[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/1(19:19)]
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お名前: たこ焼
投稿日: 2004/3/20(15:33)
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こんにちはー、rockmanさん。たこ焼です。 〉多読を始めて7ヶ月になりますが・・・ずっと感じていた素朴な疑問があります。 〉それは・・「なんで英語の本だと、読めるんだろうか?」ということです。 〉もともと読書って嫌いです。ここ20年に読んだ本なんて、片手で数えられます。 〉でも英語の本だと、自発的に読むんですよね。面白くて、楽しくて、ついつい手が 〉でちゃうんですよね。面白くて、面白くて、(昨日終った)「白い巨塔」も 〉うっかり見逃してしまったり・・・。なんでだろう?? 〉今、ハリポタにはまってしまっていて、第3巻(アズカバンの囚人)を読んで 〉います。もう完全にかっぱえびせん状態(やめられない、止まらない)です。 〉でもでも、手元にある訳本には全然興味がありません。全く読みたいとは 〉思わないんですよね。んで、英語の方だけ夢中になって読んでいるんです。 〉いったいなんでだろう・・・???? 簡単なGRや児童書とか、 日本語で読んだら、まぁ、そこそこ面白い話かもしれないけれど、 英語で読むと、それよりはるかに「快」を感じるのは何故か? この疑問は、たこ焼もずーっと気になっていたものです。 時々、こころを横切り、少しずつ考えています。 まだよく分からないのですが、今の時点では、 寝太郎社長の 寝〉 寝太郎が思うに、日本語ではなく、英語で読む方が、 寝〉 空想が働きやすいのではと考えております。 寝〉 うん、うまく解説でき無いけれど・・・ 寝〉 適当に読んでしまう多読だからこそ、逆に、行間が、 寝〉 読めてしまうのでは無いかと・・・ 寝〉 う〜ん、無意識ってやつかな・・・ が正解のような気がしてます。 以下に、たこ焼が、今、考えていることを適当に書いてみます。 「適当」なので、そんなに筋だった話ではないのは、ご勘弁ください。 「適当」なので、間違いも多いと思いますが、大目にみてください。 今の時点では、「適当」にしか書けないのです。 まず、 今の時点では、まだ、印象にすぎないのですが、 「他人から受け取る言葉・イメージ」よりも 「自分から発する言葉・イメージ」の方が、 より直接的で、感情あるいは快・不快をより動かしやすいのではないか とたこ焼は思っています。 我々は、英語の言葉をまだまだよく知らないのです。 知っていると思っている単語すら、実はよく知らない。 だから、英語で書かれた本を読むときには、実はかなり、 読み手が言葉・イメージを無意識に作り出して、 補っているのではないか、と思います。 つまり、半ば言葉を発しているがごとく、読んでいるのかもしれません。 そして、読み手自身が作り出している言葉・イメージは、 感情・快を直接揺さぶるような印象がたこ焼にはあります。 一方、簡単な児童書の翻訳を読んだ場合、 我々は、日本語の言葉をよく知っているのです。 だから、本を読んでいるとき、「他人から受け取る言葉・イメージ」に 頼って読む割合が高くなります。したがって、 感情・快を直接には揺さぶられることは少なくなります。 このようなことは、おそらく、 れなさんの「納得力」による読みと関係が深いと思います。 SSS的多読を始めてしばらくしてから、 たこ焼は英語の夢を時々見るようになりました。 夢を見始めた頃、不思議なことに、目が覚めているときのたこ焼は、 アウトプットの訓練など全くやらずに、読んでばかりいるのに、 夢のなかのたこ焼は、英語を話すだけで、英文を読んだりはしない。 これは、もしかすると、上記にあるように、目が覚めているとき、 半ば言葉を発しているがごとく、読んでいたからなのかもしれません。 そういえば、こんな投稿を以前にしたことを思い出しました。 [url:http://www.seg.co.jp/cgi-bin/kb7.cgi?b=sss-f-g&c=e&id=7383] 『猫』の中の未知語を辞書で調べちゃったら、 言葉・イメージを無意識に作り出して、補っていた部分がなくなり、 結果として、面白くないように感じた・・・のかもしれません。 よく、「誰それの言葉で傷ついた」などと言いますが、 よくよく観察してみると、実は、 他人の言葉で自分が大きく傷つくことはない様に思います。 まぁ、ザワザワしたり、痛いかもしれないけど・・・。(笑) 他人の言葉をうけ、自分が自分に発する言葉で、傷つく・・・ そんな風に見えます。大きく傷つくのは、 自分の言葉だから、深く感情が動かされ、 また、強く不快に感じるからかもしれません。 いや、 どうも、「他人の言葉」のほとんどは、直接には感情・快には触れなくて、 自我かどこかにある、一種の心理的フィルターを通した後に、 感情・快の中枢へ到達するように思えます。 この心理的フィルターは、他人の言葉を解釈して、 自分の言葉に翻訳する装置と同じものなのかもしれません。 (ほんと、よくわかりません。) ただし、これにはいろいろ例外があるようです。 そのひとつは、言葉の「音」の側面です。 リズムとか、音の大きさとかは、直接に感情・快を揺さぶるような感じがします。 例えば、とても大きな声で怒鳴られると、意味が分からなくても それだけで直接感情・快を揺さぶられますよね。 あと、場合によっては、 「自分から発する言葉・イメージ」と「他人から受け取る言葉・イメージ」の 区別があいまいになることもあるようですが、この辺は たこ焼にはまだまだよく分からないことが多いです。 「他人から受け取る言葉・イメージ」よりも 「自分から発する言葉・イメージ」の方が、 より直接的で、感情・快をより動かしやすい。 これが本当だとしても、これが何故そうなのかはよく分かりません。 ハードウエア、つまり神経回路のつながり具合を反映しているのか、 あるいは、脳の回路にのっているソフトウエアの構造を反映しているのか・・・ う〜ん、おそらく、どっちもあるのかもしれません。 う〜ん、いろいろと書いてしまいましたが、 まとめると、 飛ばし読みでも、楽しめる。じゃなくて、 飛ばし読みだからこそ、楽しめる。 ということもあるのではないか、ということです。 ではでは〜♪
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