[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/2(02:22)]
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お名前: apple http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/5353/
投稿日: 2004/10/6(00:30)
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Judyさん、こんばんは。
〉英語をアメリカやイギリスの言葉としてではなく、世界公用語に認定し、そういう教育課程を設けることで、これからの子供たちは一生英語に時間もお金もかけることがなくなり、さらに自国語も話す。自分の国のことをはっきりと第2公用語である英語で議論していく。世界中の人がみんな普通に1つの言語(英語の可能盛大)を当然のこととして話すだけで、どれだけの問題が瞬時に解決されるだろうか、と思ってしまいます。
おっしゃることも理解できるのですが、日本ならばほとんどの子どもが学校に行けますが、学校に行くことさえできない子どもが多い国もまだまだあります。識字率、当然低いです。母国語すら書けない人がいます。こういった国で、外国語まで学習できるのは、ごく一部のお金持ちになるかもしれません。
ただ、他の言語を学ぶこと、あるいは他の言語を知ったことで知れる多くのことが、文化の異なる他の国々の理解につながる可能性は高いと考えています。理解から平和につながってもいくことと思います。
悩むところは、親子で、日本語という母国語で話している際でさえ、さまざまな理由から「変な事件」が起きています。コミュニケーション、あるいは、インターナショナルアンダースタンディングというのは、言語というプロトコルが共通でも、それだけややこしいものだと考えています。
多読を通して色々なことに気づきつつ、「英語でない本は読めない」という妙なジレンマを感じています。まだアルファベット系の言語は辞書をひけば内容によっては推測できそうですが、そうでないと「???」という感じです。
一番は、いろいろな国に、飛び込んで見ることかもしれませんけどね。
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