Re: お返事で〜す。英語を愛することについて。

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14075. Re: お返事で〜す。英語を愛することについて。

お名前: チクワ
投稿日: 2004/10/7(01:33)

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のびこ〜さん、やっほー、チクワです。
お返事なんですが、うーん、難しいです・・・byチクワ@正直者(汗)
でも、がんばろー。目指すは50点。
(いやー、昨日くらいまでは80点を目指していて、書けなかったので、目標下方修正です。)

〉(3)英語の成績が悪い -> 英語は嫌い
〉(英語は嫌い -> 英語の成績は悪い)

(4)英語の成績が悪い -> 英語は好き
(英語は好き -> 英語の成績は良くない)

〉問題は(3)です!!

〉この方々は、成績が悪いというだけで英語を放棄されているわけです。
〉この方々こそ英語教師は救いの手を差し伸べて、英語というのはテスト
〉で良い点を取るものだけではなく、英語を通して他の国の文化を学ぶと
〉いうことでもあるんだよということを強く主張して、(3)の方々を少な
〉くとも(4)のところまで引き上げるべきだと思います。

学校で、(3)の方々を(4)に引き上げるには、課外(課内も?)クラブ活動で多読、とかですかね。
従来型のカリキュラムの英語の時間もあるけれど、多読の時間も正課内にあるとか?
(多読だけでなく、音楽、映画(ドラマ)、スポーツを通して
英語に多量に触れる時間、という発想もありかも?)
その辺が第一歩ですね、きっと。

これは(多読の場合)実際にあちこちの学校で始まっているし。
(みなさま教師の広場をご参照くださいませ。)
でも、学校内に従来型の英語の授業しかなく、教壇から先生が「文化を学ぶ英語」を力説するだけでは
(4)に引き上げる、って無理なんじゃないかな。

で、英語が好き、ってどういう状態でしょう?(今さら問うか?)

ひとと気持ちを伝え合う手段として学んで、
だんだんその目的に近づいていけているっていう実感が得られている状態でしょうか?

たぶん、こんな感じが、まっとうな「英語好き」なんだろうなー。

でも私はまず、小さい頃に買ってもらったオモチャがお気にいりになったっていう感覚で
英語を好きになりました。そんなのおんまり誉められた話じゃありません。
その気持ちと、その後英語の音声リズム、
英語のリクツ(この間は書き忘れた・・・英語は日本語より論理的だと思っていた)を通して、
点数が悪くてもゆらがない「好き」となりました。

〉僕は愛がなかったので英語を使って遊ぶなんてことはしませんでした。
〉僕にとって英語は勉強する対象であって遊ぶ対象じゃなかったんです。

ふつう、英語は遊ぶ対象じゃないと思いますよ〜。

〉〉昔の私みたいなスチャラカ英語好きは文化を学ばないかもしれません。
〉〉でもでも、多読が英語教育の主流になれば、学習者はきっと
〉〉文化やお互いの違いに目がいくと思います!のですけど。
〉100%同意します。多読を通して私はいろいろと英語で知識を、文化を
〉学びました。”英語で”がポイントです。

はい。“英語で”がキモですよね〜。

〉多読教育が今よりも広まり、成績が良い悪いに関わらず純粋に英語を
〉愛する人が増えることを願って止みません。

実は、この、お返事が遅れた数日間、「英語を愛する」まで、必要だろうかー、
そして、それって可能かー、といろいろ考えてみていました。
これを、こう解釈すればチクワにすうっと納得いくのは
「学校科目の「英語」の成績が良い悪いに関わらず、
多読を愛する人が増えることを願って止みません。」というもの。
または「英語」の定義から、「学校英語、試験英語」を外して、なら分かるかな。

必要か?の方ですけど、わたしもときどき自問するんですが、
のびこ〜さんは、日本語、愛しています?
私はきっぱり「好き」とはいいません。英語も「愛して」まではどうだか・・・なので、
「好き」という言葉でこのあとのお話を続けさせていただきますが、

日本語 — まず、「日常使っている、使いやすい道具として、好き」
そして、「短さ、凝縮がイノチの短歌、俳句を芸術として生み出しているところが好き」
「メロディアスな響きがわりと好き(センス悪くてあんまり感じ取れないので、わりと)」
で、総合評価、結構好き、くらいかな。

英語は「結構」なんてつかずに「好き」ですね。(ああ、非国民)
理由は繰り返しになりますが
「英語の音声リズムが好き」
「大きい声に合って、腹式呼吸になりやすいのがきもちイイ(音声か?)」
「英語のリクツっぽいところが好き」
「肯定否定が前の方でわかることが多いのが好き(リクツに入るかな?)」
「非日常的感覚が好き」

実は「日本語が好き」っていう方の「日本語支持論」を伺ってみたいんです。
自分じゃ思いつけない「いい面」に気付かせてもらって、
日本語を見直すきっかけになるかもしれないから。
(あ、日本語好きな方って、「〜論」なんて嫌いかも。(爆))

でも正直なところ、なかなか「言葉が好き」っていう感覚を持つのは難しいんじゃないかなー。
(いや、「日本語が好き」っていうほうは結構聞くかなー。)

結局申し上げたいのは、
いーのよ、のびこ〜さん。多読が好きなら、英語そのものが好きでなくても。
外国語で人と気持ちを伝え合うのが好きなら、語学が好きでなくても。
ってことかなー。

さて、No.14069のご投稿ですがー、

〉自分の場合は英語なんかもう出来なくても良い。

おお、英語の「必要性」の呪縛からは解き放たれましたか?

〉英語コンプレックスや試験としての英語から早く脱したい。
〉(脱しつつあるが、たまにひょこっと試験としての英語が頭を出す)

新しく摂取してないんなら、大丈夫ですって。多読してるんだから。
わたしはー、新たな「文法」なんかは摂取してないけど、
日々おこたりなく更新しちゃってますよー。

あ、いや・・・今日見たGrammar in Useに、知らなかったことが書いてあったなー。
見たくなかった・・・

〉強引な結論:今だったら「何故英語を勉強するのか?」という本を素直に読む事ができるかも。

本が呼んだら開いてみてやってください。たぶんまだまだ眠っていたいんじゃないかなー?

では〜。


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