[掲示板: 〈過去ログ〉SSS タドキストの広場 -- 最新メッセージID: 14976 // 時刻: 2024/11/1(19:19)]
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10755. Re: 語彙の問題について・・・違わないけど違う。
お名前: fumi
投稿日: 2004/3/10(09:00)
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道化師さん、こんにちは。fumiです。
NMS、お大事に!!
〉今回のKYOさんの「未知の語彙がどれだけあっても多読できるのか?」
〉と言う問いかけと、
〉2月末に締め切りになったMOMA親爺さんの、
〉「試験に出ない単語集」プロジェクトとの、
〉道義的な違いが、私には解らないんです。
2つのプロジェクトに違いはないと思います。
違うのは、個人の中でのそれぞれのプロジェクトに対する受け止め方でしょう。
*「道義的な違い」についてはよくわからない(道義的、とはこの場合どういうことかよくわかりません)ので、単純に「違い」として考えています。
2つのプロジェクトに違いがないと思う理由は、どちらもタドキストの方が「こんな企画面白いかな」と思いついて、自発的な参加を呼びかけたことです。
その点で、他のたくさんのプロジェクトと基本的なスタンスは変わらないのではないでしょうか。
人によって、バックグラウンドもさまざまだし読んだ語数も違えば受け止め方は変わります。
同じ人でも、語数が増えればまた変わるでしょう。
〉でも、現実には、素直にご自分のデータを提出する方もいれば、
〉反発される方もいる。
〉やっぱり水平関係は、保たれていると思うんです。
「学校」との一番の違いは、それぞれのプロジェクトに参加する、参加しないの選択ができることだと思います。
参加したことでなにかマズイことが起こるかもしれないリスクは、最終的には自分が負うんでしょうね〜。
もちろん、「〜という理由で、まずそうだよ、気をつけて!」という意見は選択に役に立つと思います。
「このようなプロジェクトを言い出してごめんなさい」とか、「反応してごめんなさい」というのは、いらないんじゃないでしょうか。
ちなみに、2つのプロジェクトに対する私の受け止め方は、まったく異なったものでした。
MOMA親爺さんの「試験に出ない単語集」で私がリストアップ(5個だけど。)したことばは、児童書で何度も見かけて、ぼんやりわかる→豊かなイメージをもつ、に変わっていったものです。
だから、なんというかHappyな感じなんです。今となっては、その単語を1こだけ見ても、でてきた状況や雰囲気が思い浮かびます。
KYOさんの「未知の語彙がどれだけあっても多読できるのか?」で対象になることばは、私にとってはちょっとUnhappyなイメージなんです。
やはり、「解らない」のは「解る」よりちょっとつらいかな、と。
文章を読んでいる分には、解らなくてもちっともかまわなくて全体としてはHappyに読めるのに、わざわざ「解らない」部分に注目したくないな、と思い、こちらには参加しませんでした。
***以下は蛇足です。***
「議論」できるようになりたいなぁ。
日本語、英語かぎらず、ですが。
論点をそらさず、すり替えず、感情的にならず、きちんと賛成反対の意見を述べられるようになりたい・・。
これには、ある程度の訓練も必要なんでしょうね。
何か良い方法をご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてくださいませ〜
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