[掲示板: 〈過去ログ〉過去ログ2(英語教育についての論争) -- 最新メッセージID: 983 // 時刻: 2024/12/27(04:17)]
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440. Re: 複雑な英文を読むための方法論を欠いたSSS
お名前: 呂 奉先
投稿日: 2002/2/16(16:30)
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〉「小説をいくら読んだところで、論説文や評論文は決して
〉 読めない」ということは、ごく当たり前の事実である。
〉というのは本当に事実でしょうか。
〉国語の点数が悪いと嘆く子に、小・中・高の国語の先生は、「本をたくさん読みなさい」と言います。何人もの先生にそう言われてきました。
〉だったら、英語も同じだと思うんです。
私は、上記内容(自分の発言)は事実であると思っている。
実際、小学生や中学生の時期に「国語が得意」と言っている
子供たちが、高校の国語の授業で行き詰まる様を、何度も
見ている。
高校国語とそれまでの国語の違いは、扱われる文章の違い
すなわち、評論,論説文を中心に扱うか、小説を中心に扱うか
の違いである。
実際、評論文における作者の意図の読み取りは、小説における
主人公の気持ちの読み取りとは、全く質の違うものであり、
高等国語教育では、そういった質の違う読み取り方を教える
ことも重要だと感じている。
無論、本をたくさん読むことにより、絶対的な文章読解能力は
向上するのは間違い無い。ただ、その「絶対的能力」だけでは
どうにもならない壁にぶつかってしまう、ということである。
その壁を破るために、日本語の場合、語彙的,文法的な説明を
要すると申し上げているのである。
この部分で全く違う意見をお持ちであれば、これ以上の議論は
成立しない。あくまでもこれは、私の考えで絶対的なものでは
ないとは思っている。
ただ、たった1つ断言できることがある。
それは、日本語も英語も同じ言語であるということ。
つまり、日本語能力の向上に役立つことは、英語でも役立ち、
そのまた逆も真である。
その能力向上の1つの方法として、多読は大きな力をもっている
ことは間違いないはずである。
以上、お騒がせいたしました。
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