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456. aは、引っ越しのサカイ、仕事キッチリのコマーシャルの発音で、かたちクッキリのイメージ
お名前: 主観の新茶
投稿日: 2008/11/10(19:19)
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主観の新茶です。
1 英語人は、外で猫を見かけても、1匹か、複数か、区別しなければならぬ。
3匹だと思っても、しっぽがもう1匹、茂みから出ているのも確認し、4匹だという慎重さが必要である、というような話を読んだことがある。
以下、名詞といわれるものの、ものの見方、イメージの話である。
2 aは、「かたちクッキリ」である。しかも、aは、独立した1個の存在であることが必要である。だから、一見、1個に、かたちクッキリに見えても、さらに分割して独立したと評価できるのであれば、aは、付けることができない。
1個の独立した存在は、似ていても、独立である。ウリふたつという言葉があるが、ウリは、そっくりでも、独立している。だから、a cucumber なのである。
1個の独立した存在でも、分割してしまえば、独立した個性を失う。独立した個性を失えば、aを付けることはできない。きゅうりを輪切りにしてサラダに入れてしまえば、個性を失う。
There is much cucumber in this salada. Please pass me the salt.
轢かれた猫も、外形を失い、肉片と化せば、そう。
There is much cat by traffic accident on the road.
ただし、この表現では、1匹の猫か、はたまた、何匹かの猫が、遭難にあったかは、わからない。
複数。一般形のXs。
個性ある1個のものが、概念上、イメージとして、無限に、広がる。ここに、全体として、「かたちクッキリ」から、「かたちボヤケタ」になる。「かたちボンヤリ」のsomeとは、異なる。
ボヤケタは、境界線がボヤケタのであって、1個1個は、はっきりしている。
ボンヤリは、境界線ある個性がいくつかあることは確かだが、全体にフェードがかかった概念である。
3 基本的に、1個の個性ある独立物とイメージできないものは、見えるものであっても、aは、つかない。
すなわち、「かたちボヤケタ」。
見えない、抽象的な概念は、基本的に、イメージとして、1個の個性ある独立した存在ではないから、aは、つかない。
すなわち、「かたちボヤケタ」。
しかし、イメージとして、1個の独立した存在と認めることができれば、aがつく。すなわち、「かたちクッキリ」。
愛も、勇気も、困難も。
さらに、これに、個数や順序をつけるイメージがあれば、Xsと複数にできる。
すなわち、全体として、「かたちクッキリ」から、「かたちボヤケタ」になる。
1個の独立した存在と認めることができないなら、今述べたように、aは付けることができないが、theは、付けることができる。the X
theがついたときのイメージは、つかないときのイメージと異なる、別のイメージを表すことも多い。
この別のイメージは、英語人は、子供のころから徐々に学ぶと思われる。
theがついたら、どんなイメージとなるかは、必ずしも、大人達から教えられなくても、わかるというものではないのではないか?
さらに、the Xsとなると、別のイメージになる単語がある。
これも、自然にイメージがわかないものがあるのではないか。
絶対aのつかない名詞がごく少数ある。
これに理屈はない。
もし、このイメージを言う前に、aと言ってしまったらどうなるか。
「あ、しまった」と思う必要はない。
a 〜of・・・がある。
たとえば、a piece of information と言えばよいのである。
みなさんの理解は、どうなのでしょうか。
みなさんのご意見をうかがいたいと思います。
特に、次の点です。
用語を簡潔にするため、上記の2は、いわゆる可算名詞、上記の3は、非可算名詞という言葉で、以下述べます。
(1) 可算名詞にsがついたときのイメージは、何か。
(2) 非可算名詞のイメージは、何か。それが、可算になるイメージは、どんなときか。
(3) 非可算名詞にtheがついて、単数、複数にした場合、イメージが異なる名詞に変化するときには、英語のネイティブといえども、簡単には、イメージがわかないことがあるのではないか。
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