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お名前: 寅彦 http://blog.so-net.ne.jp/shibutora/
投稿日: 2006/9/4(23:11)
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Tallinn さん、こんにちは。
ちょっとご質問からは外れるかも知れませんが、「SSS多読」について私の考えていることを書かせていただきます。
1.外国語能力と言ったときに、いろんな能力がそこに必要になってくることから、それを身につけるためのトレーニングはいくつかのものを組み合わせるしかありません。その組み合わせ方は個人のニーズやレベルで異なり、これでみんなに使えるというようなものは無いでしょう。
いわんや、このトレーニングだけで大丈夫というものはありません。
2.「SSS多読」は、「楽しくPBを読む」という目的には最適だと思います。この場合は「SSS多読」だけでも大丈夫かも知れません。
「本を読んでいくことで本が読めるようになる」という手段と目的が揃った極めて稀な幸せな例だと思います。
「演劇をやるために腹筋をする」というのではベクトルが違うのでつらいのではないでしょうか。
3.その「SSS多読」であっても「楽しくPBを読む」こと以外を目標とする人にとっては万能ではありません。だからといってその価値が否定されるわけではありません。
その長所・短所をきちんと理解した上で、「SSS多読」を行えば良いと言うことでしょう。
4.私が「SSS多読」に求めるのは、言葉の意味の守備範囲を明確にしてくれることです。
辞書を引けば、それが英和であれ英英であれ、意味が1,2,3.と書かれていて、そこだけみるとぶつ切りです。
本来はなめらかに続いている意味の守備範囲を確認するために多読によりニュアンスを理解し、でこぼこだった輪郭に肉付けしていく作業を期待しています。
5.他方、欠点ではないかと思っているのが、インプットのみの作業となることから、下に引用するように語彙の意味だけつないで理解してしまい文法が思ったほど伸びない可能性、あるいは、冠詞など捨象しても意味が取れてしまうことからその内容について深く吟味せず、結果としてアウトプット使用としたときにうまく使いこなせないというリスク。などです。
もちろん、「楽しくPBを読む」というのが目的であれば、これらの欠点はどうでも良いことかもしれませんが。
先日読んだ「英文読解のストラテジー」(天満美智子著)大修館の内容から引用させていただきます。
(引用開始)
さて、ここで読解における語彙と文法の果たす役割を考えてみたい。Bever(1970)やSchlesinger(1977)は、文の理解には統語上の処理、つまり文法の操作よりも、単語のもつ意味のほうがはるかに重要な役割を果たすと述べている。彼らにいわせると、外国語の文法の知識が多少不足していても、文中の単語それぞれのもつ意味から十分推論を働かせることは可能で、それにより文全体の理解に至ることが多いという。そして、それでも文意が不鮮明であったり、あいまいで納得のいかない場合にのみ、統語上、つまり文法上の知識に頼るのだと指摘している。ひるがえって、読む(あるいは聞く)場合とは異なり、話したり、書いたりして表現する場合には、統語体系を正確に操作できなければ、自己の意図を正しく伝えることができないため、統語上の詳細の知識が重要となるという。
(引用終了) (68ページ)
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