[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/2(11:18)]
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お名前: みちる
投稿日: 2004/7/15(12:36)
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秋男さん、こんにちはー。
ちょっと、おひさしぶりでしょうか??
秋男さんの書き込みは書かさずチェックしていたつもりだったのですが、
この書き込みは見落としていたようで、たこ焼さんのレスを拝見してから
気がつきました。
ということで、時間のたった書き込みになってしまいました。
〉 私は、コーヒー中毒になってることに気がつきました。そんな、1日何杯も
〉 飲むわけじゃなかったのですが、ようく考えてみると、1日のうち必ず1杯は
〉 飲んでいる。そんなおいしくなくても、粉コーヒーでも、とにかくカフェインを
〉 体に入れたがっている自分に気がつきました。それで、ためしにコーヒーをやめて
〉 みました。
〉 おもしろいもので、やめてると、脳がいろいろとトリックをしかけてくるんですね。
〉 1日1杯ぐらいいいんじゃないのーという気持ちがふつふつと湧いてきたり、
〉 今日はお休みだから特別にしたらーと誘ってきたり、無意識にコーヒーの缶を
〉 あけている自分に気がついてハッとしたり。
〉 そんなこんなで1ヶ月たちました。コーヒーのことをまったく忘れてる日が多く
〉 なりました。どうしてもコーヒーが飲みたい!という気持ちがどんなものだったか、
〉 思い出せない。なんかちょっと自由になった気分。
〉 ここでふと、食べ物も、ただ依存しているだけの状態になってないだろうか、
〉 と思い当たりました。ぷくぷくに太って、生活習慣病とか言ってて、明らかに
〉 食べ過ぎなのになぜ食べるのだろうかと思いまして、ああ、これは一種の中毒・
〉 依存症なんだーと気がついて、折りよく、朝食抜きで胃腸を空っぽにして休ませる
〉 のがいいという趣旨の本を見つけて(っていうか、以前に買って読んでなかったのを
〉 思い出して)、朝食抜きの生活を始めたら、1ヶ月で体重が4.5キロ減り、体調も
〉 すこぶる良くなりました。
秋男さんって、自制の人なんですね〜。
一ヶ月で4.5キロってすごーい。うらやましい〜。
中毒と好きはまた違うんですかね?
脳がトリックを仕掛けてこなければ、中毒ではないのかな?
〉 「the Artist's Way」では、読書も中毒になるってことで、1週間、なんにも
〉 読まないことをすすめています。これはまだ実行できていませんが・・・
〉 現代人は、いわゆる活字中毒だという自覚がない人でも、たいがい活字中毒である
〉 と言えると思います。1日でも何にも読まないということはかなりつらいことです。
〉 絶対の必要性が無くても、何か読まずにはいられない。立派な中毒。
そんなものですかね。
まぁ、あちこちに広告もあったりして、活字がないという状態は不自然に近いので、
どうしても活字から離れてということは難しいのかもしれませんね。
ところで、ふっと思ったのですが、秋男さんは「the Artist's Way」に依存している
ということはないのかなーって。
強い影響を受けて、毎日の生活に取り入れるというのは、依存とはまた違うのかなー。
なんだか、この辺の区別みたいなのが、難しいような気がします。
〉 え〜、とにかく、こういう中毒だけじゃなくって、人間にはいろいろと阻害するもの、
〉 blockしているものがある。親や先生に植えつけられた価値観であったり、今さら
〉 問題にするのもなぁとほったらかしにされて癒されないまま厳然として存在する
〉 昔の傷であったり。そういうブロックをひとつひとつはっきりと意識して、
〉 腹立てるなりなんなりして、内なる自分にしっかりと共感してやることが大切なんだ
〉 そうです。ほんとはあのとき怒ってたんだ!とか、泣きたかったんだ!とか。
〉 こうしたことを通じて、内なる自分の信頼を回復する、ブロックを解除していける
〉 ということでしょうか。
この辺のこと、最近いろいろと思うことがあるんです。
秋男さんの書かれているブロックするものは、山のように持っていて、でも、自覚は
して、判ってはいる。
私は、読書中毒でも活字中毒でもないのですが、ずっと言葉を追い求めていて、
それは誰かの発する言葉でもあり、本でもあり、歌詞でもあるのですが。
そんな言葉たちを、自分の中に取り入れて、自分との対話を繰り返していたように
思います。そんな中で、ブロックするものについても判っていた。
でも、判ることは、流してくれることとイコールではありませんでした。
どんなに、言葉を追い求めても、欲しい言葉が見つけられたとしても、それは
自分の望む言葉でしかなかったのだと思います。
ある意味、自分に中にある言葉を、違う形の言葉として求めていたのかなと。
自分との対話は、私にとっては、渦状というか、回転するものだったように思います。
ここ5ヶ月弱ほど、対話をしてくれる人がいて、(対話といえるのは3ヶ月ほどの
ような気もするけれど)いろいろなことを話してきました。初めのうちは、伝わらない
ことが多くて、一つのことを伝えるのに、何度も言葉を投げ合って。
対話というのは、言葉を手段とするけれど、二つの矢印、流れのある状態なんだなと
このところ感じます。
水槽があるとしたら、自分との対話は、水槽の中の水をかき混ぜるような感じで、
人との対話は、水槽に水をそそぎ込んでもらう感じ。
望む言葉ばかりではなく、時には暴力的にも感じますが、たくさん水をそそぎ込んで
もらうことで、自分の中のブロックしている部分をたくさん流せたように思います。
そしてね、私にとっては、世界とことばの世界では、ことばの世界の方がリアルと
感じていた部分もあるのですが(ことばの世界というと、微妙に違うんだけど)、
対話を通じて、自分の中に新たな視線や視線が構築されていって、それが世界に
リアルをもたらしてくれます。こんなにリアリティがあったんだって思います。
モノトーンの世界が、色づけられていくような感じ・・・。
30年以上生きてきて、こんな体験をするとはと思ってしまうほどの強烈な体験です。
だから、今は、自分との対話よりも、人と対話したいな。流れのある状態が欲しいな
という気がします。
ただ、人との対話って、労力がいるし、自分をさらけださないといけないし、
揺らいだり、傷ついたりもする。
それが嫌で、対話を拒否しちゃう人も多いよね。
でも、私が求めていたのは、言葉ではなくて、流れのある対話なんだなーと
最近思うのです。
と、なんだか関係ない方にいってしまいましたが、秋男さんの言葉とか考えには
魅力的なところがあるから、秋男さんとも対話ができたらいいんだけどなーと
いいたいのかな。
〉 あとは、自分を甘やかす。映画「悪いことしましョ!」では、何でもいいから
〉 願い事をしろと悪魔が言うので青年がビッグマックとコーラが欲しいとお願い
〉 したところ、バスに乗ってマクドナルドまで行って青年のお金でビッグマックと
〉 コーラを買うことになるのですが、あー、願い事ってこんなものかもしれんなー
〉 と思いました。ぜんぜん問題無く可能なのに、やってみようという思い切りが無いだけ
〉 ってことが多いのかなーということで。私もこないだ、こどものころ好きだった
〉 キャラメルコーンを買ってみました。カリッとしてパフッとしておいしかった〜♪
〉 今までなんで買おうと思わなかったんだろうと不思議でした。面白いもんです。
そういえば、秋男さんヤクルト5本は??
そんな夢もありませんでしたっけ?
記憶の片隅にあるのですが。(笑)
それでは、おじゃましました。
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