[掲示板: 〈過去ログ〉過去ログ2(英語教育についての論争) -- 最新メッセージID: 983 // 時刻: 2024/12/27(19:41)]
上へ | 前のメッセージへ | 次のメッセージへ | ここから後の返答を全表示 | 返答を書き込む | 訂正する | 削除する
お名前: まりあ
投稿日: 2002/2/13(15:57)
------------------------------
>京大の出題する英語がまともでないというのはまずいでしょう。英文の構造は複雑
>ですが、あの程度の英語はむこうの知識人の多くが書いているものです。わたしも
>多読は必要だと思いますが、複雑な英文を読み解く方法論なくして単に多くの英文を>たくさん読むという幼稚なやり方では京大英語にはまったく対応不能、すなわち知識>人教養人の書く英語はまったく読めないということなりませんか?
言葉は教養の道具である以前にコミュニケーションツールです。
また物事を学ぶときには合理的な順序があると考えられており、
高次方程式の前に一次方程式を学びます。
英語を学ぶときにも、教養としての英語以前に、コミュニケーション
ツールとしての英語の土台をしっかりさせることが、近年特に必要に
なってきたと考えます。明治大正時代には、欧米の科学技術や知識を
導入するために、英語文献を読むための英語知識が一番大切でした。
そのために知識を読むことのみが重視され、インタラクティブなやり
とりや、ニュアンスを表現する・解釈することが看過されてきました。
今では多くの人が海外旅行に出かけ、インターネットの発達により
世界各国に友人を持つことも可能になりましたし、日本で手に入ら
ないものもオークションで競り落とせます。面白いゲームもあるよう
です。まず初めはこうした日常でのニーズに対応できる英語を学び、
その後さらに意欲のある人が、知識人の教養ある英語を目指せば良い
のだと思います。
万葉集も源氏物語も平家物語も知らなければ、教養ある日本人
とは言い難いからといって、外国人に電化製品の取説を読むための
日本語より先に古文を教える日本語学校があったとしたら、その
学校が親切だとお考えになりますか?
いきなり小林秀雄氏や江藤淳氏の日本語を読めるようになろう
として途中で挫折して日本語がちっとも読めなくなるより、まず
赤川次郎を読めることを目指せば、多くの人が目標にたどり着け、
日常生活も便利で楽しくなるだろうと思われませんか?
▲返答元
▼返答