[掲示板: 〈過去ログ〉過去ログ2(英語教育についての論争) -- 最新メッセージID: 983 // 時刻: 2024/12/25(15:43)]
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お名前: 浜谷 http://www1.odn.ne.jp/~cet09590/
投稿日: 2002/6/22(10:59)
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>小生、まさに高校生の頃から多読・多聴中心に英語に触れ「文法学習は益なし」と考えていたものが、就職し、何年後かに業務で日常的に英語を使う部署に配属され10年近くそこで仕事をした結果「文法はやはり必要」と”転向”したからです。今や中年になり100万語は相当以前に超えた筈ですが、辿り着いた考えは文法学習と生きた英語の習得は、mutually exclusiveなものではない、というもので、この歳になって文法や語法の再勉強をしています。
極めてご尤もなご意見です。いわゆる100万語の量の読書は相当以前に越えられているということですが、そのような方が『・・・まさに高校生の頃から多読・多聴中心に英語に触れ「文法学習は益なし」と考えていたものが、・・・』から転向されて、そのようなお考えになったと言われるのはよく分かります。SSS式の先生方がまもなくレスなさると思いますが、同じように永年に亘り多読中心の勉強をしてきた者として、一言考えを述べさせて頂きたいと思います。
私は「過度の」「文法学習は益なし」と考えています。その点ではSSS式でも同じなのではないでしょうか? 学校英語では授業時間が少ないため圧縮して授業せねばならず文法に偏った教え方になってしまいますし、受験英語では旧態依然として形式的知識持ち合わせの点検に終始しています。学校英語が受験英語のこの弊害に毒されているのは授業時間が少ない以上に深刻だと言ってもいいと思います。SSS式はこういう授業や試験をやむを得ず通過してきた人々にとって、その弊害を払拭するのに効果的だと考えています。それは酒井先生のご著書「どうして英語が使えない?」でご指摘されている通りです。
ですから「・・・何年後かに業務で日常的に英語を使う部署に配属され10年近くそこで仕事をした結果・・・」と仰っておられる英語のレベルとかなり違うと思っています。対外的に英語を使うとなれば、それなりの文法知識が必須であることは当然のことだと思います。つまりSSS式ではそのレベル以前で特に学校英語、受験英語で英語アレルギーになった人々に有効だと思っています。
>学習には「動機づけ」が重要と考えるが、英語学習ではしばしば教材が文学系に偏りがちの感がある。貴サイトでもお勧めや教材で目立つのは小説で、児童書もあり、社会人には不備と感じる(児童書がくだらないというのではありません。小生も「モモ」やエーリヒ・ケストナーの作品の英訳など、今でも時々拾い読みします。しかし大人にとって児童書は適不適の個人差が大きすぎると思います)。社会人のためには、もっとノンフィクションや時事社会問題、異文化論などを増やし、実社会に即した選択肢を拡げた方が動機付けとしても好ましいと考えますがいかがでしょうか。
この点は私も同感です。SSS式の効果は上に述べたものと考えていますが、graded readerがスムースに読めるようになれば、後は、仰るように選択肢を広げるべきだと考えます。 更にこの考えを推し進めて意見を言わせて頂けるなら、graded reader はなるべく早く卒業し、普通のペーパーバックに移行すべきだと考えます。その方が年相応の読書が可能になり、「動機づけ」に有効だと思われるからです。
>従来の文法学習が不自然な例文と無味乾燥な解説に終始していた側面があるのは事実でしょう。しかし相当量のエネルギーを積み重ねた学校での学習を無益有害として捨て去るのではなく、それをassetとして再生利用する手だてを探ることも必要ではないかと思う次第です。
SSS式でもそれまで否定しているのではないと思いますが? 学校英語、受験英語の弊害は上記の通りですが、その中にも活用出来るものがあるとすれば、主に文法知識だと思います。学校英語や受験英語をそれなりに真面目に通過してきた人には、大抵の文法事項は多読の中で自然に思い出してくるものだと思いますし、紛らわしいものは強く疑問が生じた段階で文法書を参照すれば足りると思います。
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