Re: つれづれなるままに、古文・漢文多読

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1401. Re: つれづれなるままに、古文・漢文多読

お名前: じゅんじゅん http://junjun.peewee.jp/
投稿日: 2007/5/2(11:55)

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たかぽん、こんにちは!
じゅんじゅんです。

昨年の12月に、酒井先生とりんぼうさんのお話しを
同時に聞くという幸せな時間を過ごした時の話しなんだけど。

参考・NPO法人日本語多読研究会設立記念講演会報告
[url:http://www.nihongo-yomu.jp/koen-youshi.htm]

この講演会で、りんぼうさんが、
たかぽんの書いている、

〉このような読み方は、昔はできなかったです。
〉文法的に分析して、完全に理解しないと、と思ってしまって。
〉いいかげんに流し読みすることができなかったですねー。それでは読んだことにならない!なんて思って。
〉結果、古文を読むのがとてもおっくうになってしまって、あんまり読まなかった。
〉元も子もないってやつです。。。

こういう現状があることをすごーく勿体ないと言っておられました。

英語にしろ、古典にしろ、読むときには文法も活用も関係ない。
ただ、物語の、本からの声を聞けばいい。
興味があるなら、どんどん古典は原典を手にとって欲しい。
そこにある物語の面白さ、すばらしさを感じて欲しい。

こんな感じのお話しでした。
いま楽しんでるたかぽんにピッタリだと思いました。

そしてわたしはこの「本の声を聞く」という言葉を聞いて、
読みたいから読む。楽しいから読む。好きに読む。
そのとき(どんなにかすかでも)声が聞こえ、
わくわくとページをめくっているなら、
それでいいんだー!それがいいんだー!と受け取り、
今更ながら、不安のみでワケも分からず鍛え上げた
英語への肩の力を抜くことができたんですよね。(ほんと、今更・・)

〉今のように、いいかげん読みができるようになったのは、英語多読のおかげです。
〉あっ、「とにかく読む」だったら、できるじゃないか!と気づかせてくれた。
〉当たり前のことなんですけどね。コロン、ブスッ!の卵だった。

これってほんとーに大事だと思う。
文法より、物語の方がずっとずっと前からあるのに、
なんで今の世の中、文法が先、なんでしょうね。(というか重要視しすぎ?)
物語を楽しめれば文法は関係ないじゃーん!
楽しむことに文法は要らないと思うー。
・・と、このくらい大口たたける心持ちになりました(笑)。

そうそう、この講演会後に少しりんぼうさんとお話しできてね、
源氏物語の話しなんかをさせて貰っちゃって、
いつかまたわたしの中の源氏物語熱が再発したときは、
現代語訳だけじゃなく、原典も手に取ってみよう〜なんて調子のいいこと思ってます。
読むだけならできるもんね。で、きっとそれはとても楽しいハズ。

たかぽんもたくさん楽しんでねー!

ではでは!


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