[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/1(19:17)]
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お名前: 道化師
投稿日: 2004/3/13(23:51)
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たこ焼さん、こんばんは。道化師です。
本筋とは違うんですが、ちょっとタネあかし。
〉今、ボーっとした頭で、読んだかぎりは、
〉やはり同じことを考えているけど、表現形式が
〉たこ焼が微分形式なのに対し、道化師さんは積分形式のように思います。
〉すいません。理系の人しかピンとこないかも・・・。
すいません。まさに私がピンとこない人です・・・。
〉道化師さんって、全体を強く意識する人なんだと思います。
〉最近の道化師さんの書き込み群を見ても強くそう思いますし、
〉「議論を楽しく」と本気で言える人は、やはり、おのれを無にして
〉全体を見れる人だと思います。
「見れる」か見れないかの能力、可能性の問題はさておき、
「全体」を見てからって言うのは、かなり意識してます。
なぜかと言うと・・・・
〉例えるなら・・・
〉たこ焼が微視的なら、道化師さんは巨視的ということ。
〉微小な「連想力」の総和が、「予測能力」あるいは「場」?
こうならないと考えてるからなんです。
「部分の総和は全体ならず」
って、思うんです。
だから、言葉の最小単位って言う切り口にも、
ちょっと懐疑的だし、
(物語も、「場」の一部っていう側面がありますから)
最近の投稿で、切った刺身は元の魚には戻らないって言うのとか、
今日のKYOさんの「トップダウン」な読み方には、
とっても同意するんですね。
教育者としての酒井先生が、その方法論としてのとっかかりに
「部分」を取り上げていかなければならないって言うご事情もわかりますがね。
SSS多読の良いところも、古川さんが書かれている、
「短い文から長い文へ」と言う部分の積み重ねで全体へではなく、
「やさしい長い文から難しい長い文へ」と言う、
「全体から全体へ」的なところなのだと思っています。
イメージにすると、積み木の積み重ねを従来型とすれば、
多読は風船に空気を入れて膨らます感じでしょうか。
小さな全体から大きな全体へって事でしょうか。
〉というようなイメージ(論理じゃないです)を、道化師さんの最初の投稿を拝見したとき、
〉感じました。だから、同じものを見ていると感じたんです。
同じものを見ていると信じています。
ただ、たこ焼さんの場合は名文家なのに対し、
私のはアジなので、その浸透力に差があるんですね。
アジのネタ開きでした。
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