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お名前: Tallinn
投稿日: 2006/9/24(21:52)
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こんばんわ。
出張から戻ってきたところです。私の場合、土日とかGWとかお盆とか無きが如くの仕事なもので(年末年始が休みやすいという程度です)。
比較にならない読書量と慧眼に感服いたしました。さて、以下のコメントをいただきましたが、
> それでも分かりにくいと感じられるのは、このエッセイ自体がオスカー・ワイルドの好んだ論法をパロディ的に採り入れているからです。
〉ただし、これは頭をひねって読む文章と言うよりは、1語ごとに笑いながら読む文章です。
〉こういう文章を理解できるようになる近道は、ワイルドの文章を英語で数多く読むことです。(道具として英語を勉強しているだけでは無理です。)
つまり、この手の文章を理解するということは多読量とか文法とかといったものとは別の座標軸でのアプローチが要るというわけですね。
これは理解できますが、私には無理ですね。ベケットの不条理な文章は多少は興味を引くとしても、ワイルドはちょっと触手が伸びそうもありません。自然発生的に読むという状況にはどうも。。。
お隣りの英国の啓蒙書というべきかRoger PenroseのThe Emperor's New Mindなどを読む方に価値を感じてしまいます。
そういう意味で一般記事は別にして、Essayのような類は私には無理ということはわかりました。もともと、この手の文を読む意図は英米人の思考形態に慣れることですが、逆にそれだけの素地をもってないとできないという当然のことが必要ということで、それは諦めて自分に有益なものを中心に選択して読んでいくことにします。
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