などと思ったのですが、もしかすると、あの文章を読まれて レスを付けたくなられたのでは?と楽しく想像しております。 ではでは〜♪