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お名前: まりあ@SSS
投稿日: 2003/5/14(01:23)
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バナナさん今晩は。まりあです。
〉〉 日本では翻訳は技術であって、学問にはなっていない
〉〉きらいがありますね。特に文学以外の翻訳では。
〉ちょっと気になったんで教えてください。
〉「翻訳が学問」っていうのイメージに合わないんですが..
〉どんな意味なんです?
まず、徹底的に正当性を検証されるのが学問の本質
じゃないかと思うんです、この前提が間違っていたらどーしよー...
それで、日本である本の翻訳が出たとして、みんなその本を
利用することが先で、翻訳そのものを徹底的に検証しないん
じゃないですか?まあ、シェイクスピアの翻訳などでは、
福田恒存訳があーだこーだなんて本もあるようですが...
あとは、とある本の翻訳者が「ここんところ苦労しました」
なんて内輪話をしたり、誰かが「ハリポタのあの部分は誤訳だ!」
と週刊誌などに書いたりでお終いでしょう?
ところがキリスト教者はしつこく翻訳されたものが
原本とパラレルかどうか検証するんだそうです。聖書とか
トマス・アクイナスの神学大全とかパスカルの瞑想録とかの
世界各国語の訳が正当性を保っているかどうか、一生かかって
研究した人がいくらもいるらしい。そしてその成果として、
翻訳とは何をすることか?どうすべきかという方法論も学問に
なっているらしいです。私がミッションスクールに通ったのは
中学までなので、教わったことも中学生レベルですみません。
留学して聖書学を勉強するTORAちゃんに将来もっときちんと
説明して貰えるのでは?
ではでは
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