[掲示板: 〈過去ログ〉音のこと何でも -- 最新メッセージID: 3373 // 時刻: 2024/11/18(12:17)]
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杏樹さん、レスをありがとうございます!
〉多読と言うのは、英語学習に挫折した人、英語が苦手な人がたどり着いた最後の砦のようなものです。今までも「多読」を勧める先生はいましたが、その薦める本と言うのが英語難民にはとても読めないものでした。英語ができる人にはそんな本はきっと本当に簡単でやさしいんでしょう。そのあたりからも、英語の先生と英語ができない人の間には深い溝があることがわかります。ですから多読を始めてからは特に今までの英語教育ってまずかったなあと思いますし、変わっていって欲しいと思うんです。
ほんとにその通り! だから私は英語の先生たちにSSSを知って欲しいです。真摯に生徒や学生が伸びることを考えてる先生だったら、SSSのすごさに気づくはずだと思います。私が酒井先生の書かれたご本を読んで一番感動したのは、「多読を始めて学生が伸びるということを初めて経験した」と書かれていた部分(文はそのままじゃないです)で、ものすごくうらやましかったです。
〉ところで、私はちんげん斎さんが「カタカナ英語の壁その3.(中級編)」で書いていることと逆現象です。ちゃんとした英語を組み立てることができないので、フォーマルな会話はできません。そのかわり知ってる言葉を寄せ集めてムチャクチャしゃべって無理矢理通じさせる、のなら少々。海外旅行でそういうことをやってきました。ムチャクチャしゃべっているので、自分でも何を言ったのか、なぜ通じたのかわからないままだったり。フォーマルな会話ができるのにくだけた会話ができないということは、日本人はしゃべろうとする意志にも問題があるのではないでしょうか。
これはちんげん斎さん自身も書いてらっしゃるけど、ネイティブが内輪で話してるときってわからないと言うことだと思います。通訳とかやっていて、会議ではちゃんと話しているのは何とかわかっても(わからないと仕事にならんのですが)ごはんとか食べるときにラフに英語ネイティブ同士が会話してるのはわからないというか、わかるようにしゃべってくれてないんで、できるだけ私は聞かないようにします。クライアントさんが何言ってるの?って聞いても、「さあ」とか曖昧に答えて。だって、通訳やるときはすごく集中しないと聞けないんですよ、無駄などうでもいい会話を聞いたらその分集中力がもったいない。「夫のジョンが新しい車を買ってね……」とか「ホテルに帰ったらシャツにアイロン掛けなきゃ」とかわからなくていいことですもん。
英語ネイティブが日本語ネイティブに話しかけるときはあっちの側にも「わかってもらえてるかな」っていう緊張があります。英語をしゃべってるときは、あっちのほうがネイティブなんですから、彼らがわが易しくゆっくり表現を選んで話せばいいんです。話さないときは、「そういうふうに話せよ」とこっちから要求する。(それは英語でいえるようにしておきます)「ネイティブスピーカーのほうが、そういう言い方のコントロールは巧みにできるんだから、当たり前でしょ。そっちが気づかってね」と今は思います。乏しい通訳体験で得た知恵ですかね。日本語のノンネイティブと日本語で話すときは、わかりやすい言い方になってるかなって自分でも気を使ってます。
杏樹さんは、いろんな言語をやってらして、ホントにすごいですよね!外国語と言うものを相対化してみられて、やっぱりいろんな見方ができるんじゃないかとうらやましいです。私もいつか中国語をやりたいと思ってたんですが、大好きだったレスリー・チャン(彼の口から聞く広東語がわかりたかった)が去年のエイプリルフールに飛び降り自殺したので、ちょっとめげてます。ではでは。
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